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平成25年の年賀状 「10年ひと昔」・「父との生活」

Japan In-depth / 2023年10月12日 22時17分

本を読むのが趣味だと思って何十年になるだろうか。ほとんど趣味というようなものが何一つない生活を送っているのだが、これで本人は至極満足して暮らしている。仕事が忙しく、その合間に本を読むことができるからである。





本を読むのは、机に向かって読み、ベッドに寝っ転がって読み、また机に戻って読む。その繰り返しである。休日で仕事のない日はまことに快適である。眠くなれば顔に本が落ちてくる前にベッドの下に本を置いて眠り、目が覚めれば体をのばして本を取り上げて読みさしのままだったところから再び読み始める。





いつも、大小のポストイットとマーカーを身近においている。 





しかし、である。





本を読むのが趣味というのは、なんとも意味不明ではないだろうか?





どんな本でも本でありさえすれば読むというのだろうか。





20世紀半ばころの英国の小説家サマセット・モームはこう書いている。





「読み物がないと、時間表とかカタログを読む。これは控えめな言い方だ。私は陸海軍ストアの値段表、古書店の目録、鉄道時刻表などを読み耽って愉しい時間を過ごしたことがある。いずれもどこかロマンスの雰囲気があって、最近の小説のいくつかなどよい、はるかに面白いと思う。(『サミング・アップ』111頁 岩波文庫 行方昭夫訳)





64歳の時の感想である。





「私の場合は読書が休息である。いや休息以上である。必要欠くべからざるものであり、短い間でも読書ができないと、薬の切れた中毒患者のように苛々してくる。」(同頁)というモームだけのことはある。





私にも似たところはある。たとえば、トイレの個室に入るとき本がないときは本を取りに戻る。勝手な想像だが、そういう方は意外なほど多いのではあるまいか。もちろんスーパーや不動屋のチラシは格好の時間塞ぎである。





だから、どんな本でも読むのである。しかし、読みだして面白いと感じられる本でなければ遠慮なく放り出す。昔は最後まで読まないではいられなかったが、もう残り少ない時間を無駄に過ごしたくはないという思いがまさる。それに私は買わない本を読むことはほとんどない。代金を払い終わっているのだから、著者へも出版社へも最低限のご挨拶は済んでいるというものである。 





では、どうやって読む本を選ぶのか。





行きあたりばったりに本屋で本を選ぶ愉しみを説く方もいる。思いもかけない出逢いがあるというのである。賛成である。羨ましいとすら感じる。





だが、私の場合は書評であり、読んだ本のなかでの言及である。巻末のビブリオグラフィーによることもある。





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