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日本人が大災害から何度でも立ち上がれた理由

プレジデントオンライン / 2019年11月19日 15時15分

台風15号、19号で多くの家の屋根が飛ばされた保田地区(千葉県安房郡鋸南町)=2019年10月13日 - 写真=時事通信フォト

日本はこれまで何度なく大災害に見舞われては復興を遂げてきた。その理由を落語家の立川談慶氏は「日本人は地勢によって共感力が育まれた。その共感力があったから被災地でも助け合い、難局を乗り越えてこれた」という――。

■台風19号で、私の予定も吹き飛んだ

令和に入ってから、台風が3つも日本列島に上陸しました。なかでも「令和元年台風第15号」と「令和元年台風第19号」は、いずれも戦後まれに見る大きな台風となり、関東地方を中心に甚大な被害をもたらしました。

とくに台風19号につきましては、10月12日に都内で予定されていた、弟弟子の立川三四楼改め立川わんだの真打ち昇進披露落語会が中止に追い込まれ、出演予定だった私の予定まで吹き飛ばしてしまいました。

いや、こちらはその程度の被害ではありましたが、故郷の長野では千曲(ちくま)川が決壊し、水害に見舞われた家屋が8000戸以上。さらには死者5名という悲惨な被害をもたらしました。謹んでお悔やみ申し上げます。

被害を受けた市町村数は8年前の東日本大震災を上回るといいますから、言葉を失うばかりです。私もいてもたってもいられず、先月開催したハワイ独演会での収益金を、全額上田市に寄付させていただきました。

知人らに聞くと、まだまだ復旧には時間を要するとのことで、引き続き出来るだけの支援をしようと決意を新たにしたところであります。どうかこちらをお読みの善男善女の皆様方、なにとぞよしなによろしくお願い申し上げます。

■被災地で落語を演じて思ったこと

それにしても、あの大震災からまだ10年も経っていないというのに、またしてもの大災害。そしてそのたびに復興するというこの国は、改めて強い国だなあとつくづく思います。

震災による大津波に飲み込まれてから9カ月後、岩手県宮古市のある病院で落語会を開催していただいたことがありました。医療関係者の中には、家族が亡くなったりするなど自らが被災者であるにも関わらず、目の前の怪我人を懸命にフォローしている人たちが大勢いたとのことです。知り合いを通じて「そんな彼、彼女らをぜひ落語で癒してあげてほしい」と依頼を受けてのことでした。

反応はとてもよく、終わってから「やっと笑えるようになりました」といった声に触れるたび、胸がいっぱいになったものでした。「日本には落語があるんだ!」と快哉を叫びたいような気持ちにすらなりましたっけ。

日本とは、こうして災害が起きるたびに、何度も立ち上がってきた国なのでしょう。ときに、そんなDNAを先祖代々受け継いできた、縦の繋がりに思いを馳せたくなります。

■日本人の「自分より他人」の心模様

「地震、雷、火事、おやじ」は、昔から「恐怖心を象徴する言葉」としてよく知られています。ちなみに諸説ありますが、最後の「おやじ」は「父親(おやじ)」ではなく、「おおやまじ(台風、強風)がなまったもの」ともいわれています。

そして何より、巨大地震と苛烈な気象の両方が毎年のように襲う国は、世界広しといえども日本だけともよく耳にします。たしかにヨーロッパ諸国などと比較してみると、ドイツやフランスなどのように、震度6以上の地震がここ100年いっさい発生していない国が多いとのこと。

さらには高緯度に位置しているおかげで、熱帯低気圧である台風の影響を受けることもまずありません(近年、異常気象による熱波のニュースはよく聞くようにはなりましたが)。

それを踏まえてみると、ざっくりと「自然災害に翻弄される場所にある日本」と「自然災害をほぼ免れているヨーロッパ」と区分けできるかと思います。

ここで、そんな地理・地勢上の違いが、そこに住む人間のキャラクター形成に大きく関与するのではないかというのが私の仮説です。つまり、ヨーロッパのような自然災害の少ない国々で生活していると、周囲のことをあまり気にする必要がなくなり、結果として気にかけるのはまず「自分自身」となります。

片や日本の場合、自然災害の頻度が高いため、まず「自分より他人」の心模様が醸成されたのではないでしょうか。

やや暴論に思うかもしれませんが、これはあながち間違っていないと私は考えています。

■心の奥底には強迫観念も似た不安感

災害多発エリアに住む我々は、常に不安が先走り、それが性格にも反映されています。一方で、対照的な環境に住むヨーロッパ各国の人々は、おおらかでいられるのかもしれません。

それらが長年かけて積み重なり、日本人には「先行き不安」を解消するために「他人と分かち合う共感力」が、ヨーロッパの人々にはおおらかさとセットになる「まず自己を主張する力」が、それぞれデフォルトになっていったのではないでしょうか。

実際、日本人の共感力の高さは、避難場所での炊き出しの際にも横入りなどしない礼儀正しさなどに表れています。こうした「自己主張よりもまず周囲を気遣い、他人を想像する」訓練が、何世代にもわたってなされてきたからこそ、日本は暴動などの発生率が低い国でいられるのかもしれません。

日本人の心の奥底には、「ズルをすると、自分が困った時に逆にズルされてしまうかも」という強迫観念にも似た不安がきっとあるはずです。それがマイナスには働く現象こそが、昨今取り沙汰にされている「忖度」なのでしょう。

さて、ここからやや飛躍しますが、こういう「他人への想像力」こそが、落語を生む土壌になったと私は考えています。

これは一体どういうことか? 落語を育くんだ江戸時代を思い浮かべてみましょう。

■覗き見る文化と、見えるけど見えていないフリ

人口100万人を超える江戸は当時、世界最大の都市として知られていました。そのエリアは今の23区よりもはるかに狭く、御城府という江戸城を中心とした範囲に限られ、明らかな過密状態にありました。

多くの人が九尺二間の手狭な長屋に一家で住んでいたため、ある災害が日常化します。それは火事です。

「火事と喧嘩は江戸の華」といわれたように、地震や台風のみならず、人災の代表格である火事が追い討ちをかけてくる。すると人々は、ますます「他人目線」を意識するようになります。

まして当時は防災意識などはほとんど皆無で、壁などは防火仕様でもなんでもなく薄っぺら。必然的に隣の家の夫婦喧嘩なども丸聞こえだったでしょう。

また、ひょいと垣根越しに覗けば、隣の娘さんが行水に浸かる姿も見えたはず。そこで培われたのが「聞こえるけど聞こえないフリをする」作法であり、「見えるけど見えていないフリをする」作法であったことは想像に難くありません。

そんな生活を日々重ねていれば、他人の顔色や口調だけで何を考えているか」を掴むことなど容易かったはず。そう、これが落語を受け入れる下地となっていったのです。

つまり、観客の間にこうした土壌ができていたからこそ、下半身の動きを制御した、演者の言葉と顔の表情だけで物語を進めていく落語が受け入れられた、ということです。

■しなやかな心で、ダンベルを上下させる

落語家の立川談慶氏

日本人特有の他人の気持ちに寄り添う心は、災害がもたらしたものであり、その災害を乗り切る知恵として発達させた「共感力」こそが、落語発生の源となった。つまり「地勢と知性の集積の賜物」、これこそが落語の正体だったのです。

こうして考えてみると、日本という国が何度も天災や戦争の洗礼を受けながらも、そのたびに乗り越えられた理由がなんとなく見えてくる気がします。

今回の台風の爪痕はまだ消えていません。しかし、過去の先輩たちがかような難局を何度も乗り越えてきたのと同じように、我々も必ず乗り越えていけるはず。そんなDNAこそが日本人の強みだと私は確信しています。

被災地で落語をやるたびに、「頑張って」と逆に励ましの言葉をいただくことがあります。いつの世も人を元気づけるのは共感力なのでしょう。

立川談慶『談志語辞典』(誠文堂新光社)

そんな共感力をよりパワーアップさせる存在が落語、そして筋トレです。

「しなやかに耐える」。そんな地道な努力を積み重ねる心は、筋トレで養うことができます。ただ苦痛をこらえてダンベルを上下させるだけでも忍耐力は養成されますし、何より健全なる精神は健全なる肉体に宿るものです。

だから私は、今日もユーチューブで過去の先人たちの至芸に触れながら、ジムでのトレーニングに励みます。被害に遭われた方を少しでもサポートするために、まず必要なのは体力ですからね。

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立川 談慶(たてかわ・だんけい)
立川流真打・落語家
1965年、長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。ワコール勤務を経て、91年立川談志に入門。2000年二つ目昇進。05年真打昇進。著書に『大事なことはすべて立川談志に教わった』など。

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(立川流真打・落語家 立川 談慶)

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