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被害者から加害者に「母から虐待を受けた子」の半生 成人後も続く「負の連鎖」克服は容易ではない

東洋経済オンライン / 2025年1月30日 8時0分

母もまた、高島さんに当たってしまう罪悪感に苛まれ、自分の精神が安定するまで、息子を一時的に児童相談所に預けることもあった。

当初は母からの理不尽な仕打ちに疑問を感じていた高島さんだが、罵倒が続き児童相談所に預けられるうち、自責の念に駆られていくようになる。

「児童相談所に連れて行かれる時は、母に迷惑をかけていると思いつつ、なぜ母と離れないといけないのか分からなかった。漠然とモヤモヤしていた記憶があります。

ただ、施設の職員に引き取られるときは、決まって母から見捨てられたからだと思い込み、ショックでした」

次第に、高島さんは母の機嫌を損ねないよう、過敏に気を遣う習性がついた。

「例えば、ゲームを片付けるときは何回も元の位置に戻っているか確認したり、母に触れる前に執拗に自分の手を洗ったりと、過剰に気を遣うようになりました。母と会話するときも、自分の発言が母を怒らせないか考えすぎて言葉が詰まるなど、言いたいことも言えなくなる。いわゆる強迫性障害のような兆候が出ていました。

そうした兆候は、母だけでなく、学校の同級生と接する際も現れました。からかわれるなどさまつなことを気にして、集団行動が怖くなり、家に引きこもりがちになります。毎日、夜中まで隠れてゲームをして、学校を欠席する日も増えていきました」

学校に行かず、社会から逸脱していく高島さんを見て、母の虐待はエスカレートした。当初は罵倒だけだった心理的虐待も、叩く蹴るなどの暴行や、裸にされて詰問されるといった行為も加わっていく。

高島さんは時に、別居していた父に助けを求めにいったが、父は一時的に匿うだけだった。一緒にゲームをしたり、映画に行ったりすることはあっても、数日経つと母の元に帰るよう促された。母からの虐待を打ち明け、帰るのを渋っても、父の対応は変わらなかった。

祖父母は祖父母で、母に対して叱ることはあっても、それで虐待が止まることはなかった。むしろ母から「お前のせいで(祖父母から)怒られた」と八つ当たりされることもあった。

こうして母の虐待は過激になり、高島さんはより神経をすり減らし、学校に適応できなくなる。小学3年生には不登校に陥った。

「その頃になると、警察が介入して、病院に運ばれることもありました。例えば、母は私を学習机の足元のスペースに押し込み、包丁を持って脅し、執拗に蹴り続けてくるようになります。母自身も感情の収拾がつかず、暴力を振るっては泣いて、児童相談所かどこかに連絡していた光景を覚えています」

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