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戦国最強「武田信玄」天下取れなかった地理的要因 地理的視点でみると、ある事情が浮かび上がる

東洋経済オンライン / 2025年1月23日 16時0分

武田信玄と上杉謙信の一騎討ち像(写真:シェビーバサー / PIXTA)

日本史と地理は、別々の科目として学びますが、多くの接点があります。『日本史と地理は同時に学べ!』を上梓した駿台予備校地理科講師の宇野仙氏が、戦国最強の騎馬隊をもつ武田信玄が天下統一できなかった謎を、地理的視点から考えます。

最強の戦国武将を考えると…

「戦国最強の武将は誰なのか?」

【写真】『日本史と地理は同時に学べ!』(宇野仙)では、それぞれの時代を日本史と地理の両方の視点から解説

この問いは、日本史で戦国時代を学んだことがある人なら、一度は考えたことがあるのではないでしょうか。

この問いに対しては、上杉謙信や武田信玄の名前を挙げる人が多いと思います。

武田信玄は、甲斐の国・現在の山梨県の戦国大名です。「甲斐の虎」と呼ばれ、信玄が率いる武田の騎馬隊は、戦国時代において最強だと言われていました。

しかし、天下を取ることができず、最終的には豊臣秀吉が天下統一を果たします。なぜ、軍事的には強かったにもかかわらず、武田信玄は天下統一を果たせなかったのでしょうか?

もちろん、さまざまな要因が複雑に絡み合った結果ではあると思いますが、実は、地理的な視点で見ると1つの重要な事実が浮かび上がります。

それは、「土地の問題」です。

甲斐の国には多くの山があり、水田や畑作に適した土地が少なく、水害も多い地域です。そのうえ、内陸にあって海に面しておらず、港での交易も困難でした。

一方で、天下統一の一歩手前まで行けた織田信長の領地の農業生産性は、とても高かったと言われています。信長の領地は水運にも恵まれて、経済的にも発展していたことを考えると、信玄の領地の状況とは対照的です。

そんな武田信玄といえば、信玄堤が有名です。信玄堤とは、武田信玄が甲府盆地北西につくった大規模な堤防です。連続した堤防ではなく、複数の堤防を重ね合わせるなど、当時としては斬新な設計でした。

この信玄堤をはじめとして、武田信玄は土木工事に非常に力を入れていたと言われています。なぜ武田信玄が土木工事を推進していたのかというと、やはり、農地に適した土地が少ないため、経済的な困窮を余儀なくされていたからだと思われます。土木工事を行うことで、武田信玄は農業生産性をなんとか上げようとしていた、という説が濃厚です。

度重なる増税で領民の逃亡招く

当然戦いにも莫大なお金が必要になります。武田信玄はたびたび増税を行い、軍資金を確保していました。減税を行って経済を回そうとしていた織田信長とはこれまた対照的ですが、領地の状況を考えれば仕方がないことでした。

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