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<Wコラム>康熙奉(カン・ヒボン)の「簡潔に読む! 韓国の歴史」~善徳女王の生涯(後編)

Wow!Korea / 2016年9月12日 22時28分

つまり、唐の言い分は、援軍を出すかわりに自分たちの親族を王にさせてくれということである。

暗に善徳女王の退位を促す話だった。当然ながら、新羅としてはこれを受け入れるわけにはいかなかった。

善徳女王も、どれほど悔しかったことだろうか。新羅で初めての女王には、女性であるがゆえの苦悩も多かったのである。

■国力増強の立役者

善徳女王は、即位してからずっと高句麗や百済の攻撃を受けて苦しい国政を強いられていた。

それでも、彼女の大きな功績は644年に金庾信(キム・ユシン)を大将軍に任命したことである。

大将軍といえば今でいう総司令官。この人選を誤ると国の存亡にかかわるのだが、金庾信は戦略性に優れた人物で、重要な職務に就くと、大きな働きをして新羅を強大な国家に導いていった。

結局、新羅は唐と連合して百済と高句麗を滅ぼし、最後には、朝鮮半島を占領しようという野心を持った唐も追い出して676年に統一国家を築いた。

その功労者の金庾信を抜擢したのが善徳女王であり、人事の面でもすばらしい才能を発揮したのである。

その善徳女王は最後まで新羅の行く末を案じながら、統一の29年前の647年に亡くなった。

治世は15年だったが、新羅の国力増強に大きく貢献した人生だった。

文=康熙奉(カンヒボン)

(ロコレ提供)

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