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田園調布、碑文谷、久我山…東京の本当のお金持ちが「カワセミの住むところ」に集まっている理由

プレジデントオンライン / 2024年2月9日 14時15分

カワセミ(写真=筆者撮影、出所=『カワセミ都市トーキョー』より)

近年、「清流の宝石」と呼ばれるカワセミが東京の都心部で目撃されている。東京工業大学の柳瀬博一教授は「カワセミは高低差がある台地、緑地、湧水、河川がある場所を好む。都心の高級住宅地も同じ自然条件を備えており、カワセミが定住したのだろう」という――。

※本稿は、柳瀬博一『カワセミ都市トーキョー』(平凡社新書)の一部を再編集したものです。

■東京の台地エリアにある遊水地

東京の台地エリアには、湧水がつくった谷地形が無数にある。

地下水が豊富な武蔵野台地ならではの特徴だ。川が台地を削り、崖ができる。すると今度はその崖から湧水があふれる。うち規模の大きいものがさらに谷を刻み、新たな小流域を形成し、都市河川の支流となる。人間が武蔵野台地に到達する以前、数万年前の氷期にでき、場所によっては縄文海進で海が侵入し、現在に至る。

東京都内にどのくらい湧水地があるか。

長年東京の湧水の研究に打ち込んできた立正大学の高村弘毅元学長の『東京湧水 せせらぎ散歩』(丸善 2009)によれば、「東京には区部だけでも約280カ所の湧水があり、都内全体では707カ所に及ぶ(島部を含む、03年度東京都環境局による区市町村へのアンケート結果)」という。

同書では、湧水のタイプを3つに分けている。

① 谷頭(こくとう)タイプ 台地面上の馬蹄(ばてい)形や凹型地形など谷地形の谷頭、つまり地形的に水を含む層が露出したところから湧く湧水。地下水が湧出する力で谷頭地形(湧水地形)が形成されるところが多い

② 崖線(がいせん)タイプ 川によって侵食された台地の段丘崖や断層面に露出した砂礫層から湧く湧水。
砂礫層の下部は、水を通しにくい粘土層や泥岩になっていることが多い。ときに小滝となる。

③ 凹地滲出(おうちしんしゅつ)タイプ 川床や凹地に地下水・伏流水がポテンシャルにより滲み出してできる湧水。

■権力者たちが愛した「小流域源流」

①谷頭タイプの典型が、神田川源流の井の頭池、石神井川源流の三宝寺池、善福寺川源流の善福寺池である。つまり、谷頭タイプの湧水が、川となって台地を削り、徐々に川幅を広げながら、東京湾へと向かって降っていくわけだ。東京の都市河川は谷頭タイプの湧水から生まれている。

都市河川が削った両岸の崖にできるのが②崖線タイプの湧水である。神田川や妙正寺川沿いのおとめ山や関口芭蕉庵などの名前が挙がる。これが、本書で紹介している典型的な小流域源流の湧水である。

さらに、③凹地滲出タイプの湧水は、東京の河川の川底にたくさんあるようだ。洗足池のような凹地の池もまた、このタイプの湧水のひとつとされている。

小流域源流の谷地形を利用してつくられた庭園や緑地や公園は、かつてどんなふうに利用されていたのだろうか。

A川の庭園は江戸時代の有力大名下屋敷の跡地である。B川の公園が整備されたのは明治時代。C川の公園も江戸時代の下屋敷である。

昔の人、しかも権力者たちが、小流域地形を尊び、利用し、自らの屋敷の一部とし、庭園として珍重した。その庭園が今に至るまで残されたわけである。

■なぜカワセミは都内高級住宅街を好むのか

カワセミが暮らす街は高級住宅街。この法則に当てはまるのは、本書のケーススタディで紹介した3カ所だけではない。

次の表と地図をごらんいただきたい。都内の「カワセミの暮らす街」一覧である。いずれも東京では名の知れた住宅街ばかりである(注:このリストは筆者が直接観察した場所+当該施設の公開情報+ツイッター、インスタグラムで2015年以降複数の写真投稿があった場所をまとめたもの)。

【図表】カワセミがいる東京の「小流域源流」の街、小流域源流、その歴史、接続する河川
出所=『カワセミ都市トーキョー』より

ここに挙げた街には共通点がある。小流域源流の緑と池が住宅街の縁にあり、その源流が合流する都市河川がすぐ先の低地にあるのだ。

さらに共通するのは、それぞれの小流域源流の森が、古くから権力者の手で守られてきた、という点である。

古いものだと旧石器時代にまで遡る。つまり、東京に人間が到達したとき、最初に人々が住み着いた場所なのだ。しかも、これら小流域源流の谷は、人の手を借りながら、ずっと保全されてきた。複数の谷では今も水が湧き、巨木が斜面を覆っている。

【図表】カワセミがいる東京の「小流域源流」の街一覧
出所=『カワセミ都市トーキョー』、番号は図表1の場所、地形図は国土地理院ウェブサイトより

この表と地図を見れば、カワセミと人間は、同じ地形、小流域源流の谷が大好き! ということが実感できるだろう。

■人間の本能が「小流域源流」を求める

人間は小流域源流の谷を求めてきた。そして時代の勝者がこの地形を勝ち取ってきた。

旧石器時代、人間が武蔵野台地に到達した3万数千年前からずっと。縄文時代も弥生時代も古墳時代も飛鳥時代も奈良時代も平安時代も鎌倉時代も室町時代も戦国時代も江戸時代も明治時代も大正時代も昭和時代も平成時代もそして令和の今も、東京に集まった人々は、この小流域源流の緑の周辺を目指してきた。

なぜか。本能である。

人間は、湧水地を抱く小流域源流部をこの上もなく尊ぶ。そんな本能を有している。日本だけではない。世界中どこでも、である。湧水起源の小流域源流こそは、おそらく人類創生の昔から人間が希求してきた地形なのだ。

生物多様性という概念をいち早く世界に知らしめた進化生物学者エドワード・O・ウィルソンは1980年代に「バイオフィリア」という概念を提唱した。

バイオフィリアとは何か。ウィルソンは『バイオフィリア 人間と生物の絆』(平凡社 1994 原著は1984)で、こう定義する。

「生命もしくは生命に似た過程に対して関心を抱く内的傾向」と。

さらにこう解説する。

「われわれ人間は、幼いころから、自発的に人間や他の生き物に関心を抱く。生命と生命をもたないものを見分けることを学び、街灯に引き寄せられる蛾のように、生命に引き寄せられていく」

■世界中で豪邸が建つ

人間という生き物は、生まれながらにして「周りに生き物がたくさんいる状態が大好きだ」というのだ。生き物がたくさんいる環境というのは限られている。だから人間は生き物がたくさんいる環境を好むようになる。それはどんな環境か。ウィルソンは解説する。

「人間は、住む場所を自由に選べるときはいつでも、近くに川や湖、海などが見え、木々が点在する開けた場所に好んで住む」

そしてこうも語る。

「富と権力を持ち、好きなものを誰よりも自由に選びとることができた人々は、湖や川を見わたせる、あるいは海岸に面した高台に多く居を定め、そうした場所には宮殿や別邸、寺院、あるいは共同の別荘が建てられた」(以上、同書175ページ)

A川B川C川沿いの小流域源流の谷は、そして東京のカワセミが愛する都心高級住宅街の緑は、ウィルソンの「バイオフィリア」仮説にぴったり当てはまる場所である。

ウィルソンの「バイオフィリア」仮説を目の当たりにできるコンテンツが、インスタグラムにある。「Mega Mansions」。フォロワー数406.7万人(2023年11月2日時点)の人気投稿だ。

その名の通り、世界中の超お金持ち(有名人も出てくる)の豪邸をひたすら写真と動画で紹介するだけのサイトである。ゴージャスな邸宅や別荘がこれでもかと登場するのだが、そのほとんどが「バイオフィリア仮説」を証明する形態が共通している。

周囲を緑で囲まれた豪邸が、台地のてっぺんに立ち、目の前にプールか池といった水辺が配置され、高低差を設けながら谷を降り、邸宅の足元には、海や川や湖が広がる。

カワセミ(写真=筆者撮影、出所=『カワセミ都市トーキョー』より)
カワセミ(写真=筆者撮影、出所=『カワセミ都市トーキョー』より)

■麻布台ヒルズも同じ

小流域源流の地形を再現したもの、それが「メガマンション=大豪邸」というわけだ。お金持ちの邸宅はみな同じ、世界中どこでも変わりはない。なんでもできるお金を持った人間が、みんな同じデザインの「城」を欲する。小流域源流の地形を欲する。

文化的・歴史的背景よりはるかに強い、おそらくは人間の本能なのである。

2023年11月港区に開業した森ビルの複合施設「麻布台ヒルズ」もウィルソンのバイオフィリア仮説通りの建物だ。

武蔵野台地の縁の我善坊(がぜんぼう)谷の谷頭に立つレジテンス棟Aの入口脇からは湧水のように水が小川となって谷地形に沿って流れ、中央の池へ注ぐ。上階からは東京湾を一望でき、敷地内は広い緑地を備える。

■生命に大事なものがすべて揃っている

なぜ、人間は小流域の谷が好きなのか。なぜ、高低差があって、谷の奥には湧水があって、水が流れて池となり、その向こうに川や湖や海がある地形が好きなのか。

理由は明白だ。小流域源流は、生き物としての人間がサバイバルするために必要不可欠なものがまとめてパッケージされている地形だからである。

源流の湧水からはきれいな水が永遠に手に入る。飲み水に事欠かない。

カワセミ(写真=筆者撮影、出所=『カワセミ都市トーキョー』より)
カワセミ(写真=筆者撮影、出所=『カワセミ都市トーキョー』より)

源流部のてっぺんは分水嶺=尾根あるいは台地である。その地域でいちばん標高が高く、地盤がしっかりしていて、洪水に遭う心配もない。家を建てるのには最高の場所だ。尾根沿いは、水はけがいいから道をつくるのにも適している。移動も楽である。

湧水から出た流れを活用して谷地形を棚田にすれば、容易に耕作が可能となる。ため池をつくることもできる。農業にいちばん欠かせないのは水だ。ここならいくらでも手に入る。

水には動物や鳥が集まるから狩りも気軽にできる。水中には魚やカニやエビもいる。動物性タンパク質をすぐに摂取できる。耕作に使う牛、運搬や移動や戦争に使う馬。大量の飲み水が必要だが水源があるので心配ない。河口には干潟ができる。海の幸が取り放題だ。

■だから武蔵野台地に「古い野生」が残った

海や大河や湖につながっていれば、船を使った交易もできる。小流域源流部は、アフリカで人類が誕生してからこっち現在に至るまで最上の住処になる。だから日本全国どこでも小流域源流の地形からは旧石器、縄文、弥生、古墳時代の遺跡が見つかることが多い。

中世の城の多くは、小流域源流部の地形を利用して、尾根筋に城を建て、水の流れを利用して堀をつくり、馬を飼い、船を活用した。

東京の面積の大半を占める武蔵野台地には、小流域地形がフラクタルに展開している。神田川や石神井川、渋谷川、目黒川といった中小河川が湧水から生まれ、河川流域の地形をつくる。

台地を削り、削ったところから新たな湧水が出て、さらに小さな流域地形を形成する。こうしてできた数多くの小流域源流部をそれぞれの時代の権力者が我が物にし、城を建て、屋敷をつくり、神社や寺社などの宗教施設を置いた。

江戸時代に政治が安定すると、江戸=東京の小流域源流の多くは、有力大名の中屋敷や下屋敷、将軍の鷹狩りの御料地、神社仏閣、墓地になった。

湧水の水の流れは堰き止められて池となり、周辺には築山が築かれ、ウィルソンのバイオフィリア仮説を証明するような「小流域源流の地形」に見立てた庭園ができた。勝手に開発できないから、「古い野生」が温存された。

■カワセミと人間は同じ地形が好き

明治維新以降、小流域源流部を占有した大名屋敷の多くは、皇族や貴族、明治の元勲や財界人の手に渡った。あるいは大学の敷地となった。敷地内の湧水と緑と古い野生は維持された。

柳瀬博一『カワセミ都市トーキョー』(平凡社新書)
柳瀬博一『カワセミ都市トーキョー』(平凡社新書)

第二次世界大戦後、財閥解体や貴族制度の廃止、皇族資産払い下げなどがあり、存続が危ぶまれたが、その多くが公園や庭園、美術館や博物館、記念館などになった。ホテルなど宿泊施設として姿を変え、湧水と緑のかたちが残されているところもある。

公園や庭園や緑地に姿を変えた都心の小流域源流の周りの高台は、古くから権力者たちの住まいが集まる場所だった。ゆえに、現代その多くのエリアが高級住宅街となったわけだ。

東京の高級住宅街は、①武蔵野台地の縁にあり、②近くに小流域源流の地形を生かした公園や庭園や緑地があり、③その先に都市河川や海がある、という3つの共通要素を抱えている。

これはまさにカワセミが暮らしたい場所の必要条件とぴったり一致する。カワセミと人間は同じ地形が好き。

だから、カワセミが暮らす街は人間にとっても一等地、高級住宅街なのである。

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柳瀬 博一(やなせ・ひろいち)
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授
1964年、静岡県浜松市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。「日経ビジネス」記者、単行本編集、「日経ビジネスオンライン」プロデューサーを務める。2018年より東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。『国道16号線――「日本」を創った道』(新潮社)で手島精一記念研究賞を受賞。他の著書に『親父の納棺』(幻冬舎)、『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人共著、晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二共著、ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂共著、日経BP社)がある。

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(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授 柳瀬 博一)

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