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<Wコラム>イ・ミンホとチャン・グンソクが生まれた年に韓国で何が起こったのか(前編)

Wow!Korea / 2016年7月2日 12時56分

しかし、この時点ですでに全斗煥は軍の介入を決意していた。アメリカのリリー大使はそのことを察し、誠意を込めて全斗煥を説得した。

自制を求めるレーガン親書を渡し、さらに軍を介入させれば米韓の同盟関係に決定的な亀裂が生じることを警告したのである。

■紙一重の分かれ目

リリー大使の話を熱心に聞いていた全斗煥は即答をさけ「検討する」と述べて会見を打ち切った。

それから1時間。全斗煥は孤独の中で最後の決断を強いられていた。彼は師である朴正熙のことを考えた。その悲劇的暗殺は無残だった。ここで軍を介入させて戒厳令を強行すれば、平和的政権委譲を果たそうとした自分の夢が完全に崩壊してしまう。

最終的に、彼は歴史の汚名を浴びることに躊躇した。やがて側近を集め、午前中に決意した軍の介入を取り消すことを伝えた。

まさに紙一重の分かれ目となった。

「武力に頼るのではなく、対話による解決をはかるしかない」

その重大な事実にようやく気づいた与党の民正党は、野党との対話路線に歩みを進めた。20日になって民正党代表委員の盧泰愚は「私はどのような地位にも恋々としない。事態を政治的に解決するために自分のすべてをかける」と述べて、全斗煥に在野の指導者たちと積極的に対話の場をもつように建議した。

ちなみに、この2日後にイ・ミンホが生まれている。彼が誕生したときは、民主化闘争の真っ最中だったのだ。

(後編に続く)

文=康熙奉(カンヒボン)

(ロコレ提供)

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