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ミャンマー:戦闘の激化、病院の閉鎖、ロヒンギャへの迫害──国境なき医師団スタッフが目撃した過酷な実態

国境なき医師団 / 2024年4月30日 17時14分

国境なき医師団が運営するラカイン州北部の移動診療で、診察を待つロヒンギャの女性たち。紛争が激化した2023年11月以降、ミャンマー当局から移動診療の許可が下りず、現在は活動中止を余儀なくされている=2023年10月4日 © Zoe Bennell/MSF

ミャンマーは2023年10月末に紛争が激化して以来、深刻な人道危機に直面している。戦闘が激しくなるにつれ、緊急支援を必要とする地域への人道アクセスが遮断され、医療システムは壊滅状態に陥った。さらに、2月に可決された法律により、国民の間では国軍への徴兵や、別の武装勢力による強制徴募に対する恐怖が高まっている。 ミャンマー西部にあるラカイン州マウンドー郡。少数民族ロヒンギャの人びとが長年にわたり迫害を受けているこの地域で、ニムラット・カウルは、2023年4月中旬から国境なき医師団(MSF)のプロジェクト・コーディネーターを務めている。

5月14日にサイクロン「モカ」が大きな被害をもたらす直前にプロジェクトに加わったニムラットは、ここで暮らす人びとが直面する困難を目の当たりにしてきた。ミャンマーを離れる今、現地で目撃した過酷な実態と、それが人びとの生活に与えている影響について振り返る。

MSFプロジェクト・コーディネーター ニムラット・カウルの証言

ラカイン州北部はどのような状況でしたか?

2023年11月13日以降、ラカイン州では紛争が激化し、マウンドー郡、ブティドン、ラテドンの町は、他の地域から切り離されました。人びとは締め出され、中に入れなくなってしまったのです。誰も州内を移動することができず、物資も届きませんでした。医薬品だけでなく、食料、ガソリン、水といった最低限必要な物資もです。生活必需品でさえ手に入れるのが困難になり、あらゆる品物の価格が高騰しました。 また、爆撃の音が聞こえると、次はどこに着弾するのか、私たちのすぐ近くまで飛んでくるのではないかと、恐怖に怯える日もありました。戦闘が間近に迫り、じっと潜んでいるしかないこともありましたし、1日に3、4回もMSFチームを安全な部屋まで移動させなければならないこともありました。

MSFはどのような援助を行ってきたのですか?

通常、ラカイン州北部では移動診療を行っています。これは、医師や看護師をはじめ、さまざまなスタッフがチームを組み、主要な町から遠く離れた農村部に赴くというものです。でも、紛争が再び始まった11月以降、この活動を続けることができなくなってしまいました*。これまで移動診療に頼っていた人びとが、必要な医療を受けられなくなっている現状を、非常に危惧しています。
*MSFがラカイン州で医療活動を行うには、ミャンマー当局からの正式な認可が必要だが、2023年11月に紛争が再燃して以来、MSFにはこの許可が出ていない。

徴兵制は人びとにどのような影響を与えたのでしょうか?

徴兵制が発表されたのは、紛争が勃発してから3か月後でした。国民は2~5年間、軍に入隊するよう記されたこの法律が、人びとに与えた影響を私はこの目で見てきました──ラカイン州に住む人びとは土地を離れ、シットウェやヤンゴンなど、どこかに避難しようとしていました。一方で、ロヒンギャの人びとは、MSFで働く同僚も含め、自分の村の外に移動するための書類を持っていません。この先、彼らはどうなってしまうのか、心配でなりません。
私は、この国で起こっていること──つまり、紛争は今や別の次元に達していることについて、現地スタッフの中で理解が変化しているのを感じました。
*ロヒンギャの人びとは1982年にミャンマーから国籍を剥奪され、無国籍の状態だ。移動の自由を含む生活のあらゆる面で厳しい制限を受けている。ロヒンギャの人びとは、許可を得なければフェンスで囲まれたキャンプや村から移動することもできない。

なぜロヒンギャの人びとは、とりわけ過酷な状況に置かれているのでしょうか?

ラカイン州では、さまざまな民族が混在しています。ラカイン族、ロヒンギャ、そしてヒンディーもいます。アラカン人はラカイン州の市民ですが、ロヒンギャは1982年に国籍を剥奪されました。
ロヒンギャの人びとは何世代にもわたって、今の生活を手にするために、本当に苦労してきました。それがどれほど困難だったか、そして、依然として限られたものであるということを、私たちが理解するのは難しいでしょう。 MSFにもロヒンギャのスタッフがいます。中には国籍を取得できた人もいますが、これは例外的なことです。同じ年齢層、同じ村のロヒンギャであっても、身分証明書などを持つことができず、自分たちの村の中を移動することさえままならないスタッフもいるのです。 マウンドーで働くロヒンギャのスタッフが、MSFのもうひとつの拠点があるシットウェに移動する場合、許可が下りるまでに数ヵ月かかります。ヤンゴンへの移動許可を得るには、さらに時間を要します。ロヒンギャの人びとが移動するには、村、区、警察からの許可に加えて、他の行政当局の許可が必要なケースも多くあります。そしてもちろん、これらの許可をもらうには、手数料を支払わなければなりません。その額は、国籍のある人が支払う標準的な額ではないのです。 マウンドーで働くロヒンギャのMSFスタッフの多くは、他の町で働くスタッフを見たことがありません。移動が制限されているため、彼らはずっとマウンドーにいるからです。これはまさに、私たちが普段活動している他の地域とは全く異なる状況と言えます。

ラカイン州北部の人びとが現在、医療を受けることはできるのでしょうか?

先ほどもお話ししたように、紛争が始まって以来、MSFは移動診療ができなくなりました。そもそも移動診療を利用していた人びとは、安全な医療へのアクセス手段がなく、すでに危機的な状態だったので、糖尿病や高血圧の患者には数か月分の薬を提供するようにしていました。

また、心のケアが必要な人びとをサポートするために、遠隔診療も継続的に行おうとしてきました。
しかし、残念なことに、この支援も数週間ほどしか続きませんでした。2024年1月10日以降、ブティドンとマウンドーでは電気の供給が止まり、携帯電話も使えなくなってしまったからです。

そして、ラカイン州北部の人びとにとって、最初の大きな打撃となったのは、マウンドー病院とブティドン病院の閉鎖です。

マウンドー病院の閉鎖理由は分かりませんが、入院患者は行く当てもないまま、病院を去らざるを得ませんでした。ブティドン病院はスタッフが足りず、物資も底をつき、閉鎖を余儀なくされました。この二つの町立病院は、MSFと連携しており、緊急患者を紹介できる唯一の施設だったのです。この出来事は、人びとに大きな影を落としています。町の病院がなくなってしまって、人びとは一体どこで医療を受ければよいのでしょう?

町の病院が閉鎖されてしまったことで、人びとはMSFや現地の医療機関を頼みの綱としていますが、私たちのリソースも限られています。MSFでは通常、最低でも4~5ヵ月分の備蓄をしていますが、それも長くは持ちません。未だに物資を運び込む手段がないのです。MSFスタッフも、マウンドー、ブティドン、ラテドンでは安心して活動できなくなっています。

私は幸運にも、暴力から逃れることができましたが、動く機会すらない人もたくさんいます。そのことを思うと、本当に胸が痛み、心が蝕まれていくようです。

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