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アメリカのトップMBA校で日本人が減り、中国人が増えているカネ以外の理由

プレジデントオンライン / 2021年3月22日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/serg3d

近年、アメリカのビジネススクールで、日本人が減り、中国人が増えている。自身もスタンフォード大学でMBAを取得した経営共創基盤(IGPI)会長の冨山和彦さんは「日本人の優等生は人生に挫折がなく、面白みがない。だから落とされてしまう。若いうちに挫折を経験しておいたほうがいい」という——。

※本稿は、冨山和彦『リーダーの「挫折力」』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

■シリコンバレーでは失敗は「ポジティヴ」

挫折体験がもたらしてくれる効能について、ちょっと意外なものを一つご紹介しよう。それは、「挫折があなたの経歴を彩ってくれる」ということだ。

挫折は、日本では恥ずべき体験、隠してしまいたい体験と思われがちだ。履歴書を書くときにも、できるだけ挫折を隠そうとする人がいる。大学受験の浪人経験くらいなら履歴書に当たり前に書けるが、留年になると書きにくい。その後、破産経験やリストラで無職時代があったとかは、ますます書きにくい。

だが、挫折体験は実は、抹消すべきものとは限らない。やがて日本でも、挫折体験は尊ばれ、履歴書の核にさえなる日が来るだろう。少なくともアメリカのシリコンバレーでは、立ち上げたベンチャーが潰れたとか、そのせいで自己破産したとかは、明らかに職歴としてはポジティヴな項目である。それが若い時期のものならなおさらである。

■アメリカのビジネススクールで日本人留学生が減っている

アメリカのビジネススクールにおいて、日本人留学生の存在感がすっかり薄れてしまって久しい。かわりに台頭してきているのが中国人である。元々受験者が多いということもあるが、中国人受験者との受験競争に敗れ、入学できる日本人留学生が少なくなってしまっているということも大きな要因だ。

では、どこで差がつくのか。思考能力や知識レベルには大差はない。一番の違いは「日本人受験者の経歴がつまらない」ことにあるのだ。

■日本の優等生は、人生に面白みがない

ビジネススクールへの留学資格は、基本的にAO(アドミッションズ・オフィス)入試で決まる。課題に合わせてエッセイや論文を書き、推薦書を添えて提出する。これに筆記試験の点数が加わるが、筆記試験は勉強すれば、何とかなる。問題はエッセイや論文で、これに受かるには「個性」が求められるのだ。

試験官は、何千通ものエッセイを読まされるのだ。受験生の大半は学歴も職歴も一定以上のエリートだ。誰でも書けそうな凡庸な内容しか書いていなければ、すぐに見切られ、落とされる。

大学申請フォーム
写真=iStock.com/teekid
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/teekid

試験官にアピールできる内容にしなくてはならないのだが、日本的な教育制度の中で育った優等生は、無難なことしか書けない。皆が似たりよったりの優等生人生しか送っていないから、そこに差が生まれないし、面白くもない。人生に面白みがないから、人を面白がらせたり、ハッとさせたりする文章が書けないのだ。それが多くの不合格者を作っているように、私には思えてならない。

■波乱万丈の経歴でスタンフォード大学に留学

ここで活きてくるのが、失敗や挫折の経験である。挫折を経験し、それを乗り越えていくときに一つのドラマが生まれる。ものの見方に幅が生まれるし、人と違う個性をアピールできることにもなる。

私が受験にあたってスタンフォード大学へ提出した20代半ばまでの経歴は、日本人受験生としてはなかなかユニークであった。有名大学を経て司法試験にも合格したのに、それを棒に振って、ボストンコンサルティンググループ(BCG)に入社。その会社にもいつかず、1年で新会社CDIに移っている。これくらいのネタがあれば、十分に波乱万丈の物語を作れる。

もちろん、そのためにBCGに入ったわけでも、CDIの設立に参加したわけでもないし、それが決め手となって留学できたわけでもないだろうが、このような経歴が留学時代にいろいろ役立ったことも事実だ。

ちなみに当初はその成功が非常に不安視されていた産業再生機構(※)に、前職をなげうって飛び込んできた若者の多くが、後にハーバードやスタンフォードといった超一流ビジネススクールに合格している。そりゃあそうだ。再生機構の軌跡自体が一大ドラマである上に、そこで彼らが任された仕事も、企業再建の壮絶なリアルドラマである。彼らのエッセイが目立ったのは当たり前だ。

※バブル経済の崩壊後、大手銀行の不良債権問題を解決するため、2002年、小泉政権下に機構の設立。5年間の時限的な組織として、国の出資で03年に発足した。多額の借金を抱えて経営が悪化しているものの、本業について競争力のある企業について、債権を機構が買い取り、公的な管理下に置いて、再建を行った。

■挫折を評価しない会社には転職するべきではない

今後、ますます増えるであろう転職マーケットでも同じことがいえる。当たり前の経歴、当たり前の高学歴は、引っかかりがないのでおそらく書類審査ではねられる。やはり目立ってナンボの時代である。

挫折は、決して恥ずかしく、抹消すべき体験ではない。それを乗り越えた自分を描けるなら、履歴書の核になる。私は再生機構において、親から継承した旅館が倒産して、自らも自己破産した若者を採用している。彼は再生機構で自らの挫折経験を活かし、ホテル、旅館再生のエースとなった。今は自分で起業して日本中のホテル、旅館の再生に奔走している。

挫折経験を重んじるのはあくまで欧米のビジネススクールの話で、日本企業へ転職する際には通用しない、と考えるかもしれない。だが、挫折経験を書いた履歴書を拒むような人事担当者がいるような企業には、そもそも行かないほうがいい。

そうした会社はおそらく全社的に優等生組織であり、こうした組織は早晩、危ういことになる。受からなくてよかったと喜んだほうがいいのだ。

■20代、30代で挫折していない人は危機的状況

かつて日本が高度経済成長を遂げていた時代は、大きな挫折というものはそうそうなかった。皆がそれなりに引き上げてもらい、成功らしきものを手に入れられた。

当人からすれば過酷なノルマに追われ、上司から強い圧迫を受け、ストレスだらけの日々だったかもしれないが、私にいわせれば、それは大したストレスではない。別に命や財産を失うわけではなく、せいぜい左遷させられるくらいだ。その意味でかつての日本は、ストレス耐性がなくても何とかなる社会だった。

だが、今の日本は違う。どこにいても挫折のリスクはつきまとう。数年後に自分の会社があるかどうかわからず、残っていてもリストラにあう可能性もある。大企業にいてもお役所にいても、自分が定年まで勤められる保証などない。順風満帆だったビジネスが、急激な環境変化で1年後には頓挫していることもある。確かなものはどこにもなく、どこにいても何をしても挫折を経験する可能性は高い。

ベンチに座っている落ち込んだアジアの実業家
写真=iStock.com/metamorworks
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

このとき致命的なのは、40代後半や50代になってカタストロフィ(大惨事、破局)に見舞われることだ。すでに結婚し、子どもも大きくなり始め、家のローンはまだまだ残っている、子どもの学費も捻出しなければならない。そんな身動きのできない時代に大きなカタストロフィに見舞われては一大事だ。

■「大惨事」がある前提で人生を設計しよう

生まれつきストレスに強い人なら、そんな状況でもたくましく乗り切ることができるだろう。一家を路頭に迷わせてはいけないという義務感から、むしろやる気を出すかもしれない。

だが、それまで挫折経験の少ない人は、ストレスに弱い。大きなカタストロフィを前に、心が挫けてしまうかもしれない。今の生活をどう維持しようかと思っただけで、頭がパニックになってしまうのだ。

そう考えるとカタストロフィは、若いうちに経験しておいたほうがいい、ということになる。むしろ、カタストロフィに遭遇できてラッキーだ、くらいに思ってもいいだろう。ストレスに慣れていくうちに、ストレス耐性が強くなり、やがて強いプレッシャーにさらされたときも、さほどストレスを感じなくなるのだ。

また、「長い人生にはそういう不運が起き得る」という前提に立てば、それなりの備えを考えておくはずだ。財政的な話だけでなく、家族の側の心の準備も含めて。いざというときに家計を縮めても、家族、特に子どもたちの人生が壊れないよう、それこそ学校選びから考えるかもしれない。何より家族の期待値を、将来の挫折リスクを織り込んだものに調整しておけば、いざというときに家族の心が折れることも起きにくい。こういうことも、早めに不運体験をしておくとあらかじめ準備をしておくことができる。これで挫折耐性、ストレス耐性はかなり高められるはずだ。

挫折のストレスは、自分自身の後悔や落胆もあるが、家族や仲間を巻き込み、彼らとの板挟み状態になることで最大になるものなのだ。

ある高名な大経営者は、自らが創業した会社を上場させたあとも、若いときに奥さん名義で建てた家にそのまま住んでいるそうである。普通に生活していくのにはその家で十分。いざというときに、その普通の生活さえ守れるのなら、じたばたしておかしな方向に走るような心境にならないですむと考えたそうだ。

ベンチに座っている落ち込んだアジアの実業家
写真=iStock.com/metamorworks
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その人が創業した会社は、極めて厳しい経営環境の中でライバル企業の多くが淘汰や倒産に追い込まれた中で、その山谷、波風を乗り越えて、今も隆々と繁栄を続けている。

■あえて「失敗経験を積み重ねる」

カタストロフィはあえて自分で作ってもいいし、カタストロフィの中に飛び込んでもいい。あえて重圧のかかりそうな仕事を引き受けてもいいし、気難しそうなプロ集団の中に入って暴れてみるのもいいだろう。そうして早いうちに、そこそこ大きなカタストロフィを経験して、ストレスに強くなる。そうすれば40代、50代になってからカタストロフィに見舞われても、何とかしのぐことができるし、そもそも襲われにくくなる。

もう中高年になっている人、自信のない人は、いきなり大きなカタストロフィに飛び込むよりも、徐々に慣れていくほうがいいだろう。今からでも遅くはない。身近で、そこそこの不運に見舞われそうな仕事や状況に首を突っ込むことをお勧めする。

いずれにせよ、いきなりあまりに深刻な重圧にさらされると、解決法がわからず、パニック状態になりやすい。そこでうまく居直れれば強いストレス耐性を身につけられるが、真面目な人ほどそうはならない。居直る自分が許せないため、出口を自分で作れず、出口がなくなってしまうからだ。

出口の見つからないまま巨大なストレスにさらされ続けると、ついには心の病にさえなる。ストレス耐性が身につかないまま病気になったのでは、割に合わない。慣れていない人や真面目な人ほど、ストレス耐性は少しずつ強くしていくことを考えたほうがいい。

■挫折の多い人生は不幸なのか?

これからの人生は、良くも悪くもドラマチックなものになると考えておくしかない。その不幸なドラマを受け流すスキルこそが、愉快に人生を生きていく上で必須なのである。

冨山和彦『リーダーの「挫折力」』(PHP研究所)
冨山和彦『リーダーの「挫折力」』(PHP研究所)

では、挫折の多い人生が不幸かというと、そうではない。どこかでリスクにあい、壁にぶつかるのは一つのドラマであり、チャンスである。不幸とカタストロフィの繰り返しによって、より面白い人生が送れると思うなら、それは幸福な人生である。不幸がいかに多くても、折り合いをつけ、心安らかな人生さえ得られるようになる。

これは高度経済成長時代のサラリーマンの幸福とは、違う質の幸福だろう。当時はひたすら上を目指し、望むものを多く手に入れられた。これは幸せといえば幸せだが、彼らはそこから外れるという選択が難しかった。その意味では広がりと自由のない人生で、今は安定がないぶん、いくらでも踏み外せる。これはこれで幸福な人生なのだ。

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冨山 和彦(とやま・かずひこ)
経営共創基盤グループ会長
1960年生まれ。東京大学法学部卒、在学中に司法試験合格。スタンフォード大学でMBA取得。2003年から4年間、産業再生機構COOとして三井鉱山やカネボウなどの再生に取り組む。機構解散後、2007年に経営共創基盤(IGPI)を設立し代表取締役CEO就任。2020年10月より現職。パナソニック社外取締役。

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(経営共創基盤グループ会長 冨山 和彦)

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