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そういえば私は宗教二世だった

ニューズウィーク日本版 / 2023年12月13日 17時40分

今解釈すれば、こういう理屈である。現在、あなたを苦しめている病気は、自信の先祖の悪行(因縁)によるものである。よって現在のあなたが、強い信仰のもとに先祖供養をしっかりとやれば、その因縁は解放され、宿業としての病気の症状は快方に向かっていく──、そんな内容であった。

さらに先祖の悪行を過去にさかのぼって訂正できないにしても、現在の信仰によりそれを修正することは可能である。そして先祖の悪行が災いをもたらすのであれば、その解決はあなたのみが単独で行うだけではだめで、その先祖の子孫であるあなたの家族、特に血のつながりがある子供の協力が必要である──、という総論なのであった。

要するにA教団の信仰は、関係のない少年時代の私までを巻き込むものであった。よって母は、冒頭に書いた一日三回の題目唱和を私に強制した。もちろん、いくら南無妙法蓮華経を唱え、読経しても、母の潰瘍性大腸炎が回復するわけがない。酷な言い方だが、そういう科学的な考え方ができないからA教団の信仰に救いを求めるのである。

慢性病の治療は数年を経て効果が出てくるのであり、たかだか半年、1年で良くなるわけはない。母の病状は一進一退を繰り返していた。しかしそれを母はすべて、私の信心不足と考えた。よってその信仰の強制は、家庭内での唱和や読経だけではなく、地元支部に赴いての読経や霊的体験の強制にまで発展し、さらに私への水風呂の強制、24時間の監視、数カ月単位に及ぶ無視(家庭内で会話をしない、目を合わせない、一日中、私が存在しないように扱う)を数年間にわたって何度も繰り返すなど、常軌を逸したものに発展していく(詳細は前掲拙著の通り)。

洗脳は免れたが

当時すでに中学から高校に向かっていた私は、根が科学的、観察的にできていたせいもあって、こういった母親の狂気を完全に客観視できていたが、題目唱和だけにはごくたまに付きやってやった。そうしないと母は途端に錯乱するので、その混乱は直接、私の自由時間や勉学に負の影響を与えかねないという、完全なる打算でいやいやながらも付き添ってはいた。

だから青春時代の私は、母の信仰を完全に否定し、むしろ見下してさえもいたので、私自身は宗教二世でありながらそれは書類上のことだけであり、一般的な宗教二世と呼ばれるような人々が家庭内で抱えていた洗脳や、それに関する苦労は存在していない。よって被害的な意味での宗教二世という自覚もやや薄いところはある。しかし今考えてみればこれはやはり宗教二世でしか体験しえないことなのであった。

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