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国鉄からのと鉄道まで「能登を彩った列車」の記憶 蒸気機関車や急行気動車、パノラマ車両が活躍

東洋経済オンライン / 2025年1月18日 6時30分

(『全国ローカル線の旅』昭文社・檀上完爾/南正時著より引用)

パノラマ気動車に沸いた時代

国鉄がJRに変わった1980年代後半から1990年代初頭にかけては、能登半島の鉄道も大きく変貌した。国鉄最末期の1986年12月には、特急「雷鳥」と併結して大阪―和倉温泉間を結ぶ特急「ゆぅトピア和倉」が登場した。新造のパノラマタイプの気動車を使用し、電車と気動車を連結して走る列車として注目を集めた。

1988年には能登線がJRから第三セクター・のと鉄道に転換された。さらに1991年にはJR七尾線の津幡―和倉温泉間が電化されて特急「雷鳥」などの乗り入れが始まり、同時に和倉温泉―輪島間の運行をのと鉄道が引き継いだ。

能登半島の鉄道がとくに華やかだったのがこの時期といえるだろう。のと鉄道は新造したパノラマ気動車のNT800形による急行「のと恋路号」の運行など活性化策を次々と実施し、一時期は三セク鉄道の成功例ともいわれた。筆者も「のと恋路号」の添乗取材や、各種ガイドブック、ムックなどの取材で訪れる回数も多かった。

【写真】窓側を向いたソファー風の座席もあった「のと恋路号」の車内

だが、その後は道路整備の進展などで鉄道は急速に衰退した。2001年にはのと鉄道七尾線の穴水―輪島間が廃止された。輪島といえば能登半島の中心的な街であり、観光の中心でもある。その路線があっさり廃止されてしまったことにショックを受けた。

国鉄時代からもともと経営の厳しい路線であった能登線も2005年に全線が廃止となった。今年で廃線から20年となる。一時期は100km以上あったのと鉄道の路線は、今では七尾―穴水間33.1kmのみに縮小した。

さらなる復興加速を

しかし、海沿いを走る路線は変化に富んだ風光明媚な車窓風景を楽しめることは変わりなく、2015年には観光列車「のと里山里海号」も走り出した。同年にはJRの観光列車「花嫁のれん」も金沢―和倉温泉間で運行を開始し、能登の鉄道に再び華やかさをもたらした。

【写真の続き】恋路駅に停車する列車やかつてののと鉄道の車内、能登半島バスの旅の一コマなど

それだけに、2024年元日の地震は衝撃であった。建物の倒壊や津波、火災、地殻変動による地盤の隆起など甚大な被害を受けた中、鉄道はJR七尾線が2月15日、のと鉄道も4月6日にそれぞれ全線再開し、早期の復旧を果たしたが、地域の復興は東日本大震災の際の三陸地方と比べても遅れていると感じる。

復興の加速を願うとともに、本稿が能登半島を訪れたことのない人にも関心を持ってもらうきっかけとなれば幸いである。

南 正時:鉄道写真家

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