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宮崎県延岡市にミャンマー人が押し寄せる理由 「民」から始まった地方都市とミャンマーの交流

東洋経済オンライン / 2025年1月26日 8時0分

これは最終的にマンダレー企業のTOP Myanmar社に贈られ、同社はこのテスト機を活用して積極的に商品の開発・製造を開始します。生産が順調に進んだことから、2019年11月には、テスト機の25倍の生産能力を有する量産機を導入した新工場がオープンし、延岡の企業とミャンマーの企業による経済的交流の第1号となりました。

新工場ではマンゴーやカボチャなどを原料にドライフルーツや野菜チップを開発。ブランド名「Kiyo-Myanmar」として、ミャンマー全国で販売されています。(https://www.nnktopmyanmar.com/)

2017年2月にはミャンマー商業省の事務次官や貿易局長、次長らが延岡を訪問。同年7月には、ミャンマー工業省の事務次官や商業省の幹部、中小企業開発銀行副頭取、モン州知事らが訪れるなど、経営者だけでなくミャンマー政府のマンダレー管区大臣、ミャンマー教育大臣など高級官僚たちが次々と延岡という一地方都市を目指して来日しました。

「なぜここまで延岡を目指してミャンマーの要人が来日するのかと、誰もが不思議がっていました」と富山さんは振り返ります。

一方で、延岡の企業もミャンマーを訪問する機会が増え、マンダレーに開設された「NobeoCafe」を拠点に、2018年から3回にわたり「NobeoCafeセミナー」をマンダレーの新しい開発地区ミンガラマンダレーで実施しました。

このセミナーでは、延岡の企業が自社の技術や製品をPRし、ミャンマー企業との取引につながることを目指して、ネットワーキングや個別商談が行われました。こうして、お互いに日本とミャンマーを訪問し合う交流が広がりを見せていました。

コロナ、クーデターでも関係強化

ところが、2020年3月に新型コロナウイルス感染症が流行し、ミャンマーではロックダウンなど厳しい感染対策が実施されました。さらに、2021年2月1日にはクーデターが発生し、それまで続いていた交流は途絶えてしまいました。

とはいえ、交流を重ねる中、日本人と気質が合うと感じた延岡の経営者たちは、日本国内で日本人の採用が難しくなりつつある中、ミャンマー人材を技能実習生やエンジニアとして採用、将来的にはミャンマーでの活躍を視野に入れるという動きが出始めました。

クーデターの影響でミャンマー国内経済が低迷する中、海外での就労を目指すミャンマー人が増加、日本を訪れるミャンマー人も急増しています。日本の出入国在留管理庁によれば、2024年6月末時点での在留ミャンマー人は約11万人で、前年比27.5%増と、国籍別では最も高い増加率を記録しています。

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