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国鉄からのと鉄道まで「能登を彩った列車」の記憶 蒸気機関車や急行気動車、パノラマ車両が活躍

東洋経済オンライン / 2025年1月18日 6時30分

ここで引退間際のSLや、急行列車ながらキハ20形などの一般形気動車を連結した急行「能登路」などさまざまな列車を撮影した。

【写真】さまざまな気動車を連結した急行「能登路」。急行型だけでなく一般形のキハ53形やキハ20形もつないだ編成

「峠越え」能登三井駅の思い出

SLブームに沸いていた当時、能登半島には「ふるさと列車おくのと」号というSL牽引の列車が走っていた。1970年から1973年にかけて金沢―珠洲間を結んで走った季節列車で、SLイベント列車のはしりともいえる。金沢―穴水間はC58形、穴水―珠洲間はC11形による牽引で、車内をお座敷仕様としたスロフ53形など赤帯の客車を連ねており絶好の被写体だった。この列車も能登中島―西岸間でよく撮影したものだ。

今は廃止になってしまった七尾線の能登三井―穴水間もよく通った場所だ。とくに能登三井駅は非常に印象に残っている。当時としては何の変哲もない交換駅だったが「峠の駅」の雰囲気があり、急行列車の停車駅でもあった。ここは国鉄時代からのと鉄道に引き継がれた後、さらに廃線後もよく訪ねているところである。

この区間は能登半島の背骨を越える山間部で、1000分の25(1000m進むたびに25m上る)の急勾配とカーブが続いていた。SLだけでなく気動車も車輪を空転させながら、スピードを落としてこの難所に挑んでいた。

筆者は昭和50年代、元国鉄職員の作家・檀上完爾さんと共著のガイドブック『全国ローカル線の旅』(昭文社)の取材でも能登半島を訪れた。能登三井から穴水へ向かう勾配区間を描いた檀上さんの文章は名文だと思う。引用したい。

能登三井からの山は険しかった。上り勾配もいちだんときびしくなり、列車の速度は極端に落ちる。うっそうと杉林が茂りクマザサが密生する。杉木立のなかに白く彩られているのは満開のグリの花で、細く開けた窓から特有の甘い香りが車内に漂ってきた。木立の根かたには、やはり白い花をつけたドクダミがびっしり茂っている。

ここが胸突き八丁なのか、さらに速度が落ちる。時速10キロか20キロといったところだ。カーブも連続する。七尾線にこれほどの難所があったことには驚かされた。これまでも確か2度ほどこの線区に乗ったはずだったが、そのときは居眠りでもしていたのであろうか。モーターをフル回転させた列車はそれでもようやく頂点に達したのか、ぶるんと車体をひと揺すりすると、今度は慎重に下り勾配をたどりはじめた。線路わきの木立のかげに、ぽつんと石の地蔵が見え、肩を並べるように墓が1基建っていた。この山中にどういうわけなのであろう、その石の下の霊が気にかかる。長い峠越えを終え、やがて前方に穴水の町が遠望できた。

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