<Wコラム>康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓古代史が面白い」仏教伝来(中編)
Wow!Korea / 2016年6月25日 22時41分
蘇我氏と物部氏の間で起こった仏教の受容をめぐる対立は、数十年も続いた。つまり、ヤマト政権の主導権をめぐる争いの中で、仏教が一番の争点になったのだ。治世は欽明天皇、敏達天皇、用明天皇へと移った。この用明天皇が在位2年足らずで世を去ってから、その後継者をめぐって蘇我氏と物部氏の対立が一層激しくなった。
■蘇我氏と物部氏の戦い
蘇我馬子(そがのうまこ)は、蘇我氏の血を引く王族を王位につけようと先手を打った。窮地に陥った物部守屋(もののべのもりや)は、本拠地の河内にいったん退いて、次の決戦に備えた。
攻める蘇我氏、守る物部氏。
物部守屋は師弟と兵士を集めて稲で砦を築いて防御を固めた。そのうえで、上から蘇我軍をめがけて激しく矢を射った。雨のように降ってくる矢におそれをなして、蘇我軍は三度も退却せざるをえなかった。
蘇我氏の側についていた厩戸(うまやど)皇子は、後ろから戦況を見ていて思わずつぶやいた。
「この戦は負けるかもしれない。願をかけなければ……」
厩戸皇子は霊木と称される木を切って四天王の像を即興で造り、束髪の上に載せた。
「この戦、ぜひ私どもに勝たせてくださいませ。願いが叶いましたら、かならず寺塔を建てます」
一心に祈る厩戸皇子。その姿を見ていたら、蘇我馬子も、仏に祈らずにはいられなかった。
「我らをお守りください。勝たせてくださったら、寺塔を建てて三宝を広めます」
■蘇我氏の天下
蘇我馬子は祈りを終えると、作戦の変更を同志に伝えた。
「守屋1人だけを徹底的に狙え」
その意をくんだ配下の者たちが、木にのぼって陣頭指揮を取っている物部守屋を執拗に狙った。
こういうときに一番心強いのは弓の達人である。彼が、木々の間を狙って物部守屋に矢を命中させるという離れ業を演じた。
大将が死んで物部軍は総崩れになった。敗残兵は命ほしさに散り散りとなって逃げていった。
物部氏は滅び、蘇我氏の天下となった。
蘇我馬子には、もう誰も逆らえなくなった。
たとえ、天皇でさえも……。
ただし、用明天皇の後を継いだ崇峻天皇は少なからず蘇我馬子に反感を持っていた。
■聖徳太子の登場
たまたま、猪を献上されることがあった。
その猪を見ながら、崇峻天皇は、
「猪の頸(くび)を斬るように、憎い人間を斬ってみたいものだ」
と口走った。
この発言を人づてに聞いた蘇我馬子は、天皇に嫌われていると悟った。さらには、天皇の周囲で武器を集めているという情報を得た。
「先に動かなければ、こちらがつぶされる」
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