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焼け野原だった「歌舞伎町」が大歓楽街になるまで 「喫茶店→テレクラ→ホストクラブ」街の顔の変遷

東洋経済オンライン / 2025年1月25日 9時40分

新宿・歌舞伎町(写真:1978年、吉野純治撮影)

この頃しみじみと感じるのは「昭和は遠くなりにけり」ということだ。昭和最後の年1989(昭和64・平成元)年からすでに36年が過ぎ、当時を知らない世代も増えている。

このほど、今年で設立130周年になる東洋経済新報社の写真部に保管されていた昭和の街角写真がデジタル化された。本連載では、そこに写し出されている風景から時代の深層を読み取っていく。

第4回となる今回は、1970年代以降の東京・新宿の写真を紹介する。

第1回:『60年前の「アジアっぽい東京」が今の姿になるまで』
第2回:『40年前の「牧歌的な渋谷」が外国人の街になるまで』
第3回:『「家電→PC→メイド喫茶」秋葉原"主役交代"の歴史』

1980年代、新宿の一等地で目立ったのは…

1970〜80年代の新宿の風景を今見ると、この時期すでに、新宿が東京の代表的な繁華街の地位を獲得していたことを実感する。

【写真25枚】1970年代以降の新宿をアナログ写真で振り返る。高層ビルが次々と建設された1970年代、多くの銀行が新宿三丁目の一等地に店舗を構えていた1980年代など

1983(昭和58)年撮影の新宿三丁目交差点付近の写真では、通り沿いに銀行の看板が目立つ。三井、三和、第一勧業、協和と、今はすべて合併により消え去った行名だ。

1980年代においては、銀行はどこの街でも駅前の一等地や繁華街の目抜き通り1階に店舗を構える王様的な存在だったが、合併時代を経て、近年はさらに店舗数を削減、縮小。街頭での存在感は失われつつある。

写真25枚:1970年代以降の新宿をアナログ写真で振り返る。高層ビルが次々と建設された1970年代、多くの銀行が新宿三丁目の一等地に店舗を構えていた1980年代など

現在、この新宿三丁目交差点の伊勢丹周辺は、ルイ・ヴィトン、バーバリー、アップルストアなどのグローバルブランドの店舗が並ぶ街となり、伊勢丹もデパートというよりも外国人をはじめとする富裕層が高級品を買いまくるラグジュアリーストアと化している。

新宿三丁目交差点付近は江戸時代の元禄期に開かれた甲州街道の宿場町の中心にあたり、青梅街道との分岐点である新宿追分という地点でもあった。

最初に発展したのは東口

1885(明治18)年、新宿に鉄道駅が設置された頃、最初に繁華街となったのは、宿場のあった駅東口側だった。

その後新宿は、関東大震災、太平洋戦争で被災した下町の人々が、東京の西側の中央線や私鉄沿線に移り住み、東京が都市として拡大していくなか、鉄道ターミナルとして、そして、デパートや劇場、映画館、飲食店などのある近代的な盛り場として発展していく。

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