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近鉄奈良駅、地下に広がる「ターミナル」の特異性 徒歩数分でシカに会える、外国人にも大人気

東洋経済オンライン / 2025年1月23日 6時30分

須合駅長は1983年の入社。初めに配属されたのが近鉄奈良駅だった。乗務員や、新田辺の駅長と列車区長、運転士の養成所などを経て2023年11月に近鉄奈良駅長となった。列車扱室は現在、駅係員の詰所となっている。

【写真の続き】近鉄奈良線の電車は新大宮駅の東側から地下区間に入り、近鉄奈良駅に到着。普段じっくり見る機会が少ない地下2階のホームの様子は?

「近畿日本奈良駅」時代に地下化

近鉄奈良駅は、近鉄の前身の大阪電気軌道(大軌)が1914年4月30日、上本町―奈良間を開業させた際に誕生した。開業当初の駅名は「奈良」。1928年に会社名を冠した「大軌奈良」となった後も、社名の変更とともに「関急奈良」「近畿日本奈良」と駅名が変遷した。

現在、1つ手前の新大宮駅を出た電車は地下に潜って近鉄奈良駅に到着する。かつては国鉄関西本線を越えたあたりに油阪駅があり、奈良駅付近は路面電車のような併用軌道だった。

2010年刊行の『近畿日本鉄道100年のあゆみ』は「同区間は奈良線の高速化や増発を妨げる要因となり、戦前から地下化が検討された。しかし、戦争によって計画は頓挫していた」と説明している。

第2次世界大戦後のモータリゼーションの急速な進展に伴い、道路の渋滞が深刻化。地下化の転機となったのは1970年の大阪万博開催だった。奈良への観光客の増加を見込み、1967年に奈良県と奈良市が大規模な都市計画街路整備事業を決定。大宮通りの拡幅と近鉄線の地下化、駅前広場が整備されることになった。

線路の地下移設は1968年2月3日に着工。「既設の線路の直下に新たに線路を敷設する工事のため、既設の線路やホームをH型鋼杭と鉄桁によって支持し、地表から掘削する開削(オープンカット)工法を採用した。通常、この規模の工事は3年の期間を要するものであったが、日本万国博覧会の開幕まで約2年しかなかったため、昼夜兼行で工事が進められた」(『近畿日本鉄道100年のあゆみ』)。

線路の地下化に伴い油阪駅は廃止され、代わりに西側に設置されたのが新大宮駅。1969年12月9日、地下の奈良駅は新大宮駅と同時に開業した。翌1970年3月に「近鉄奈良駅」に改称。同年地上駅跡にオープンした8階建てのターミナルビルは、新宿駅西口広場などを手掛けたことで知られる坂倉準三が設計した。当時は6~8階に奈良ホテルの別館が入っていた。

いまは外国人観光客でいっぱい

駅はその後も進化を続けている。さらなる輸送力の強化に伴い、1988年に1・2番線が10両編成に対応する長さのホームになった。2016年10月には春日大社の式年造替を前に地下1階コンコースの床や天井、柱の美装化といったリニューアルを実施した。2022年12月には副駅名として「奈良公園前」を追加、駅名標にシカのイラストを添えた。

【写真をもっと見る】世界各国の観光客が利用する近鉄奈良駅、駅構内はいまや日本人より外国人のほうが多いかも

須合駅長は「以前はもっとがらんとした印象の駅でしたが、春と秋の遠足シーズンには奈良公園を訪れる小学生など学校の団体がいっぱい並んで、広いコンコースが役に立ちました」と振り返る。

現在は世界各国から訪れる外国人観光客であふれる近鉄奈良駅。「観光地にある近鉄の駅の中でもとくにインバウンドの対応をすることが多いです。アジア系の人に『トラック、ナンバー1』などと英語で説明すると『私、日本人です』と返ってくることも」(須合駅長)。1970年の万博開催を機に地下化された同駅にとっては、2025年の大阪・関西万博も新たな転機になるかもしれない。

橋村 季真:東洋経済 記者

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