1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. アジア・韓流

<Wコラム>日本のコリアをゆく~百済寺跡・鬼室神社編2

Wow!Korea / 2016年4月29日 21時20分

福信はすでに権力を専横し、扶余豊と互に猜忌するようになり、福信は病いだと称して地を掘ってつくった部屋に寝て、扶余豊が病気見舞いに来れば、とらえて殺そうとした。扶余豊はこれを知って、みずから信頼する部下をひきいて、福信を不意に襲って殺した。

一方、『日本書紀』には、もっと生々しい記述がある。『日本書紀』の天智紀にある記述を現代語に訳してみよう。

百済王の豊璋は、福信が謀反を起こすと疑い、福信の掌に穴をあけて縛った。それからは、どうしたものかと思案し、配下の者たちに「福信の罪はこの通りだ。斬るべきかどうか」と問うたところ、執得という家臣が「この反逆児を許してはいけません」と言った。激怒した福信は執得に唾をかけて「くさった犬のような頑固者め!」と罵倒した。豊璋は屈強な者に命じて福信を斬り、その首を酢漬けにした。

豊璋が福信を殺したという事実は同じでも、その過程の記述では『三国史記』と『日本書紀』で違いがある。『日本書紀』のほうが豊璋に好意的なのは、豊璋が日本の朝廷と関係が深かったからだろう。歴史書といっても、結局は書き手の意思によって、記述はいかようにも変わるのである。

(次回に続く)

文=康熙奉(カンヒボン)

(ロコレ提供)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください