特集2017年4月26日更新

悲劇の墜落事故乗り越え…シャペコエンセは今

ブラジルの小さなサッカークラブを襲った悲劇。2016年11月、コロンビアに向かう途中の飛行機が墜落し、71名が帰らぬ人となりました。その中に、遠征に向かう途中だったブラジルのサッカークラブ「シャペコエンセ」のスタッフ・選手も含まれていたのです。そして彼らの中には、日本と縁のある監督・選手もいました。日本のみならず、世界中のサッカー界に大きな衝撃を与えたこの事故と、その後の彼らを追いました。

2016年11月28日に起きた悲劇

小さなクラブの快進撃

1973年に創設されたシャペコエンセは、ブラジル南部のサンタカタリーナ州にある人口20万人ほどの街、シャペコをホームタウンとするサッカークラブ。長らく下部リーグで低迷していましたが、2009年に就任したオーナーの熱意もあり徐々に成績もアップ。2014年に一部にあたるセリエA昇格を果たすと、2016年、J1の神戸で指揮を執ったこともあるカイオ・ジュニオール監督のもとセリエA9位となり、南米タイトルのひとつ「コパ・スダメリカーナ」の出場権を獲得しました。この大会でアルゼンチンのインデペンディエンテやサンロレンソといった名だたる名門クラブを撃破し、決勝進出というクラブ史上初の快挙を成し遂げました。 シャペコエンセはクラブとしての規模も小さく、予算もそれほどないためスター選手もいませんでしたが、この快挙に街は沸き立ち、2016年11月28日、決勝の相手であるコロンビアのアトレティコ・ナシオナルのホームであるコロンビアのメデジンへ向かいました。

11月28日、飛行機墜落事故発生

11月28日の夜、乗務員・乗客77名を乗せたボリビア初のチャーター機が目的地であるコロンビアのメデジンに向かう途中、墜落したと報じられました。この事故により71名の尊い命が失われ、遠征のためこの飛行機に搭乗していたシャペコエンセのスタッフ・選手からも多数の犠牲者が出る事態となりました。

月曜日(11月28日)の夜、コロンビアのメデジン郊外の山中にて旅客機が墜落し、71名が死亡したとのニュースが伝えられています。乗客の中にはブラジルのプロサッカーチームも含まれており、現地警察の報道では6名の乗客が助けられているとのことです。

6名の生存者情報

29日、ブラジルメディアより6名の生存者の情報が報じられました。

現時点で生存が確認されているのは、シャペコエンセに所属するDFネット、GKジャクソン・フォルマン、DFアラン・ルシェウの3選手。また、ジャーナリストのラファエウ・ヘンゼウ氏、客室乗務員のエルウィン・トゥミリ氏、キメーナ・スアレス氏の合計6人。ルシェウ、フォルマンと共に、飛行機から救出されたGKダニーロ・パジーリャは、搬送された病院内で息を引き取ったとのことだ。

また、この遠征に参加せず生存確認がされたのは9名。

かつてJリーグのアビスパ福岡に在籍していたMFモイゼス、DFラファエウ・リマ、DFデメルソン、GKマルセロ・ブック、MFネネン、FWアレハンドロ・マルティヌシオ、MFヨラン、GKニヴァウド、MFアンドレイ

事故の原因は?

コロンビア航空当局による事故調査では、「人為的なミス」が原因ではないかという中間報告がされています。

今回の事故は当初、電気系統の故障や燃料切れによるものだとの考えが広まっていた。しかし、コロンビア航空当局は「今回の事故でテクニカルなミスは確認できておらず、人為的なものによる事故の可能性が高い」と発表。チャーター機の機長が燃料不足を認識していたにも関わらず飛行を継続したこと、積載量の規定を越えて荷物を積み込んでいたこと、機長の作成した飛行計画書の不備があったことを指摘している。

日本と関わりのある監督・選手も

サッカー史上まれに見るこの悲劇の犠牲者の中には、かつて日本のJリーグと関わりのあるスタッフも含まれていました。

元ヴィッセル神戸のカイオ・ジュニオール監督や、かつてセレッソ大阪やジェフユナイテッド千葉でプレーしたFWケンペス、昨シーズンアビスパ福岡でプレーしたMFモイゼス、同じく昨シーズン川崎フロンターレでプレーしたMFアルトゥール・マイア、2005年に柏でプレーしたMFクレーベル、2010年に京都サンガF.C.でプレーしたMFチエゴ、2009年にコンサドーレ札幌でプレーしたMFハファエルなどがJリーグに所縁ある選手が所属。

同日、FIFA会長が声明を発表

「フットボール界にとって、とても、とても、とても悲しい日となった。コロンビアで起こった飛行機事故について聞いた時、気の毒な気持ちになった。それはとても衝撃的で、悲劇的なニュースでした」
「非常に難しい時だが、我々は犠牲者、彼らの家族や友人とともにあります。FIFAはシャペコエンセのファン、そしてフットボールコミュニティ、ブラジルのメディアに哀悼の意を表します」

世界中に広がる悲しみ

スーパースター達からのメッセージ

ペレ

ディエゴ・マラドーナ

リオネル・メッシ

ネイマール

国境を越え、サッカー界が哀悼の意

悲劇の一報を受け、シャペコエンセはクラブの公式ツイッターにてクラブカラーである緑色のロゴを白黒に変更し、弔意を表すと、ブラジルの各クラブも呼応。サンパウロやサントス、フラメンゴ、インテルナシオナル、フルミネンセなどがそろってシャペコエンセの白黒となったクラブロゴをアイコンに使用。連帯を示している。
クラブだけでなく、南米サッカー連盟や国際サッカー連盟もツイッターのアイコンを白黒に変更。ブラジルのメディアなどもシャペコエンセのロゴを使用するなどし、哀悼の意を示している。

シャペコエンセ

サンパウロFC

サントスFC

CRフラメンゴ

SCインテルナシオナル

フルミネンセFC

南米サッカー連盟(CONMEBOL)

日本サッカー協会・ 田嶋幸三会長のお悔みの言葉

「この度の飛行機事故により多くの方々が犠牲になられたということを知り大変に驚き、またとても残念に思っております。亡くなられた皆様には心より哀悼の意を表し、またご家族やご友人の方々には心よりのお悔やみを申し上げます。 今後の救助活動によって1人でも多くの方の命が救われることをお祈り致します」

また、Jリーグからもチェアマンをはじめ、各クラブからも哀悼の意を示しました。

12月3日、4日には追悼の意を表し、試合会場にて黙とうを実施しました。

Jリーグに所属していた選手も…

前述したように、この事故の犠牲者の中には、過去にJリーグのクラブに所属した監督・選手が含まれていました。Jリーグ、そして過去に彼らが所属していたクラブが哀悼の意を表しています。

カイオ・ジュニオール監督

カイオ・ジュニオール監督が2009年シーズンの途中まで指揮をとっていたヴィッセル神戸。公式サイトで当時の当時の選手や現選手のお悔やみを掲載しました。

「乗客の中に、シャペコエンセ監督で、ヴィッセル神戸では2009シーズンに6月まで監督としてチームの指揮を執ったカイオ ジュニオール氏も含まれているとの報道を受け、クラブ一同で無事をお祈りしておりましたが、ブラジル最大の放送局ヘジ・グローボ(Rede Globo)の報道やシャペコエンセオフィシャルSNS等により、残念ながらご逝去されたとの知らせを受けることとなりました。その他にも数多くの偉大なサッカー選手、スタッフ、乗客、乗組員が事故の犠牲となりました」

ケンペス

ケンペス選手はセレッソ大阪、ジェフユナイテッド市原・千葉に所属。千葉時代にはJ2得点王にも輝いています。

12シーズンに来日。初の国外移籍だった。C大阪に所属し、同年のJ1リーグ戦で7得点を記録。翌年は千葉に活躍の場を移し、J2リーグ戦で22得点を挙げて、得点王を獲得した。14年限りで日本を離れ、ブラジルに帰国。今季よりシャペコエンセでプレー。

2013年、2014年シーズンにJリーグでプレイしたジェフユナイテッド千葉が公式サイトでお悔やみの言葉を掲載しました。

「ケンペス選手は当クラブにおいて通算77試合に出場。38得点(リーグ・昇格プレーオフ・天皇杯含む)をあげジェフの勝利に大きく貢献。在籍1年目にはJ2リーグ得点王にも輝くなど大変輝かしい功績を残されました。彼の活躍を改めて称え、ご冥福をお祈りいたします」

2012年に所属していたセレッソ大阪も当時の所属選手らによるお悔やみの言葉を公式サイトで掲載しています。

また、同クラブのアンバサダーを務める森島寛晃氏もクラブ公式HPでコメントを発表。「このたびは、同じサッカー人としてこのようなニュースを聞いて大変驚いています。選手をはじめチーム関係者、亡くなった方々に心よりお悔やみ申し上げます。また、セレッソでプレーをしていた同僚ケンペス選手もこのたびの事故にあったと聞き、攻撃的なセレッソ大阪のチームを本当に引っ張ってくれた選手だっただけに当時の活躍を改めて思い出されます。サッカー界でこれからまだまだ活躍される選手だっただけに本当に残念でなりません」と、哀悼の意を示している。

事故後に行われたJ1昇格プレーオフ決勝で勝利したセレッソの柿谷選手は、ケンペス選手の同僚。試合後、涙を流し彼に対する思いを語りました。またこの試合、出場メンバーは彼が在籍時に背負っていた背番号9をのジャージを着て入場しました。

「サッカー選手として今があるのはケンペスのおかげやと思っている。言い過ぎかもしれないけど、ケンペスとFWをするようになってから点が取れるようになったので」
C大阪はこの日の入場の際、全員がケンペス選手が在籍時に背負っていた背番号9のシャツを着て登場。これはキャプテンの柿谷の発案によるものだという。ベンチには選手全員がメッセージを書き込んだ当時ケンペス選手が着ていたユニフォームが飾られていた。
「本当に楽しかった思い出もいっぱいありますし、今日も見てくれてると思っていたので、恥ずかしいところは見せられないなと思ってプレーしてました」

クレベール・サンタナ

クレーベル・サンタナは2005年に「クレーベル」の登録名で柏レイソルに所属。当時不振にあえいでいたチームの中で中盤の要として孤軍奮闘しました。その後はスペインなどでも活躍。柏は、社長の追悼コメントを公式サイトに掲載しています。

「コロンビアで事故に遭った航空機に、2005シーズンに柏レイソルに在籍していたクレーベル・サンタナ・ロウレイロ選手(登録名:クレーベル)が搭乗していたという報道を受け、弊クラブのブラジル人スタッフや通訳を通し、またメディア機関にも問い合わせながら、情報確認を続けてまいりましたが、ブラジルの報道機関である『グローボ』や、所属クラブ『シャペコエンセ』のクラブメディアなどにより、クレーベル選手が逝去されたという知らせを受けることになりました。謹んで哀悼の意を表し、ご遺族の方々には心よりお悔やみを申し上げます」

#Cleber #chapecoense #forcachape #reysol #クレーベル #柏レイソル

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2005年にチームメイトだった柏のキャプテン・大谷秀和もtwitterで「今でもSNSで繋がりがあって一昨日もいいねをしてくれてたのに。まだ信じられません。」とコメント。

アルトゥール・マイア

2015年にマイア選手が所属していた川崎フロンターレの公式サイトで社長が哀悼の意を掲載しています。

「アルトゥール・マイア選手の突然の悲報に接し、言葉を失っています。24歳という若さ、ご家族皆様のお気持ちを思うと悔しさばかりが募ります。一緒に過ごした時間は短かったですが、共に勝利を目指して戦った大切な仲間としてとても残念です。いつか彼がブラジルを代表する偉大な選手となり、ピッチで対戦できる日が来ることを夢見ていました。今回の痛ましい事故により、Jリーグで共に戦った多くの仲間が犠牲になりました。今はただ救助された方々の一日も早いご快癒をお祈り申し上げます。遠方の地より謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心からご冥福をお祈りいたします」

チームメイトだった中村憲剛はブログを更新。

「昨シーズン、途中加入という難しい状況であるなかマイアは日本の文化に慣れようと、私たちに溶け込もうと、フロンターレのサッカーに適応しようと、日々の努力を惜しまず一切妥協をしない素晴らしい選手でした」

ウィリアン・チエゴ・ジ・ジェズス

チエゴ選手は2010年に京都サンガに所属。公式サイトで哀悼の意を表しています。

2010シーズン京都サンガF.C.の一員として共に戦った、チエゴ(William Thiego De Jesus)選手が搭乗しており、報道を受けた際は、一縷の望みがあるかぎり無事を信じておりましたが、残念ながら逝去された知らせを受けることとなりました

事故後のシャペコエンセ

世界中からシャペコエンセへ救いの手

11月29日、コリンチャンス・サントス・サンパウロ・パルメイラスの4クラブは会談を行い、各クラブからの無償レンタルなど、公式サイトでシャペコエンセ救済に向けた声明を発表しました。また同様な援助の申し出が、ブラジル国外からも出ています。

◆救済策1
2017シーズン、シャペコエンセは各クラブから多くの選手を無償レンタルで獲得できる

◆救済策2
シャペコエンセは、2017シーズン以降の3シーズンに関して、セリエB(ブラジル2部)への降格対象から外す。この間に彼らが降格対象の17位以下でシーズンを終えた場合、16位のクラブが降格対象となる特例措置の導入

チーム再建へ動き出す

新監督は日本でもプレーした人物

新指揮官に就任したV・マンシーニ監督は、1966年生まれの50歳。選手時代はグアラニやボタフォゴ、グレミオなどを渡り歩き、1996年には日本の本田技研でプレーした。以降も数々のクラブを渡り歩き、2004年に現役引退。指導者に転身し、サントスやヴァスコ・ダ・ガマ、クルゼイロなどで指揮を執った。

下部組織から11人を昇格、外部から20人を補強

先日、クラブは下部組織から11人を昇格させたが、今回、クラブ幹部のルイ・コスタ氏は、新シーズンに向けてフリートランスファーの選手やレンタルの選手など20人の選手を補強すると話した。「多くのクラブがパートナーになってくれている」。

Jクラブからシャペコエンセに移籍する選手も

飛行機墜落事故により主力選手の大半を失ったシャペコエンセは、元アビスパ福岡のMFモイゼスを除いた10名が新加入選手というスタメンの顔触れとなり、スポルチから加入したMFトゥーリオ・デ・メロがキャプテンマークを巻いた。なお、京都サンガF.C.から加入したMFアンドレイはベンチスタートとなっている。

事故以降初の公式戦

1月26日、同じサンタカタリーナ州を本拠地とするジョインヴィレと対戦し、スコアレスドローとなりました。

飛行機墜落事故により主力選手の大半を失ったシャペコエンセは、元アビスパ福岡のMFモイゼスを除いた10名が新加入選手というスタメンの顔触れとなり、スポルチから加入したMFトゥーリオ・デ・メロがキャプテンマークを巻いた。なお、京都サンガF.C.から加入したMFアンドレイはベンチスタートとなっている。

そして事故以降初の飛行機移動も

初試合の5日後となる31日、遠征の移動のため、飛行機移動を行いました。サッカー選手なら当たり前のことでも、あの事故の関係者なら、かなり勇気がいることだったかもしれません。

事故後初となる飛行機移動に関して、同クラブのフットボール・ディレクターを務めるルイ・コスタ氏は「私たちの仕事においては、ごく当たり前のことだ。飛行機でも、バスでも、車でも移動しなければならないし、生活の一部なんだ」とコメント。続けて、「選手たちも特に何も言っていないし、私たちも特別なこととは考えていない」と語り、今回のフライトに特別な感情は抱いていないことを強調した。

墜落事故から5カ月、シャコペンセが初タイトル

4月15日、サンタカタリーナ州選手権である「カンピオナート・カタリネンセ」のセカンドステージ優勝を果たしました。通常のチームでも、チームの選手が複数入れ替わると連携や戦術などの見直しが必要になり不調になることも珍しくないサッカー界で、所属選手のほとんどを失ったチームがこれほどの短期間で結果を出すのは驚異的なことだと思います。

 昨年11月にコパ・スダメリカーナ2016の決勝会場に向かう途中で、選手、クラブ関係者を乗せた飛行機がコロンビアで墜落し、搭乗者の大半を占める70人以上が犠牲となったシャペコエンセ。その後、新たな選手たちを加え再始動し、州選手権で奮闘していた。ファーストステージは惜しくも2位だったが、セカンドステージは1試合を残して見事に優勝を手にした。
 事故当日のコパ・スダメリカーナ2016決勝では、対戦相手のアトレティコ・ナシオナルが試合を辞退し、優勝を譲ったため、タイトルを獲得していたシャペコエンセだが、実際に対戦して勝ち取ったタイトルは事故後初めてとなった。

8月15日、シャペコエンセが日本にやってくる

「スルガ銀行チャンピオンシップ」へ来日が決定

コパ・スダメリカーナ決勝を戦うために移動していたシャペコエンセに対し、アトレチコ・ナシオナルが同大会のタイトルを譲っていたが、新チームの始動や過密日程の影響からスルガ銀行チャンピオンシップへの出場を辞退する可能性が一部で報じられていた。
▽今回、CONMEBOLが正式発表したことにより、来日が決定。ルヴァンカップ王者である浦和レッズと対戦する。
開催日2017年8月15日(火)
キックオフ19:15
対戦カード浦和レッズ(ルヴァンカップ王者)
vs
シャペコエンセ(コパ・スダメリカーナ王者)
開催場所埼玉スタジアム2002

村井満Jリーグチェアマンがシェペコエンセを訪問

8月に開催される「スルガ銀行チャンピオンシップ2017SAITAMA」で義援金募金活動を実施するとともに、Jリーグが拠出する義援金100万円と、主管試合で実施した義援金募金を8月に贈る予定となっています。また、シャペコエンセユースチームをJリーグ主催のアカデミー大会に招待することも決まりました。


世界中を悲しみに突き落としたシャペコエンセの墜落事故ですが、あの悲劇からわずか5カ月でタイトルを獲るまでになっていたとは驚きでした。選手・関係者の努力には頭が下がるばかりですが、同時にサッカーの可能性の素晴らしさにも感動扠せられました。遺族や被害者へのケアや事故原因の確定などの問題はまだ残っていますが、せめてサッカーだけでは、悲しみを吹き飛ばすような活躍を今後も続けて欲しいと思います。フォルツァ、シャペ!