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斜陽メディアじゃない?「ラジオ」20代に人気の訳 オールナイトニッポン統括Pが語る復活の理由

東洋経済オンライン / 2025年2月4日 12時30分

新潟放送局でも報道記者を中心に学校関係者や教育委員会、いじめの加害者や被害者家族を丹念に取材し、ニュース番組で取り上げたり、検証する番組を作っていました。番組を見てくださった方がきっと何かを感じ、何かが変わるかもしれないと願いながらだと思います。

でも実際にどれほどの効果があったのか、目に見える手ごたえをつかむことはなかなか難しく、テレビディレクターとして駆け出しの自分は、必死に取材する記者やディレクターの姿を見ながら、どこか悶々としていました。

ヤンキー先生で知った「ラジオの原点」

そんなある日曜の深夜、ラジオをつけると「ヤンキー先生」の声が聴こえてきました。新潟でしたが深夜だとAMラジオの電波が届きやすくなるので、ニッポン放送の電波をかろうじて拾っていたのだと思います。

ヤンキー先生とは、現在は教育評論家で政治家としても活動されている義家弘介さんのこと。高校時代に担任の先生と衝突したことをきっかけに道を踏み外しかけるも、周りの熱心な大人たちの働きかけとご自身の強い精神によって人生を立て直し、その経験を生かして教育者になった方です。

当時、義家先生は、ニッポン放送で毎週日曜日深夜0時から「ヤンキー先生! 義家弘介の夢は逃げていかない」という番組のパーソナリティを務めていて、悩めるティーンエイジャーと生放送で電話をつないでは、人生相談に乗っていました。

当時の僕は、平日は取材や編集に飛び回って忙しく、なかなかラジオを聴く余裕がなかったのですが、週末には時々ラジオを聴けたのです。たまたま聴けたその夜も、ひとりの男の子が義家先生と電話をつないで悩みを打ち明けていました。

「いじめられて、もう学校に行きたくないんです」という相談に対して、僕はてっきり義家先生は優しく寄り添いの言葉をかけるものかと思っていました。ところが、義家先生はまったく逆の反応で、「何言っているんだ! 負けんなよ!」と熱っぽく説教を始めたのです。

叱るだけにとどまらず、60分ほどじっくりとその子と真剣に向き合って言葉を交わすやりとりが続きました。そして番組の最後に、相談を寄せてきた男の子が「ずっと死のうと思っていたけれど、義家先生の声を聴いて、死ぬのをやめようと思いました」と。

僕は衝撃でしばらく動けなくなってしまいました。

テレビであまねく多くの人たちにいじめの問題を訴えることも大切です。でも、こうやって目の前でひとりを救えるメディアもある――それがラジオだ。

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