坂口憲二や今井翼も…難病と闘う芸能人・著名人

2018年4月9日更新

先日、俳優の坂口憲二が難病「特発性大腿骨頭壊死症」のため、所属事務所の退社と芸能活動の無期限休止を発表しました。難病はあまり知られることがないため、著名人による公表が病を知るきっかけになることも。今回は、難病と向き合っている芸能人・著名人についてまとめてみました。

特発性大腿骨頭壊死症

股関節を構成する大腿骨頭が、血流の低下によって壊死する難病。
医療費が助成される厚生労働省の特定疾患に指定されている。患者数は約1万1000人とされ、年2000人ほどの患者が新規に発生しているとされる。治療法は確立されていない。壊死した後、骨がつぶれて痛み、歩行などが困難となった場合は人工関節に置換する手術などを行う。

坂口憲二(俳優)

俳優の坂口憲二(42)が国指定の難病「特発性大腿骨頭壊死症」のため、無期限で芸能活動を休止。所属事務所を契約満了となる5月末で退社することが31日に発表された。
坂口は6年前から右股関節の痛みに悩まされ、3年前に手術も受けていた。今後は治療に専念することを決断。坂口は所属事務所を通じた書面で「いつまた悪くなるかわからない状態でいざ仕事となったときに自分の力をセーブしながら続けるのも困難だと考え、この度の結論に至りました」と説明した。

しばらくは治療に専念

しばらくは治療に専念するという坂口は「しっかり体調を戻してから、自分のできることをやっていきたいと思います。それが表現の世界なのか、また全く違った世界なのかは、今現在はわかりません…」としつつ「自分のような人間がここまでやってこられたのも、業界の皆様、事務所の皆様、家族のみんな、そしてどんな状況でも応援してくれたファンの皆様だと思っています。皆様には感謝しかありません。本当にありがとうございました」とメッセージした。

堀ちえみ(歌手・女優)

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初めは腰痛だと思って整体やマッサージに通っていましたが、左右の足の長さが明らかに違ってきて、2015年に3つ目の病院でやっと特発性大腿骨頭壊死症と診断されたそう。手術の前3ケ月ぐらいは、あまりの痛みに毎日泣いて過ごしたといいます(ブログより)。

メニエール病

自分や周囲の風景がぐるぐる回っているような感覚になる「回転性めまい」を、週単位、年単位で何度も繰り返すことになるのがこの病気だ。
「症状は数十分から半日ほど続きます。低音が聞きにくい難聴、耳鳴りや耳が詰まった感覚(耳閉感)を併発します」
こうした症状が出るのは、内耳にある蝸牛や三半規管内のリンパ液が増え、感覚細胞が刺激されるため。
「原因としては、現在のところ、ストレスという説が強いです。男性の場合は仕事で抱えるトラブル、女性の場合は介護疲れから発症するケースが多いです」

今井翼(歌手・俳優)

3月29日、タレントの今井翼(36)がメニエール病の再発のため活動を休止することを発表した。当面は治療に専念するという。それに伴いレギュラーパーソナリティーを務めていたラジオ番組も終了となった。
今井は、今月中旬から度重なるめまいなどの症状を訴え28日に入院。メニエール病の症状の再燃だという。2014年11月にも発症し、治療のため約2か月間活動を休止していた。
翼がメニエール病を初めて患ったのが'14年11月のこと。各番組への出演やコンサートツアーを取りやめて治療に専念し、約2か月後にステージ復帰したのだった。

これまでに、歌手の久保田利伸や八代亜紀もメニエール病を発症しています。

若年性特発性関節炎

若年性特発性関節炎は、以前は若年性関節リウマチと呼ばれていた病気です。大人の関節リウマチが、16歳未満の小児期に発症したものです。関節の内側の滑膜(かつまく)で炎症が起こり、徐々に関節が動かしにくくなっていきます。病型は高熱時の細かい発疹を特徴とする全身型、5カ所以上に関節炎が見られる多関節型、4カ所以下に関節炎が見られる少関節型の大きく3つに分けられます。

三原舞依(フィギュアスケート選手)

2015-2016年シーズンにグランプリファイナル進出を果たす急成長。しかし、ファイナルでは関節炎に苦しみ、その影響もあって最下位の6位だった。階段を降りるのにも苦労するほどの痛みと戦っていたが、その病名が判明して1ヵ月間の入院。治療を受けながら今シーズン復帰していた。

黄色靭帯骨化症

靭帯が骨のように硬くなって脊椎を圧迫する病気で、足の痺れや脱力症状が現われ、重篤な場合は下半身麻痺に陥ることもある。

大隣憲司(プロ野球選手)

2013年春に行われた第3回WBCでも活躍。ところが、その年のシーズン中に難病「黄色靭帯骨化症」が発覚。懸命なリハビリを経て2014年は3勝、2015年には5勝を挙げるも、2016年は1試合の登板に留まり、昨季も1試合・3回2/3を投げて6失点の敗戦。オフに自由契約となっていた。

今年は千葉ロッテマリーンズと契約

「感謝の一言です。ただこれはスタートライン。これからが本当の勝負です。1勝でも多くして、チームに貢献をして優勝を目指していきたいです」

ギラン・バレー症候群

筋力の低下が進行する多発神経障害の一つで、子供からお年寄りまでかかることがあり、女性より男性の患者の方がやや多い病気です。一般には、両足の痛みやしびれが現れ、次第に筋力の低下(運動麻痺)が上半身に広がり腕に達します。腕や頭から始まり、下半身に進行することもあります。
両手足に力が入らなくなり、麻痺のために動かせなくなります。多くの場合、呼吸器や消化器の感染症が先行し、感染後1~2週間で症状が現れ、2~4週間で症状がピークになり、その後数ヶ月かけてゆっくり改善します。

芳根京子(女優)

中学2年時にギラン・バレー症候群を発症したことを明かした。ウイルスや細菌などの感染をきっかけに自己免疫機能が神経細胞の軸索などに障害を引き起こし、筋力の低下などの運動障害を発症する、国の特定疾患に認定された指定難病である。
この病を経験したことで、「自分をしっかり持とうと思ったからだと思います」と、自ら女優・芳根京子の「芯の強さ」の起源について語り、いつもと変わらない笑顔を見せたのが印象的であった。

ギラン・バレー症候群については、大原麗子さんや安岡力也さん、川口順子元外相、サッカー選手の佐藤寿人なども発症が伝えられています。

もやもや病

「もやもや病とは厚労省が指定する原因不明の特定疾患(難病)のひとつで根本的な治療方法はありません。
脳に酸素と栄養を送る太い動脈(内頸動脈)が詰まり、不足した血液を補うために細い血管が発達する。この微細な血管をレントゲンで撮影するともやもやっとしたタバコの煙のように写るので、もやもや病と名付けられた。
歌を歌ったり、ラーメンをフーフーしながら食べたりすると、呂律が回らなくなり虚脱状態になったりする。最悪の場合、この細い血管が破れて脳出血を引き起こし、死に至るケースもあります」

徳永英明(歌手)

徳永さんが最初に倒れたのは2001年5月のこと。のちに「頭が痛くなり、痺れたり、言葉がうまく話せなくなった。歌っていてもテンポが遅れてしまう」と述懐した症状は、「もやもや病に伴う一過性脳虚血発作」と診断されて当時のツアーも途中キャンセルを余儀なくされた。
その後の通院・検査・静養の日々は約1年8カ月にも及んだが、病名も症状もイマイチ判然としない初期の一部報道では「ムラムラ病」などの造語も使われていた。
身近な例では、麺類の熱さ冷ましやハーモニカを吹いた際、あるいは短距離走後に一時的に手足が動かなくなったり、呂律が回らないなどの発作に襲われる――過呼吸が関係しているらしい、程度の認識は一般にも浸透した。

ベーチェット病

ベーチェット病は、口腔粘膜の再発性アフタ性潰瘍、皮膚症状、眼症状、および外陰部潰瘍、の4つを主症状とする慢性再発性の全身性炎症性疾患です。ベーチェット病は、日本において特定疾患治療研究事業対象疾患に指定されており、2012年3月時点で、特定疾患医療受給者数は18,000人以上にのぼります。そのうち、10~15%は腸管に潰瘍病変が併発し、腸管型ベーチェット病と呼ばれています。
目、口、皮膚、外陰部など皮膚粘膜に急性の炎症発作を繰り返す。近年はステロイドの外用薬や新薬など有効な治療法が増えている。

MATSU(ダンサー・俳優)

10代の頃から「ベーチェット病」という、免疫の異常で全身に強い炎症が起こる難病と闘ってきた。
「30才の時は1か月の半分ぐらいが高熱で、40度とか出てました。それでライブをしていました。元気な時のほうが少なかったです」
かつてテレビ番組でそう語ったこともあるほど、つらい闘病生活を送っていたのだ。幸いこの数年は新薬が効いて、病状は落ち着いているという。

多発性硬化症(MS)

中枢神経系に対する自己免疫疾患であり、炎症を伴う深刻な慢性進行性疾患です。認知機能、心理社会的機能および身体機能の全てに影響を及ぼし、脳・脊髄や視神経など中枢神経系に広く病変が認められるとともに、病変が生じた部位によって視力障害、運動・感覚障害、歩行障害など多様な症状があらわれます。このため、確定診断まで数年かかる場合もあり、アンメット・メディカル・ニーズの極めて高い疾患です。多発性硬化症の日本での罹患率は、10 万人当たり 10.8~14.4 人と報告されています。

林家こん平(落語家)

2004年8月の『24時間テレビ』に出演後、緊急搬送。のちに難病の多発性硬化症と診断された。
退院後は復帰に向けリハビリを続けていたが、声帯が戻らなかったこともあり、『笑点』レギュラーを弟子のたい平に譲ることに。2013年には糖尿病が悪化。一時は心肺停止に陥り、非常に危険な状態だったことがわかっている。
奇跡的な生還と必死のリハビリを経て一昨年昨年と『24時間テレビ』に登場し、かつての代名詞だった「1、2、3、チャラ~ン」を披露。

抗リン脂質抗体症候群(APS)

免疫機能が異常をきたし、血栓ができやすくなる病気。特に女性に多く、また妊娠中にはより血栓ができやすくなるため、流産の原因となることもあります。

間下このみ(女優・写真家)

80年代前半に国民的子役として大ブレイクし、現在はタレント・写真家として活躍する間下このみ。2004年に26歳で結婚し、06年には死産を経験したといいます。

その後、再び妊娠。だが、「不育症」のひとつの原因と言われる「抗リン脂質抗体症候群」という2万人に1人の難病と宣告された。「無事出産できるかわからない」と医師に言われたという。
「あまり知られていないこの病気を認知してもらいたい、とテレビを通じて発表したんです。するとそれを見た、この病気のデータを持つ大学病院の先生から連絡をいただいて。それから毎日、血液が固まるのを抑制する注射を打ちに病院に通いました。子役時代で海外のロケで熱を出したとき、ものすごい太い針で注射されて卒倒して以来、注射がトラウマだったのですが、それでも生まれてくるわが子のためなら、そんなことくらいと思えて。きっと母として生きる決心ができたんでしょうね」
毎日の注射治療と同時に、聴診器で胎動を確認した。そして帝王切開で長女を出産。

病気を発症したあと、自身の経験をつづった著書『ママになりたい…/たまご日記』や、そのドラマ化作品、講演会などを通じて難病を伝える活動を行っています。

炎症性腸疾患(IBD)

IBDとは腸や消化管に原因不明の炎症を起こす難治性の炎症性腸疾患の総称で、’07年9月、当時の安倍晋三総理が辞任する原因にもなった潰瘍性大腸炎もクローン病に分類されている(いずれも厚生労働省が特定疾患に指定)。

潰瘍性大腸炎

大腸の粘膜で広範囲に連続した炎症が起こる疾患。この炎症は、体内に侵入してきた異物を排除するはずの免疫が、なぜか大腸粘膜を攻撃してしまうために起こると考えられている。代表的な症状は、慢性的な腹痛、下痢、血便、便を漏らしてしまうなど。排便後も残便感があり、排便したいときのような腹痛が続く「しぶり腹」という状態になることもある。

クローン病

口腔から大腸までの消化管、とりわけ小腸、大腸の腸管に非連続性(飛び飛び)に炎症が起きる疾患。この炎症は体内に侵入してきた異物を排除するはずの免疫が、なぜか腸管を攻撃してしまうために起こると考えられている。代表的な症状は、慢性的な腹痛、下痢、発熱、体重減少など。また、炎症の結果として腸管が狭くなる狭窄や、肛門部には痔瘻なども生じる。

安倍晋三(政治家)

現在、この国の「顔」である安倍晋三首相。ご存知のように、彼は以前、健康の問題を理由に、突然、首相を辞めている。2007年9月のことだ。そして5年後の2012年9月、安倍氏は自民党総裁選に立候補し、当選。総裁選の記者会見で「(前回の)辞任後に発売された特効薬によって持病はほぼ寛解した」と語っている。
17歳で発症し、再発により首相を辞任するも政治家としての日常を取り戻した

山田まりや(タレント・女優)

舞台公演中だった2003年に身体の異変に気づき、公演終了後に盲腸の手術を行うものの症状は改善されず、さまざまな検査を受けても原因は不明。盲腸の手術をした病院で「クローン病かもしれない」との診断を受けたといいます。

クローン病は口から肛門までの、すべての消化管に炎症が起き、症状は人それぞれ。しかも、特効薬がないため根治は難しい。さらに嘔吐や下痢、貧血や高熱といった症状がずっと続くのではなく、“寛解(かんかい)”といって、一時的、もしくは継続的に症状が軽くなったり、場合によっては症状がまったく出なくなることがある。そのせいで、周りの人たちからは、なかなか理解してもらえない病気だという。
彼女は鍼治療とマクロビオティック、漢方、薬膳などで食生活や体質の改善を図った結果、発症から5年後の’08年ごろに症状が治まり現在に至っている。

北川悦吏子(脚本家)

1999年の夏に炎症性腸疾患が見つかり、闘病生活をしながら数々の名作ドラマの脚本を手掛け、2010年に治療の最終手段とされる大腸全摘出手術を行ったとのこと。

自身のTwitterでは病気をカミングアウトする理由を語っています。

聴神経腫瘍も発症して左耳を失聴

また、「聴神経腫瘍」も発症し左耳を失聴していることも公表。これらの難病の公表により仕事がなくなることもある中、前を向いて仕事に意欲的に取り組んでいるようです。

自身も2、3年前から「聴神経腫瘍」によって左耳が聞こえず、現在は両耳で20%しか聞こえないことを明かし「自分の心の中にある自分への差別」をまず無くすことが大切だと語った。
北川氏はブログの中で、今回病名を公表したことで「広告の仕事がひとつ飛びました」(原文ママ)とも明かしている。それも企業としてのひとつの見解だと理解を示したうえで、「負」を背負った人間を遠ざけたいという無言の「圧」が人の心の中にはあるのでは? と問いかけている。
一方で新しい仕事にも非常に意欲的で、特にテレビの仕事は「絶対に辞めない」と熱く語った。その理由は「ラジオとテレビは病室に届くメディアだから」だという。