「コロナ禍を生き残れ」急勾配の街・神戸に「坂バス」を走らせた54歳デザイナーのヤバい地元愛
プレジデントオンライン / 2020年12月3日 9時15分
■「日本三大夜景」の山を愛する神戸市民が死守する「坂バス」の話
「タンタンが乗っています」
兵庫県神戸市のJR灘駅前は、大きなパンダのぬいぐるみを乗せたコミュニティバス「坂バス」の出発地だ。近隣の王子動物園(神戸市)にちなみ、車体には、パンダが乗っているというステッカーが貼られた愛らしさがトレードマークだ。
灘駅と日本三大夜景で有名な摩耶山のふもとにある「摩耶ケーブル下」を結ぶ路線バス。通常、こうしたコミュニティバスは「地域住民の生活の足」を第一義とするものが多い中、この坂バスの当初の目的は別のところにあった。
■地元の自治体からも一目置かれる54歳デザイナーの正体
「坂バスは、地元の人にもっと摩耶山(まやさん)へ行ってほしいという思いから生まれました」
そう語るのは、神戸市灘区でまちの魅力を発信し続けるデザイナー、慈(うつみ)憲一さん(54歳)だ。大学進学時に、生まれ育った灘区を離れたが、1995年の阪神・淡路大震災を機に帰郷。
本業の傍ら復興支援に携わり、灘区の歴史や地形、そこで暮らす人たちの魅力を伝える数々のイベントを手がけている。“灘愛”をテーマにしたフリーペーパー「naddism(ナディズム)」、メールマガジン「naddist(ナディスト)」を発行し、その溢れだす灘愛から、いつしか本人が「naddist」と呼ばれるようになる。 あまりにも灘区に詳しいことから、行政からも一目置かれている稀有な存在だ。
■山上へのケーブルカーとロープウェー廃止の危機に立ちあがった
六甲山系に連なる摩耶山は標高702メートル。山上の掬星台(きくせいだい)からの眺めは日本三大夜景の名にふさわしい美しさがある。
山上には1300年を超える歴史を持つ名刹「摩耶山天上寺」がある。この寺は、比叡山の延暦寺や高野山の金剛峯寺と並び称されている。
山上へは、「まやビューライン」(ケーブルカーとロープウェーを乗り継いで十数分)で到着する。神戸市の一般財団法人「神戸すまいまちづくり公社」が運営していたが、2012年、設備の大規模修繕が必要な時期になり、まやビューライン廃止の話が持ち上がる。乗客が減少の一途をたどり、運行するほど赤字という状況だったのだ。
その時、すかさず動いたのが慈さんだった。
灘区の婦人会や子ども会、登山会などに声をかけ、「摩耶山再生会議」を結成した。自身が子どものころから裏庭感覚で親しんできた摩耶山を守りたいという思いだった。
「再生会議では、ただ署名を集めるだけでなく、『提案書』をまとめて神戸市に提出しました。摩耶山へのアクセスラインを存続させてほしい、その代わりに、山上の活性化(山上での自然観察やヨガ、廃墟マニアに人気の「摩耶観光ホテルガイドツアー」などを企画)のために地元も汗を流します、という主旨と具体案です」
面会した矢田立郎市長(当時)にもその熱意が伝わり、市役所では廃止の方向で進んでいた話が急転直下、存続となった。それまで観光客向けの利便交通としてとらえていた「まやビューライン」に、市民から親しまれている摩耶山への公共交通という位置づけを持たせ、市から一定の補助金を出すことになったのだ。補助金で賄えない分は、公社で負担するという取り決めになった。
「半ば諦めていたので、僕たちも驚きました。こうなったからには腹を決めて、摩耶山上の活性化(イベント実施などによる集客)をやるぞと身が引き締まりました」
■「駅と山のふもとをつなぐバス」当初は実現不可能と思われた
山上の活性化にあたり、課題となったのが駅のある市街地から標高の高いところに位置する摩耶山のふもと「ケーブル駅」までのアクセスだ。地元で運行している市バスは三宮から六甲方面までの「東西移動」のみで、市街地から高低差が大きいケーブル駅までの「南北移動」のためのルートがなかったが、市バスを運営する神戸市交通局は新規ルートの設置に消極的だった。
そこで白羽の矢が立ったのは、神戸市を拠点とする民間バス会社・みなと観光バス。だが、社長の松本浩之さん(57歳)も当初はこう思ったそうだ。
「せっかく市長直々に南北ルートの運行を打診されたが、実現は無理かもしれない……」
松本さんは商社出身でマーケティングの知見が深く、PSM分析(価格感度分析)などを用いた路線バスの需要予測手法を確立。地域密着を強みとし、隣接する東灘区内を南北移動するコミュニティバス「くるくるバス」を運行していた。
直近では、路線バスに特化したデジタルタコグラフ(運行記録計。通称:デジタコ)の「ドコールシステム」を自社開発し、バス業界や学会からも注目を集めている。
「ケーブル駅までのアクセスは、既存の市バスの東西ルートでも十分ではないかと感じました。それに市バスには、高齢者は市から支給される敬老福祉パスを使えば半額で乗れます。(標高差のある)南北移動とはいえ、正規料金で乗ってもらえるニーズがどこにあるのかと。そこで市長に、実証実験をさせてほしいと提案しました」
■あきらめムードも急転直下「これはいける!」となったワケ
慈さんを含む「摩耶山再生の会」、松本社長の「みなと観光バス」、そして「神戸市・灘区」の三者による「まやビューラインアクセス向上委員会」が発足。まずはみなと観光バスによる、地域住民へのアンケート調査が行われた。正直な話、それほど期待感は大きくなかったようだが、その結果は予想を覆すものだった。
「調査の結果を見て『これはいける!』と考えを改めました。驚いたのはアンケートの回収率です。1万2000件の配布に対して回収率42%と、この手の調査としては非常に高く、地元の協力体制と当事者意識が強いことがわかりました。さらに驚いたのは、データを細分化したエリアごとの家族構成や職業、所得、移動手段などを細かく分析していくと、想定以上に、『地元の商店街(水道筋商店街)への足』の潜在ニーズが見えてきたことです。自由回答欄にもコメントがぎっしり書き込まれていて、『自分たちの足をつくって守っていきたい』という熱意が感じられました」
地域住民が日常の足として乗ってくれて、かつ摩耶山への観光客の需要が取り込めれば、コミュニティバスとして採算がとれるという結論に達した。
■実際にみんなで街を歩いて運行ルートを決めた
次に、着手したのは運行ダイヤとルートの選定だ。慈さんは語る。
「ダイヤは(山上へ通じる)摩耶ケーブルのダイヤに合わせました。20分間隔でわかりやすく、バスを降りたらすぐケーブルカーに乗れるようにするためです。みなと観光バスからは2台体制での運行という条件だったので、アンケート調査結果を踏まえつつ、ダイヤが成立するルートを、アクセス向上委員会のメンバーで実際に歩いて決めていきました。通りが細かく分かれている地域なので、バス停にはそれぞれの通りの名前を入れて、愛着を持ってもらえるように工夫しました」
当時、神戸市企画調整局から参画した益谷(ますたに)佳幸さん(53歳)は振り返る。
「バス停は住宅の前や商店街のアーケードの中など、通常は設置しない場所にもあります。バス停の設置箇所をどこにするかは、住民の方の理解が欠かせません。そこは慈さんをはじめ、自治会や婦人会、商店街などの皆さんが(バス停近辺の住民などに)粘り強く交渉してくれました。警察の許可を得るのは、事業者となるみなと観光バスの仕事。神戸市や灘区は、社会実験の際の広報活動や、まとめ役を担当しました」
ルートについては、みなと観光バス社内でも喧々諤々だったという。松本さんは語る。
「運転手たちからは難色を示されました。もともと道が狭いため、車一台がすれ違うのも大変な場所があるし、何といっても急勾配。そして商店街のアーケードの中も走ります。近畿圏内ではここだけで、見た目のインパクトもありますが、運転する方は大変ですよ(笑)」
そのため坂バスには、社内でも経験豊富で技術の高い運転手が選抜されている。
■地域の日常生活の足としても定着し、見事黒字経営
仮運行の社会実験の後、2013年から正式に運行を開始した坂バスは、みなと観光バスによる「民間運営のコミュニティバス」だ。全国の多くの街を走る「公営バス」や、「自治体から業務委託されるコミュニティバス」との最大の違いは、補助金が出ない点にある。にもかかわらず、公共交通としての責任も負うため、「乗客が減って、採算が合わなければ即撤退」と身勝手な行動もしにくい。
「コミュニティバスの運行は、『自分たちの足は自分たちで守る』という地域の皆さんの意識と行動なしでは成立しません。その点、慈さんをはじめとする灘区の皆さんの一体感と行動力はすごかった」
と、松本さんは当時を振り返る。慈さんたちもそれに応えるべく、地域への呼びかけや、摩耶山上での自然観察やフリーマーケットなど、ユニークな活動を次々と打ち出していった。の活動は、灘区から一部実費が補助されることもあるが、ほぼ「摩耶山再生の会」メンバーによるボランティアである。
運行当初は「あのバスは何?」と思われていた坂バスの乗客数にも、認知度が上がるにつれて変化が表れた。運行3年目で、平日の「日常使い」の乗客数が、土日の「摩耶山へ行くイベント使い」のそれを逆転したのだ。もともと「摩耶山へのアクセス改善」のために生まれた坂バスは、地域の日常生活の足としても定着し、黒字経営となった。
■コロナ禍で乗客数は減ったが懸命に走り続ける
ただ、そんな坂バスも現在、コロナ禍で大きなピンチに直面している。
「毎月1万5000人ほどだった乗客数が、コロナ禍の中、最大で平日2割減、土日祝で4割減になりました」
乗客数は2016年まで右肩上がりで増加し、ここ数年は横ばいだったものの、コロナ禍で摩耶山からの夜景目当てのインバウンド(訪日外国人)が見込めなくなったうえ、定期券が売れず、固定収入が確保できないことも響いたという。
みなと観光バスとしても苦渋の決断をして、2020年11月から土日祝の運行を半数に減便(20分毎→40分毎)した。半年間様子を見て、元のダイヤに戻せるかを検討するという。
現在の坂バスを見守る、灘区役所の辻智弥さん(33歳)は語る。
「コロナ禍でも行政から何かできることはないか、日々考えています。7月に慈さんから『中国に戻ることになった、王子動物園のパンダ・タンタンに、坂バスから感謝の気持ちを伝えませんか』と提案があった際には、車内で配布するペーパークラフトを作ったり、区役所の倉庫に眠っていたぬいぐるみをタンタンに見立てて提供したりしました。予算はとても限られていますが、地域の皆さんの思いで走り出した坂バスを、後押ししていきたいです」
もちろん慈さんも、手をこまねいているわけではない。
「坂バスをみんなで支えていることを視覚化しようと、車体に応援メッセージを書いたステッカーを貼るためのクラウドファンディングを検討しています。しかしなんといっても、地道に乗ってもらうしかない。これから寒くなると換気も大変だけど、車窓からは神戸のまちも一望できますよ」
市民と企業と行政の思いを乗せた坂バスは、今日も坂をぐんぐんと上っていく。
<参考資料>
神戸市WEB広報「ごろごろ、神戸2」第17回 坂バスの走る町
みなと観光バス(株)
摩耶山ポータルサイト
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ライター
日系製造業での海外営業・商品企画職および大学での研究補佐(商学分野)を経て、2018年からライター活動開始。ビジネス、異文化、食文化、ブックレビューを中心に執筆活動中。
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(ライター 水野 さちえ)
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