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「渋谷→新大久保」若者の街が変遷した本質理由 街全体で「韓国のテーマパーク」への変貌を遂げた

東洋経済オンライン / 2025年2月9日 8時30分

ただし、その様子は、他の地域のコリアンタウンと少しばかり違う。韓国の人が多く住んでいるというよりむしろ、韓国好きの人のために、その人たちが満足できるように作られた「韓国テーマパーク」ともいえるものだ。

実際、この新大久保の駅前を歩いているとよくわかる。

コリアンタウンが広がる新大久保駅の東側で目に入ってくるのは、目まぐるしいほどのハングルや、K-popアイドルの写真。また、チーズハットグをはじめとする、その時に流行している韓国グルメの店もずらりと軒を連ねる。

一本入った路地を歩けば、まるで韓国に来たかのような風景が広がっているし、そこで働く店員さんの多くも韓国の若い男性だ。

私がある人にインタビューしたとき、新大久保に行く人々は、「まるで韓国のよう」な街並みが楽しくて、そこに行くのだと言っていた。日本にあって韓国のような場所、ニセコ的なテーマパークがそこに現れている。

こんな体験ができるからか、休日の新大久保駅はものすごい人だかりである。この事態には、さすがに都や区も驚きを隠せないらしく、2024年度には、この地域でははじめての交通量調査も行われる予定である。

こうした状況は、データにも顕著に表れている。2000年から2021年の山手線の平均乗車人数を見ると、2011年と2018年に急激に増加している。この増加率は、駅としては異例のことで、その要因の一つに、韓流ブームがあると見られている。

新大久保はいかにして「韓流の街」となったのか

新大久保はどのようにして現在の「韓流の街」となったのか。

自身も新大久保に住み、『ルポ新大久保』を上梓した室橋裕和は、もともとこの辺りは、韓国人ホステスが住む街だったと書く。

すぐ裏手にある(どちらかといえば新大久保が裏手なのだろうが)新宿歌舞伎町にコリアンクラブができはじめ、そこで働く人々が住み始めたのが新大久保だったのだ。そんな彼女たちのために生まれたのが、小さな韓国料理店。これが新大久保のコリアンタウンの始まりだった。

そんな小さな韓国人街が広く注目されるようになるのが、2002年の日韓ワールドカップのとき。多くのマスコミが新大久保に詰めかけ、レストランで日本人と韓国人がワールドカップを共に見ている映像を報道した。

その翌年の2003年、ぺ・ヨンジュン主演の『冬のソナタ』が大流行。そんな「ヨン様」ファンが、韓国を求めて新大久保に大挙し、「観光地的コリアンタウン化」が進んだ。

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