<Wコラム>康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人「」~日延(前編)
Wow!Korea / 2016年8月26日 17時10分
JR外房線の安房小湊駅で降りると駅前に人影はまばらで、タクシーが列をなして客を待っていた。時期は7月の第2週目であった。あと1週間もすれば子供たちも夏休みとなり、大勢の海水浴客が訪れることだろう。しかし、今は訪れる人も少ない様子だった。
■日蓮と日延
タクシーに乗り、運転手さんに「誕生寺まで」と告げた。走り出してから、私は「日延(にちえん)さんはここでも有名なんですか」と聞くと、「もちろんです。誕生寺を作った方ですからね」と運転手さんは答えた。
私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)の発音が悪いのか、「日延」が「日蓮(にちれん)」に聞こえたようだ。私は言い直した。
「日蓮さんではなくて、日延さんですけれど。誕生寺の貫主様だった方ですが……」
「その方はまったく知りませんね。聞いたこともありません」
そう言われてしまったので、いささか心細くなってきた。
やがて誕生寺に着いた。タクシーで駅から5分ほどだった。
有名な古刹だけに、門前に土産物店があって、中年の女性が通る人を呼び込んでいた。私はそこには近づかず、ゆっくりと総門をくぐって行った。
■日延の父は臨海君
総門の先には仁王門があったが、それをくぐる前に誕生寺の縁起を書いた案内板を読んだ。そこに書かれてあったのは、「日蓮が1222年に小湊で生まれたこと」「誕生寺は1276年に開かれたが、日蓮を開山としていること」などである。
つまり、日蓮が誕生した地に創建されたのが誕生寺というわけだ。案内板の前で、一人で頷いていた。
ただし、私がここを訪ねたのは、日蓮にゆかりのあるものを見るためではない。この寺の18世の貫主を務めた日延について調べるのが目的だった。
日延は朝鮮半島の出身である。しかも、朝鮮王朝14代王の宣祖(ソンジョ)の孫で、父は宣祖の長男であった。
つまり、血筋のうえでは、朝鮮国王の座に就ける可能性がある人だった。そうした人物が、なにゆえに日本で日蓮宗の僧侶になったのであろうか。
そこには、16世紀末の文禄・慶長の役が関係している。
1592年4月13日に豊臣軍が朝鮮半島に攻め入った。平和が長く続いた朝鮮王朝で
は、国防の意識が疎かになっており、豊臣軍の攻めに退却を余儀なくされた。早くも、5月2日には首都の漢陽(ハニャン/現在のソウル)が陥落した。
国王であった宣祖は北に逃れ、最後は最北の義州(ウィジュ)にまで避難せざるを得なかった。こうした混乱のなかで豊臣軍の捕虜になったのが、宣祖の長男であった臨海君(イメグン)である。
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