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SL時代から新幹線まで「雪と闘う鉄道」の記憶 除雪車の豪快な活躍や「防雪林」が守る線路

東洋経済オンライン / 2025年1月9日 6時30分

青森県の野辺地駅(青い森鉄道・JR東日本)周辺には日本最古の鉄道防雪林があり、駅構内を吹雪から守っている。同駅から出ていた、レールバスで有名だった今はなき南部縦貫鉄道もその恩恵にあずかっていた。

東海道新幹線の「泣き所」

雪害対策が進んでいる鉄道としては新幹線が挙げられる。東北新幹線や北陸・上越新幹線は在来線が雪で混乱していても安定運行を続けていることが多い。JR東日本の新幹線車両は車両の床下機器をすっぽり覆うボディマウント構造を採用し、積雪の多い区間では加熱した水がスプリンクラーから散水され雪を溶かす。

だが、昔から新幹線が雪に強かったわけではなく、これらは「雪に弱い東海道新幹線」の教訓を生かしたものだ。

東海道新幹線では積雪地帯である岐阜羽島―米原間の約70kmでスプリンクラーによる散水や、列車が走らない時間にはモーターカーラッセルで除雪をしているが、それでも積雪時の関ケ原では徐行を余儀なくされる。かつてほどではなくても関ケ原の雪は東海道新幹線の泣き所だ。

ここで、1963年に北陸地方を襲った昭和38年1月豪雪、通称「三八豪雪」について触れてみたい。この豪雪は1963年12月末から1963年2月にかけて、北陸を中心に東北、山陰、九州に大きな被害をもたらした。

当時17歳の筆者は故郷の武生市(現・越前市)でこの豪雪を体験した。福井市内では2m以上の積雪を記録し、さらに山間である武生では315cmを記録。今庄町(現・南越前町)にかけてはさらに雪が降り積もり、道路は1カ月近く封鎖され、生活に大きく影響した。武生市内でも家には2階から出入りするありさまで、市内の除雪はほとんどが人海戦術で行われた。

鉄道も信越本線をはじめ北陸本線も長期にわたって運休し、福井鉄道では除雪用の機関車が雪に埋もれてしまったため、人海戦術で除雪をしたという。

「雪に強い鉄道」は守れるか

雪害による列車の立ち往生にも遭遇したことがある。記憶にあるのは2007年1月8日のことだ。福島駅で停電が発生、東北本線、仙山線、奥羽本線などに影響した。湿ったドカ雪による架線切断が各所で起こったことが原因だったという。

仙山線で山形に向かう途中、奥新川駅で停電が発生。大雪の駅構内で暖房も止まり、駅への道路も積雪のため救援のバスも入れず、列車は3時間近く止まったまま「孤立状態」になった。運転士は電話で指令と会話を続けていたが「本線優先復旧」の報に怒り心頭する場面もあった。停電復旧後も筆者が乗っていた列車は運転再開できず、数時間後に救援列車がようやく到着し、作並駅まで運ばれた。

【写真の続き】豪雪の会津線C11形や吹雪の峠道を行く越美北線の8620形など、雪と闘う蒸気機関車たち。凍てつく寒さの中、客車も一面の霜や氷で覆われていた

雪との闘いは時代によって変わりつつある。国鉄時代は「列車を止めるな」という心構えで運行を続けていたが、近年は除雪人員の不足もあって早々に計画運休を決めることもしばしばである。「雪に強い鉄道」の信頼を守るため、チャレンジ精神で雪に立ち向かってほしい、というのは雪国育ちの筆者の正直な気持ちである。

南 正時:鉄道写真家

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