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そういえば私は宗教二世だった

ニューズウィーク日本版 / 2023年12月13日 17時40分

私は高校生ですでにアニメ、漫画などのサブカルチャー、それに資本論や新旧聖書、歴史学や社会学、心理学にこそ、人生における懊悩の回答を見出していたからだ。そのやや早熟な蓄積がのちの私の作家人生の土台を形成することになるのである。

大学入学で私は実家を飛び出し、独り暮らしを始めるようになった。母の信仰の強制という呪縛からは名実ともに完全に開放された。それでも母は、私の下宿にA教団が発行する信者向けの月刊会報誌を毎月のように送り付けてきた。A教団の信仰心は私の就職にも役に立つ、という数枚に及ぶ冗長な直筆の手紙を添えてである。

私は郵便局から毎月、母からのこれら「書類」が届くたびに、開封せずに即ごみ袋に捨てて処分していた。そんな宗教的な郵便物を、息子とはいえ熱心に熟読するなどと考える方がどうかしている。私は母を基本的に頭が悪く寂しい人であると決めつけていた。私の人生の中で母は完全に必要のない人間であり、大学生にあっては仕送りを振り込み続けるある種の機械、という風に考えていた。親孝行、という文字は私の人生から消えた。そこにいささかの躊躇も憐憫もなかった。

その後、紆余曲折を経て、私は母と絶縁し、心理的な親子関係を解消した。と同時に、母親の信仰心を理由とした数々の虐待を黙認し、制止せず、むしろ許容して間接的に推奨していた父とも絶縁して、出生時に与えられた名前を家庭裁判所に申請して改名し、私の現在の名前「経衡」を自分で命名し、それに伴って親の戸籍からも離脱したのである。

例外的な宗教二世として

母の信じているA教団の教義の是非を言うわけではない。母の信仰の経緯は近代医学の限界の結果とも言え、新興宗教に救いを求めた母をいまさら糾弾するつもりはない。また、そこまで信仰を強制された私が、その信仰を相対化して、むしろ内心あざ笑うような立場を採用できたのは、私の奇抜でいて合理的な性根と、それを補強するだけの読書量があったからである。宗教二世の中で、私のようなケースは例外かもしれない。他者の参考になるかどうかはわからない。

だが例外だからと言って、それが普遍性を持たないとはいえない。例外だから参考にはならないのだとすれば、大黒屋光太夫やジョン万次郎の人生は、後世の人々にとって無意味だということになりかねないが実際はそうではない。私はこれからも、「例外的な宗教二世」として、過去の経験を書いていこうと思っている。ちなみに母の信仰心はその後、いささかも揺るぐことなく、現在でも彼女はA教団の熱心な信者である。

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