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<Wコラム>BoAに見る音楽カルチャー20年の変化

Wow!Korea / 2021年7月15日 11時53分

韓国のテレビ局SBS「伝説の舞台 アーカイブK」では、NHKのアナウンサーの家庭にホームステイしながら日本語を学んだと明かした。日本に来て間もないころ、最初に覚えた漢字のひとつが「涙」。日本に来て間もないころ、覚えたてのひらがなで作詞した曲「Moon & Sunrise」(2003)に、「涙」だけが漢字で書かれているのは、ファンのあいだで広く知られたエピソードだ。

寂しさやくやしさからあふれたであろう涙が、感激の涙に変わった瞬間を目撃したのは2011年、デビュー10周年を迎えた年のクリスマスライヴでのことだった。アンコールで歌った、BoAの代表曲のひとつであり、クリスマスソングの定番ともいえる「メリクリ」。冒頭から声を震わせていたBoAは、途中から涙で声を詰まらせてしまったのだ。マイクを客席に向けると、ファンたちが歌い始め、大きな合唱が会場を包む。(その様子は、「BoA JP 20th -THE PROLOGUE-」にも収められている)

「人生で初めて『メリクリ』が歌えなかった。10年間のいろんな曲を歌いながら、頑張ってきたな、って」とステージで語る彼女は、まさに感無量の表情だった。

「変化と進化」

BoAの歩みは、未知へのチャレンジの連続だ。『LISTEN TO MY HEART』のミリオンセラーに続き、「DO THE MOTION」(2005)は、オリコン週間シングルランキングでトップを獲得した。NHK「紅白歌合戦」には2002年から6年連続出演し、日本レコード大賞、日本ゴールデンディスク大賞など、数々の賞にも輝いた。

2000年代後半には「BIGBANG」や「SUPER JUNIOR」をはじめ、韓国のアーティストが次々と日本に上陸。韓国の音楽はK-POPと呼ばれるようになる。2010年代前半には「KARA」や「少女時代」などガールズグループも幅広い世代に人気を博し、K-POPは日本を席巻するブームとなった。アリーナツアーやドームツアー。どんどん大きくなるステージに立つ韓国のアーティストと日本のファンの熱狂を取材する一方で、わたしの目を引いたのは、独自の道を進むBoAのチャレンジだった。

BoAがターゲットにしたのは、アメリカだった。2009年には全米デビューアルバム『BoA』をリリースし、Billboard200で127位に。同チャートに韓国の歌手がランクインしたのは、BoAが初めてだった。アメリカは、アーティストも交えてスタッフが話し合うスタイル。アメリカ音楽業界に身を投じたBoAは、セルフプロデュースを志すようになる。2012年には、「Only One」を作詞作曲。ミディアムテンポのR&Bに、ボーカルを前面に出した「リリカルヒップポップ」を試みる。翌年リリースした『Kiss My Lips』(2013)では12曲すべてを作詞・作曲・プロデュースで参加。それは、アイドルから、自らの声を発信するシンガーソングライターへと脱皮した瞬間だった。

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