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野村不動産HD社長・新井聡の「新・不動産戦略」「東京・芝浦エリアの姿を変えていく」

財界オンライン / 2024年5月6日 18時0分

新井聡・野村不動産ホールディングス社長グループCEO

「芝浦プロジェクトはブレイクスルーの起点であり、次世代に野村不動産を引き継ぐ上でのターニングポイント」─野村不動産HD社長の新井聡氏はこう話す。同社は2025年、本社を現在の東京・新宿から芝浦エリアの「芝浦プロジェクト」S棟に移転する。オフィスの色彩が強い、このエリアを商業やホテルなど、全く違う姿に変える。そこでは「新たな働き方」も模索。野村不動産が考える新たな街の姿とは。


「金利が付く時代」で不動産市況はどうなる?

「2016年に導入されたマイナス金利が、これほど長く続くとは当時思っていなかった。金利が付く世界という正常に戻るのはいいこと」と話すのは野村不動産ホールディングス社長グループCEO(最高経営責任者)の新井聡氏。

 2024年3月19日、日本銀行が金融政策決定会合で、マイナス金利の解除やイールドカーブ・コントロール(長短金利操作)の終了といった政策変更を決めた。日本に再び「金利が付く時代」が到来した。

 マイナス金利で苦しんだ銀行業界は、預金や貸出に金利が付くことで力が戻ることが期待される一方、住宅ローン金利や資金調達コストの上昇が見込まれる不動産業界に対しては懸念の声があることも事実。

 ただ、新井氏は「正常になることと、金利水準が切り上がっていく話は別。金利がどんどん切り上がることはないと考えると、不動産市況に金利が大きな影響を与えるということを、この1年は考える必要はないのではないかと見ている」と話す。

 それ以上に、各企業が行っている賃上げや、株価が上昇したことに伴う資産効果の方が、不動産マーケットにプラスに働くのではないかと指摘。

 個別の分野で見た時に、オフィス市況をどう見通すか。「都市圏でのオフィス供給は増えていない。その中で23年、25年は比較的供給が多く、短期的には多少、空室率の上昇が見られるかもしれないが、我々の既存オフィスの空室率が上がるという事態にはなっていない」と新井氏。

 逆に、野村不動産が展開する中規模高級オフィス「PMO」は23年度に供給が多かったが、リーシングは想定より強めで、順調に推移したという。「お客様のニーズを捉えたオフィスを供給できれば埋まっていくのではないか」

 コロナ禍においてリモートワークが普及し、今もハイブリッドで展開している企業なども多いが、「コロナ禍を経て、出社して、人が集まることで上がる生産性や、リアルで話すことで出るよさなどが見直されているのではないか」と新井氏。そのニーズを満たすことができる企画力が問われ、その中でオフィスも選別の波にさらされる可能性はあるものの、総じてオフィス需要は今後も底堅いのではないかという見方。

 一方、マンション市況を見ると、この数年の供給戸数は年間3万戸前後で、直近のピークだった2000年の約9万6000戸から見ると3分の1以下の水準が続き、価格は高止まりしている。

 野村不動産の体感でも、マンションギャラリーへの訪問や、サイトへのアクセスは引き続き強く「全く落ちていない。市況の陰りを感じる兆しはない」。

 試算によると、世帯年収1200~1500万円の世帯が、自己資金1000万円、借入7000万円で8000万円の住宅を購入する場合、0.1%の金利上昇で月々の返済額は3000円程度の上昇が見込まれている。この金額をどう見るかは個人差があるだろうが、賃上げが進めば吸収できる可能性がある。

 その意味で、今の市況の継続には「賃金・物価の好循環」が継続することが大前提だということも言える。

 用地の取得は立地や価格などの面で難易度が高まっているが、「厳しい環境の中でも再開発案件など、想定通り取得できている」という。ただ、建築費は下がる見通しにはないが、野村不動産としては「価値のあるものを提供することで、お客様に一定の価格上昇をご納得いただけるような施策を取っている。建築費高騰は続くだろうが、我々の立ち位置は悪くない」と話す。


東京・芝浦エリアを新しい街に

 そんな中、野村不動産HDは現在、新たな街の開発を進行中。それが「芝浦プロジェクト」。浜松町ビルディング(東芝ビルディング)の建て替えと、JR東日本が保有する「東海道貨物支線 大汐線用地」を活用し、オフィス・ホテル・商業施設・住宅を含む高層ツインタワーを開発。

 区域面積は約4.7ヘクタール、延床面積は約55万平方メートル、高さは約230メートル。「S棟」は25年2月竣工予定、「N棟」は30年度竣工予定となっている。

 野村不動産HDは25年に、この芝浦プロジェクトS棟に、現在の新宿野村ビルから本社を移転。約50年ぶりの本社移転となる。この社運を賭けたプロジェクトへの新井氏の思いはどうか。

「野村不動産は創業して67年。野村証券の資産管理会社からスタートし、住宅事業で成長した会社だが現在は多角化し、それらの事業も順調に来ている。ただ、さらに次の30年、50年を見据えた時にブレイクスルーが必要。不動産開発は建物にどう付加価値を付けるかが重要。芝浦プロジェクトはブレイクスルーの起点であり、次世代に野村不動産を引き継ぐ上でのターニングポイント。ここからまた、新しい野村不動産になっていく」

 現在はオフィスの色彩が濃いエリアだが、ここに新たなオフィスだけでなく、日本初進出のフランスのラグジュアリーホテル「フェアモント」が入り、商業施設ができるとなると、これまでとは全く違う姿の街となる。

「空だけでなく海や緑が見ながら働くことができる。単に働く場所を提供するだけでなく、そこで働くことで付加価値を高められる環境を提供するには、本当にいい場所」と新井氏。

 野村不動産はこの場所での働き方として、「ワーケーション」(ホテルやリゾート地で働く過ごし方)を実現する「トウキョウ ワーケーション」を提唱。この新しい働き方を、日本全国に発信すると同時に、それを世界に発信していく考え。

 すでに、本社移転を前に、様々な部署が交代でS棟のフロアで働く「トライアルオフィス」を運用し、新しい働き方に向けた模索を始めている。

 これまでの新宿とは大きく環境が変わるが、実際に芝浦で働いた社員からは「気持ちよく働くことができる」という声が挙がっている。しかし新井氏は「大事なのは気持ちよく働くことの先に、そこで生まれる付加価値が高まるか」と強調。

 実際に移転した後は、部門間の垣根を越えて、顧客に新たな価値を提供していくことを目指す。そのためにオフィス内の壁は極力取り払い、上下階を内階段で行き来できるようにするなどしたコミュニケーションが取りやすいオフィス環境の構築を進めていく考え。

 しかも、野村不動産が実践した新しい働き方を、今後この芝浦プロジェクトに入居する企業にも提供し、ビル全体の生産性を高めていく構想。「我々のテナントさんだけではなく、日本全体に提供できるようなものを創り出していけないかと考えている」と目指す目標は高い。

 また、前述の芝浦プロジェクトは、周辺エリア全体に好影響を与えることを目指すもの。竹芝地区、浜松町二丁目地区での再開発と連携し、一体感のある街づくりを目指す狙いで17年に「三地区連絡会」を立ち上げ、活動している。


2030年ビジョンに掲げた新たな姿になれるか

 野村不動産HDは22年4月に、グループの2030年ビジョン「まだ見ぬ、Life & Time Developerへ」を策定した。新井氏は、このビジョンが打ち出された直後に野村ホールディングスから移籍して入社している。

「手前味噌だが、非常にいいビジョンではないかと思っている。我々が提供しているのは建物だけでなく、人々の『Life』や『Time』を開発していくデベロッパーになっていくという意志を示している」

 野村不動産HDはグループでオフィスやマンションだけでなく。ホテルやフィットネスジムなど、様々な事業を手掛けている。「どの部門で働く人も、お客様に新しい『Life』や『Time』を提供していくかを考えて動くことができる。これを1人ひとり、各組織が考えて、会社全体で確認していくことが大事」

「Life」の観点では、例えば22年に個別指導塾「スクールIE」などを運営する学習塾大手・やる気スイッチグループと資本業務提携。24年4月には野村不動産が展開するフィットネスジム「メガロス」内に、やる気スイッチHDの幼児園「i Kids Star メガロス町田」を開園した。

「まだ緒についたばかり。お子様をお預かりする責任の重さを感じており、まずは我々がきちんとお預かりできるかを確認しながら進めていく」

 顧客に新しい「Life」、「Time」を提供するのに不可欠のパーツが、グループ内に整ってきつつあると新井氏は実感している。

 野村不動産HDは海外を成長事業と位置づけている。注力エリアはフィリピン、ベトナム、タイといった東南アジア諸国。野村不動産HDは一度撤退した海外事業に再挑戦してから、まだ10年経っていない。「我々がやりたいこと、やるべきことが明確になったのが、この2、3年」と新井氏。

 当初、各地の現地企業が野村不動産に期待したのは「資金面」だった。それが今は各地域の現地パートナーが、野村不動産が日本で物件に付けている付加価値について理解し始めており、開発においても現地企業は野村不動産の意向を確認し、それをプロジェクトに反映している。

「日本が人口減少で、不動産ビジネスの将来性がないから、消去法的に海外で事業を展開するというのでは駄目。我々が日本で積み上げた付加価値を東南アジアで実現していくことが大切。そして欧米で事業の種を仕込むのにはいい時期だと考えている」(新井氏)

 野村不動産に入社する前はマンションブランド「プラウド」に代表されるブランド戦略で成功した会社だろうと見ていた。しかし入社後には印象が変わる。「長い時間軸で仕事をしており。『いいものをつくろう』というこだわりがとても強い会社」


筆頭株主・野村HDとの関係は今後どうなる?

 新井氏の出身である野村HDは、野村不動産HD株式を約35%保有する筆頭株主。だが17年には日本郵政と買収に向けた交渉を行ったことが明らかになるなど、今後関係がどうなるかが注目されてきた。

 だが、現在の野村HDグループCEOの奥田健太郎氏は「パブリックからプライベートへ」という戦略を掲げ、機関投資家や富裕層ビジネスにおいて不動産や未公開株といったプライベート資産の拡充に向けて、野村不動産HDとの連携強化を打ち出している。

 新井氏はこの動きをどう見ているのか?「野村証券時代に感じていたのは、金融資産はお客様の資産の一部に過ぎないということ。個人も法人も、資産の中にほぼ必ず不動産が入っている。お客様の資産に関するサービスをきちんと提供していこうと思うと、金融と不動産は不可分。金融と不動産を近づけることで、お客様にこれまでにないサービスを提供できるのではないか」と期待を寄せる。

 新井氏は1965年6月生まれで愛知県出身。私立東海中学、高校で剣道に打ち込んだ。中学・高校剣道部の同級生で、共に汗を流した仲間には、現在みずほ銀行頭取を務める加藤勝彦氏がいる。剣道を始めたのは「体が弱かったから」で、親の薦めで始めたのだという。

 88年東京大学経済学部卒業後、野村証券(現野村ホールディングス)入社。11年野村証券執行役員、14年常務執行役員、17年野村HD執行役員、19年野村証券副社長、22年4月野村不動産取締役、同年6月野村不動産HD取締役副社長、23年4月代表取締役社長グループCEOに就任という足取り。

 自身を「飽きっぽい」と分析するが、それが野村証券への入社の動機になった。「当時は就職した会社で定年まで働くだろうから、マーケットに近いところにいた方が変化があって面白いだろうと。ただ、思った以上に変化があって辛かった(笑)」

 確かに、入社翌年に日経平均は当時の史上最高値を付けたものの、翌年以降はバブルの崩壊もあり、証券業界にとって厳しい時期が続いた。

「厳しい環境の中でお客様に商品を買ってもらおうと思うと。自らの工夫で需要を喚起し続けなければならなかった。いい経験をさせてもらった」

 当時の野村証券は社内での競争も厳しかったが「競争に勝つよりもお客様に喜んでもらいたかった」とあえて競争からは距離を置いていた。

「いいものをつくろう」という野村不動産が持つDNAと、新井氏の「顧客のために」という精神を融合させ、国内外で成長を目指す。

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