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【創志学園】大橋博総長が語る「子どもには誰にでも可能性がある。心の火を点けることが大切です」

財界オンライン / 2023年4月29日 18時0分

大橋博・創志学園総長

「若者の志が少し小さくなっている。クラーク博士の精神を今一度!」─。このように強調するのは神戸に本部を置く創志学園総長の大橋博氏だ。大橋氏が学習塾から出発し、55年余が経った今、専門学校や高校、そして大学と総合的な教育グループに発展。多様な生徒を受け入れ、勉学の面白さを知ってもらうといった「夢・挑戦・達成」の行動指針を掲げ、ニュージーランドでも大学を運営する。人づくりに尽力してきた大橋氏が見据える次世代の人材づくりとは?

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東大現役合格、甲子園出場

 ─ 大橋さんが1966年に近所の子ども4人に依頼されて始めた学習塾から約55年が経ちました。大橋さんの教育の原点とはどのようなものですか。

 大橋 私は子どもには誰にでも可能性があると思っています。それを親や周囲が「この子はこんな子だ」と決めつけてしまっている。そうではないと信じて接してあげれば、子どもは誰でも頑張るものだと思うのです。

 そして、そのきっかけは「心に火を点けること」です。火を点けるということは周囲が明るくなりますから、先が何となく見えてくる。そうすると、子どもは頑張れるようになります。

 ─ そういった教育理念で、学業でもスポーツでも成果が出ていますね。

 大橋 ええ。92年に認可された広域通信制高校「クラーク記念国際高等学校」では、今春、東大現役合格の知らせが届きました。中学校からクラークを選んで入学してきた生徒です。クラークの教育が合っていたということだと思います。

 スポーツでも今年の第95回選抜高等学校野球大会で、3回目の甲子園出場を果たしています。

 クラークには「一人ひとりを大切にする」という教育理念があります。学園の行動指針には「夢・挑戦・達成」を掲げており、自分で夢を描き、自分で目標を立て、それを叶えるために持続した挑戦を行うと。

 そしてそれを達成することができたら、その成功体験を喜びや励みとして次の夢、目標の達成に向かっていく。この「夢・挑戦・達成」の繰り返しを「創志という生き方」の行動指針としているのです。

 ─ 全国にキャンパスがありますが、生徒は何人ですか。

 大橋 約1万2000人です。本校は北海道深川市にあるのですが、旭川から鹿児島まで全国に65カ所のキャンパスがあります。

 ─ それだけの規模になると、経営も大事になりますね。

 大橋 ええ。夢ばかりを追いかけても学校経営は成り立ちません。ロマンとそろばんが両立しないといけません。そこが経営者の真価を問われるところで、学校経営の大原則です。




 ─ クラーク高校は92年の開校ですが、そもそも学習塾を運営していた大橋さんが通信制高校を設立しようと思った経緯を聞かせてください。

 大橋 もともとのきっかけは北海道で学校をつくって欲しいというお願いを受けたことです。クラーク高校のある深川市は、あまり特徴のある街ではありませんでした。市も街の発展に対する問題意識を持っていたのです。ただ当初は雪深い北海道に学校をつくっても生徒を集められる自信はありませんでした。

 ですから最初は断りました。ところが後日、深川市の市長さんも含めて13名も神戸にいらして、どうしてももう一回、深川に来て考え直して欲しいと。それでも進学校は日本中にあり、どう考えても後発組で生き残ることは難しい。そんなときに閃いたのが「広域通信制高等学校」というアイデアでした。

 通信制でありながら「全日型教育」という新たな学びのスタイルであれば活路が見出せる。しかも、当時は年間10万人の高校中退者が社会問題となっていました。そうならば、全国に先駆けて中退しない高校をつくればいいと日本で6番目、25年ぶりの認可をいただきました。

 高校に来れば先生と生徒が本当に仲良くできる。例えば、いじめのない学校です。いじめがないから、学校もやめたくならない。そんな学校をつくりたいと思いました。これが最初のスタートでした。この理念は今でも続いています。

 ─ 生徒本人もそうですが、その家族が喜びますね。

 大橋 そうですね。学校に行かない子がいる家庭はどうしても暗くなりがちです。お子さんをクラークに通わせようとしているお母様からはよく「友だちはできますか?」「うちの子を理解してくれる先生はいらっしゃいますか?」「大学へ行けますか?」「就職できるでしょうか?」といった質問をされます。そこで私たちは「クラークは大丈夫です」とお答えします。

 実際、クラークを卒業する生徒たちは卒業式で涙を流し、保護者の方々からは感謝のお手紙をたくさんいただいています。ですから不登校は学校制度の問題ではありません。家族同士が信頼関係を構築し、血の通った親子になっているか。その手助けを学校がするということです。

 ─ 学校が持っている本来の役割の1つですね。

 大橋 はい。ですから、私どもでは本校を除き、40カ所ある直営キャンパスには校門がありません。専門学校のような佇まいをしています。我々が1つの意思表示をしているからです。すなわち「ここから我々は逃げていきませんよ」と。それをご家族が信じてきてくれているということです。

 通う学校がなくて困っていた子どもたちが、クラークに通い始めたら不登校でなくなったと。そういう生徒はたくさんいます。保護者の方々も「うちの子がクラークに行き出してから勉強もしています」と喜ぶ声をたくさんいただいています。




 ─ 大橋さんがクラークという名前に込めた思いとは?

 大橋 私が小学校4年生のときに読んだ国語の教科書に「Boys, be ambitious.」の言葉を遺したクラーク博士のことが題材となっていました。そのときのクラーク博士の思いが自分の心の中に生きていたのです。そして、高等学校をつくるときも場所が北海道でしたから「クラークさんだ」と思いました。

 北海道庁に行って確認していたところ、「誰もクラークという名前をつけていない」ということで、最初は認めていただけませんでした。しかし私にとっては小学校4年生のときに国語の教科書で読んだ衝撃がある。諦めきれなかった私は、クラークさんの末裔を探したのです。

 ─ 見つかったのですか。

 大橋 はい。調べてみると、4代目はカナダの小さな街の市長さんで、5代目はお嬢様で会計士をしておられました。連絡がとれた4代目の方から「自分はもう年なので、もし日本に行けるチャンスがあれば娘を行かせてやって欲しい」と。それでお嬢様が来日してくれたのです。

 ─ 道庁の人たちの反応はどのようなものでしたか。

 大橋 皆さん、びっくりされていましたね(笑)。そして、クラーク家のお嬢様の来日に合わせて当時の横路孝弘・北海道知事と青島幸男・東京都知事も是非ともお目にかかりたいと。さらには兵庫県の貝原俊民知事も会いたいとおっしゃいましてね。やはり、この年代の方々にとってクラーク博士のBoys, be ambitious.の精神は自身に大きな影響を与えたのでしょうね。

 ─ クラークが説いた『志』は人々の心にずっと生き続けていますね。ただ、最近では「青年よ、大志を抱け」といったフレーズはあまり聞かれませんね。

 大橋 そうですね。そもそも保護者がBoys, be ambitious.を実行していないからかもしれません。そして、子どもたちも、そんなに大きな人生を考えていないということもあるのかもしれません。若者の志が少し小さくなっているような気がしてなりません。

 ─ そういう中でクラーク高校は志を教え込んでいると。

 大橋 はい。もちろん学業もしっかり寄り添います。1年生は学校の授業が終わってから、放課後に中学校の補習もやっています。そうすると、生徒たちも徐々に分かってきます。あのときは分からなかったけれども、こんなに分かるんだと。生徒は分かるということを学ぶと自らも頑張るものです。

 ─ 米国のクラーク家を訪ねるという大橋さんのその情熱はどこから出てくるのですか。

 大橋 そのときは何が何でもクラーク博士をと思っただけです。北海道庁からクラーク博士の名前を冠するに値する根拠が欲しいと言われ、これはもうクラーク博士の子孫を見つけて我々の教育を見てもらう以外にないと。その一心でした。

 そのお嬢様にはすでに開校していた兵庫県の「専修学校国際自由学園 芦屋校」や大学予備校なども見学していただきました。また、現在の「クラーク記念国際高等学校 東京キャンパス」にも来ていただき、先生や生徒たちにも会っていただきました。

 ─ 大橋さんの志や情熱を感じ取ってもらえたのですね。

 大橋 とにかく自分たちの教育をしっかり見ていただき、お嬢様からは「クラーク家としてクラーク記念国際高等学校を認めます」というサインをしていただきました。お嬢様はお父様にもご連絡をされ、「素晴らしい」と言っていただきました。

 実はその後、10年ほどが経ち、市長を退任されたお父様も来日して深川のクラーク高校を見学されたのです。そして、お父様も「うちの娘が来て認めて良かった」と。お嬢様も、「私の5代前のおじいさんが日本でこんなに尊敬されている教育者になっているとは知りませんでした」と驚かれていました。




 ─ 創志学園はグローバル化も早かったですね。

 大橋 1990年に「インターナショナル・パシフィック大学IPC(2015年にIPUニュージーランドと改称)」を開学しました。当時、日本人の若者は留学に憧れて海外に行っていたのですが、多くの若者が失敗。卒業証書を持って帰国する学生は僅かしかいなかったのです。

 それならば、自分で海外に大学をつくり、入学するときは英語ができなくても良いから日本人やアジアの学生たちを入学させ、卒業するときには大卒にふさわしいだけの学力や英語力を備えた人材をつくりたいと思ったのです。そう決めて海外につくろうと。

 それで米国の各州を視察に行ったのですが、学生の生命・財産の保証が難しかった。その後、ご縁があってニュージーランドに視察に行くと、国民性も素晴らしく、候補地の街の治安も良い。時間の流れがゆっくりしている。こういう場所であれば学生たちものびのび勉強ができるなと思いました。そして、建国150年にあたる1990年に認可されました。

 開学から30年以上が経ち、一時はコロナの影響で学生数が激減したのですが、今では400人規模にまで回復しました。日本のみならず、アジアを中心に世界中から学生が来てくれる全寮制大学に成長しました。今はここに中高一貫の学校をつくろうと準備をしているところです。

 1人でも多くの国際性豊かな人材を育てることが目標です。海外の大学に短期留学して国際性を身に付けようと思っても簡単なことではありません。むしろ、様々な文化背景を持つ国々の学生が集い、同じ空間で生活を共にし、同じ釜の飯を食べる。土日も朝も夜も一緒に生活していれば時に議論もするでしょう。

 しかしそういった生活を経て本当にお互いが仲良くなれるのです。私はそれが「真の国際性」だと思います。

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