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リオ五輪閉会式「引き継ぎ式」への疑問

ニューズウィーク日本版 / 2016年9月30日 16時40分

 2014年に『バベル』を招聘した札幌国際芸術祭(SIAF)2014の坂本龍一芸術監督は、以下のようなコメントを寄せてくれた。

「私は残念ながら生で『バベル』を見たことがなかったのですが、私がディレクターを務めた札幌国際芸術祭2014では『バベル』を招聘することに決めました。なぜなら、YouTubeで見たこの作品に大きな衝撃を受け、現代の日本の多くの人に見てほしいと思ったからです。

 言うまでもなく聖書からとられたこの題材を、これほどの強度をもって、抽象性と具体性の分かち難い表現にまで昇華させた例を、私は他に知りません。ここでいう抽象性と具体性とは、ダンスという芸術が必然的にもつ形象的な追求と、それが人間の肉体に依りなされることであると同時に、アントニー・ゴームリーによる立体の、これ以上足すことも引くこともできないであろうと思われる、完璧な美術をさします。彼の立体は、単なる舞台美術を越えて、これなしにはそもそも『バベル』 という作品自体が成立しない程、深く作品に内在化されていると言っていいでしょう。その、無機的で抽象的な立体から紡ぎ出される様々な形象は、私たち人間自身のヒトとしての同質性と、しかしそこから生じる 無限とも言っていいような多様性を、そのまま表しているように思います。その意味でも、これは肉体によるダンスであるとともに、立体という抽象物のダンスでもあると思うのです」(原文全文掲載。Eメールによるコメント)



人とフレーム双方への振付

 要するに、長いダンスの歴史の中で、複数の立体フレームを有機的な美術装置として舞台に導入し、しかも人とフレームの双方にコレオグラフィーを施したのは『バベル』が最初であるということだ。フレームは単なる小道具ではない。ダンサーと同様に振付が施される対象であり、シェルカウイ、ジャレ、ゴームリーという、ほぼ間違いなく芸術史に名を残すであろうスーパースターたちが、議論を重ね、知恵を絞り、試行錯誤の果てに創り上げた独創的な仕事である。時間をかけて確立された新しい「ブランド」を、安易に真似することは倫理的に許されないだろう。

 ところが、リオの引き継ぎ式で行われたパフォーマンスは、同様のフレームを用い、かつ、フレームがなければコレオグラフィーが成り立たないという点で『バベル』に酷似している。筆者が知る限り、類例はない。立体フレームを用いた例はもちろんあるが、いずれもが小道具か、パフォーマーの位置と動きを規定する空間としての使用にとどまっており、フレーム同士が、あるいはフレームとパフォーマーが有機的に関連して、新たな意味やレイヤーを生み出しているケースはほかにないのではないか。

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