<Wコラム>Jリーグ「サガン鳥栖」尹監督の過去と日韓サッカー

Wow!Korea / 2014年8月13日 14時38分

尹晶煥氏(画像:聯合ニュース)

現在、サッカーJリーグで首位をキープしている「サガン鳥栖 」の韓国人監督 尹晶煥(ユン・ジョンファン)氏が突然の解任劇に巻き込まれ、サッカーファンの間で論争が起きている。

2011年、Jリーグ初の韓国人監督として「サガン鳥栖」を2部から1部リーグに昇格させた立役者でもある尹監督。快進撃を続けるチームの監督がシーズンの途中に解任されるという異例の事態、いや、「前代未聞」の事が発生したのだ。

これには、日本のメディアだけではなく、韓国メディアも注目していたところ、尹監督の解任後、「サガン鳥栖」の初めての試合が台風によって延期された後、敗戦で終わったしまったのだ。

尹監督の解任理由は、「一部選手の優遇をめぐる球団側との葛藤」とされているが、尹監督本人は「より発展的な進路を決めるための選択」とコメントしている。しかし、一部の韓国ファンからは、歴史問題や領土問題から日本で蔓延している「嫌韓」が解任の理由だとする「憶測」の声も出ている。

尹監督はまだ40代前半という若い指導者で、選手時代には韓国代表としても国際Aマッチ38試合に出場、3得点している。それなりの知名度を持つサッカー人だが、今年は「サガン鳥栖 」を「1位」に導いたことで韓国サッカー界でも評価されるようになった。

堅い守備をベースにした素早いカウンターやロングパス、体力と根性を大事にする彼の戦略は、韓国代表チームの伝統的なスタイルでもあることから、「日本で韓国型サッカーを適用させ、新しいジャパニーズ・サッカーを作り上げた」との評価が多い。

そんな尹監督の過去の選手時代をおさらいしてみよう。

韓国釜山の東亜大学時代の1994年に韓国代表として初選出され、1995年には韓国Kリーグの「油公コッキリ」(現:済州ユナイテッドFC)に入団した。この時からポジションはプレーメーカーとしてのミッドフィルダーが多かった。

2003年には、Kリーグの「城南一和」に移籍、翌年の2004年には再び「全北現代モータース」に移籍して2005年までプレーした。

韓国のKリーグでは、通算203試合に出場し20得点をマークしている。守備型ミッドフィルダーのポジションも多かったが、本人は「守備より攻撃参加が得意」と発言したこともある。当時は、視野が広く優れたパス能力を持った選手として評価された。

また、韓国代表としては、1996年にU-23の韓国代表として、アトランタオリンピック にも出場した。2002年の日韓ワールドカップでも韓国代表に選ばれたが、オランダ出身の名将ヒディンク監督の判断で、本選の試合には出場できなかった。この辛い経験が、彼を名将に導いたとの意見もある。

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