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祖父は「原発デマ」で生きる希望を失った…福島在住ライターが「原発事故を利用する人々」に怒りを隠さないワケ

プレジデントオンライン / 2024年5月7日 10時15分

メディアがデマを広めている(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/bymuratdeniz

福島第一原発事故の風評被害はいまも続いている。福島在住ジャーナリストの林智裕さんは「私の祖父はメディアが広めたデマのせいで生きる希望を失い、失意のうちに亡くなった。メディアは『権力の監視役』どころか『第四の権力』となってしまっている」という――。

※本稿は、林智裕『「やさしさ」の免罪符 暴走する被害者意識と「社会正義」』(徳間書店)の一部を再編集したものです。

■メディアがデマを広めている

今やメディアは少なくない人々から、流言を鎮めるどころか「広める側」と認識されている。アカデミズムもイデオロギーに偏向し、機能不全に陥りかけている。

日本学術会議は多くの批判や要望を受けていたにもかかわらず、結局、最後までALPS処理水関連では何一つ発信しなかった。

ファクトチェック団体の日本ファクトチェックセンターは、2023年7月になってようやく処理水関連のフェイクニュースを取り扱い、その後もいくつかの記事を書いた。

■「ファクトチェック」では止められない

ただし、日本ファクトチェックセンターは設立時にマスメディアを検証対象にしないことを宣言しているため、マスメディアの暴走を止める抑止力にはならない。

また、別のファクトチェック団体「InFact」に至っては、3回目の処理水海洋放出が開始され、もはや誰も話題にさえしなくなった2023年11月2日になってようやく処理水を取り上げたかと思えば、《ファクトチェックの結論 現状の開示で「安全」を確認するのは困難》《一般の読者、視聴者は政府の言っていることを鵜吞(うの)みにさせられている感が強い。

それでは「安全」を確認したことにはならない。「安全」か否かの議論をする前に、その前提となるデータを私たちが確認できる情報開示が必要だろう》などと締めている。

その一方で、以前、編集長に問題を直接指摘していた《福島第一原発事故で新事実 事故直後の首都圏で高レベルの放射線量が計測されていた》《「米兵のトモダチは高線量で被ばくしていた」フクシマ第一原発事故プロジェクト第2弾》(いずれも2018年10月記事)などは放置されたままだった。

■原発事故に関するデマは「ヘイトスピーチ」か

法務省の人権擁護局にも相談した。人権擁護局は(特定の民族や外国人に対する)「ヘイトスピーチ許さない」との標語を強く繰り返し掲げている。

そこで、東電原発事故に関連した数々の風評加害やデマの具体例を提示したうえで、「ALPS処理水や福島の除染処理土への非科学的な『汚染』呼ばわりが人権侵害やヘイトスピーチに該当するか否か」回答を求めた。

すると、《個別具体的な言動が人権侵害やヘイトスピーチに当たるかどうかについては、対象となる言動の文言のみならず、当該言動の背景、前後の文脈、趣旨等の諸事情を総合的に考慮して判断されることとなるため、法務省(法務局)の立場としてお答えすることは、差し控えさせていただきます。いずれにしても、被災者の方々に対する偏見、差別はあってはならないものと認識しており、こうした言動のない社会の実現に向けて、国民の理解を得られるような人権啓発活動等に、しっかりと取り組んでまいります》との返答が得られた。

一方で、法務局の具体的取組みについては、《法務省の人権擁護機関では、令和5年度の啓発活動強調事項として「震災等の災害に起因する偏見や差別をなくそう」を掲げ、法務省ホームページでの人権啓発動画の掲載等の各種啓発活動を実施しています。

また、福島地方法務局においては、令和3年6月に東日本大震災に起因する偏見や差別の防止に焦点を当てた人権啓発動画を作成し、法務省YouTubeチャンネルで配信しているとともに、当局のホームページのトップ画面においても、人権啓発メッセージを掲載しています》との説明があった。

風評加害者らが自ら法務局HPを検索して訪れ、動画を閲覧し、反省し、風評加害を止めるのだろうか。

抗議活動
※写真はイメージです
原発事故に関するデマは「ヘイトスピーチ」か(※写真はイメージです) - ※写真はイメージです

■中国共産党幹部と処理水放出反対で一致した社民党の福島瑞穂氏

2024年1月19日、社民党の福島瑞穂党首は中国共産党序列4位の王滬寧(おうこねい)政治局常務委員と北京市内で会談し、この期に及んでALPS処理水の海洋放出反対で一致したことを改めて表明した。

「人類共通のものなので海を汚すべきでない」とした王常務委員に対し、福島瑞穂は「処理汚染水が放出されないよう止めていきたい」などと訴えたという。

福島瑞穂の活動に対し、中国の軍事戦略に詳しいジャーナリストの峯村健司は《王氏は相手国の取り込みや分断を図る統一戦線工作のトップ。まさに術中にはまっています》と述べた。

■中国・ロシアは漁を続けている

なお中国漁船は処理水放出後、中国が日本産水産物を全面禁輸した2023年の秋も大挙して太平洋に押し寄せて、秋刀魚を漁獲している。

中国と足並みを揃え、日本産海産物の禁輸に踏み切ったロシアの漁船も、福島第一原子力発電所の50km圏内で堂々と漁を続けている。もはや道理も何もあったものではない。

このような状況で、一体誰が野放図に広まった「予言」と不安煽動を止めるのか。

秋刀魚
写真=iStock.com/gyro
太平洋に押し寄せて、秋刀魚を漁獲している(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/gyro

■積極的に「反論」する必要がある

事実に基づかない流言や不安煽動の発信・拡散元、すなわち「風評加害者」らに対し、これに近しい対応を取ることが重要になってくる。それを「誰が行うか」も含め、具体的には以下に3つ提案する。

①政府や行政機関が正確な情報発信に留まらず、積極的に「反論」をしていく

まずは、政府や行政機関が積極的かつ毅然として直接「抗議」「反論」をしていくことが必要だ。

これまで、政府や行政は「言論弾圧」のリスクあるいはトラブル、民事介入だとの批判を過度に恐れ、誤情報に対する積極的な反論を行うことは稀だった。

『フェイクを見抜く 「危険」情報の読み解き方』(唐木英明&小島正美・共著 ウェッジ・2024年)によれば、2021年11月6日、TBSテレビ「報道特集」がネオニコチノイド系農薬の危険性を訴えた。

内容は人の発達障害の増加に影響があるかのようなことをほのめかす、事あるごとに農薬やワクチンに向けられてきた典型的な不安煽動だったという。

唐木と小島は、同書でこれを否定する様々な根拠を挙げて反論した一方、農薬の許認可やリスク評価に携わった農林水産省や厚生労働省、食品安全委員会など「国からの反論がまったくなかった」ことを批判する。

そのうえで、《せっかく国に代わって反論しているのに、肝心の国がだんまりでは援護なしと同じだ。(中略)国がもっと表舞台に出て、科学的な論争を通じて、国民に適確な情報を流すべきだろう。そのやりとりを見て、国民が是非を判断すればよい》と訴えた。

その通りだ。国などの行政が矢面に立たず、現場の当事者や個人の善意など属人的な献身と自己犠牲に依存したままでは、自ずと限界が来る。あらゆるデマは「声が大きい者、立場が強い者の言ったもの勝ち」、ナチスの宣伝省大臣ゲッベルスが言った「嘘も百回言えば真実となる」が示したように既成事実化されてしまうだけだ。

■メディアは「巨大な権力者」

まして、今や社会への影響力という点において、現代のマスメディアは事実上、司法、立法、行政に比肩・干渉する巨大な権力者と言える。

「何が問題か」「誰が弱者か」を恣意的に誘導するアジェンダセッティング、チェリーピッキングやほのめかしなどの印象操作、あるいは言いがかりに等しい報道や事実の担保なき独善で世論に影響を与え、人々を煽動し、結果的に政策や政権支持率、選挙結果を左右したり、場合によっては選挙で選ばれた政治家に「スキャンダル」をでっち上げて失脚させることもできる。

現に、メディアが過去の政権交代を煽ったことを自供したこともある。

東電原発事故やHPVワクチンでも実証されたように、「情報災害」によって社会の選択を誤らせ、人々の暮らしや生命・財産を破壊することもある。しかも、結果に何ら責任を取ることはない。

このような巨大な権力を相手に個人だけで立ち向かっても、勝敗など最初から見えている。

黒いスーツを着たビジネスマン
写真=iStock.com/greenleaf123
メディアは「巨大な権力者」(※写真はイメージ) - 写真=iStock.com/greenleaf123

■「権力の監視役」どころか「第四の権力」

これほど巨大な影響を社会にもたらすマスメディアの関係者は、しばしば自らを「権力の監視役」のように自認する。まさに「第四の権力」と呼ぶに値する振舞いだ。

仮にモンテスキューが現代社会を生きていれば、「三権分立」ではなく「四権分立」と訴えたことだろう。

しかも、「第四の権力」は他の三権と異なり、専門的な知識と責任を担保する資格が不要かつ民主主義的な選挙で選ばれたわけでもない。任期はなく弾劾(だんがい)もできない。他の権力と違い、相応の責任を求められる制度すらない。情報開示の義務もない。

■事実上の特権階級を放置してはならない

あくまでも主権者は国民である。マスメディアを事実上の特権階級にしたまま、社会の舵取りを委ねてはならない。行政や世論に干渉できる巨大な権力を持ちながら、専門的な知識や責任どころか選挙すら必要とされず、「一方的な監視」が特権的に許される状況がこれ以上放置され続けるのは危険だ。

エビデンスとファクトを基にした「尊厳の文化」を大前提としたうえで、モンテスキューの時代にはなかった新たな巨大権力を社会制度に組み込み、権力同士が相互に牽制(けんせい)し合うよう促していく必要があるだろう。

つまり、行政や立法、司法側も第四の権力に対し、「対等な権力」と見做して批判や反論を加え、責任を求めていくべきだ。

すると、「そのようなことをすれば、政府などの権力が暴走しかねない」との主張も間違いなく出てくるであろう。しかし、ここでも考えなければならないのは、ゼロサム思考ではなく「量の概念」だ。

すでに第四の権力が暴走して誰にも止められない、時に民意から正当に選ばれた政治家の生殺与奪さえ、冤罪でっち上げや印象操作によって、ある程度コントロールできてしまう現状がある。その弊害も、第四の権力自身による「報道しない自由」や共感格差によって、人々に広く周知されていない。

目下この状況こそ、民主主義にとって差し迫った大きな危機と言える。

そもそも、仮にマスメディアが事実の報道よりも政治への干渉をしたいなら、被選挙権はある。

正当な民主主義手続きで政治家に立候補し、世論からの信任を受けるべきだ。

■一般人も反論すべき

②一般人もSNSなどを駆使して反論する

もう一つ重要になってくるのは、一般人も「お客様」にならず、主体的に反論をしていくことだ。

ここで最も大事になるのは「ファクトとエビデンス」、すなわち「人の思惑に左右されない客観的事実(再現性がある科学的知見など)」を尊重すること。特にそれらと「主観的判断による正しさ(人間万事塞翁(さいおう)が馬。予測できない未来に対する政策や在り方などの意見=オピニオン)」を混同させないことが必須となる。

そのうえで、「被害者文化」に抗うのと同様に、偏向したアジェンダセッティングから生じた社会問題(とされるもの)に対し、「社会からの関心と共感」という資源の独占をさせず、彼ら彼女らが主張する「弱者」「被害者」「当事者」「論点」とされるものを無条件に受け容れず、あくまでも「尊厳の文化」をもってフェアに対応する。

相手が「被害者文化」に蝕(むしば)まれた「加害者」に変容した場合、それをダブスタ(ダブルスタンダード=二重規範)なく指摘・批判する。

スマートフォンを使う人の手
写真=iStock.com/Thx4Stock
一般人も反論すべき(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/Thx4Stock

■「やさしさ」を装いながら風評を広めている

たとえば、弱者に寄り添う「やさしさ」を装いながら、実際には風評を広めたり、当事者の自立を阻んだり、問題の解決を遅らせているような人々に対しては、ファクトとエビデンスを示したうえで、「風評加害者」と指摘することなどは極めて有効だ。

彼ら彼女らが事あるごとに隠れ蓑にしてきた「やさしさ」「弱者性」「被害者性」を無力化させ、問題を温存し続ける「加害者」としての実態を衆目の前に暴き出すだろう。

スーツの男性とマスク
写真=iStock.com/kuppa_rock
「やさしさ」を装いながら風評を広めている(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/kuppa_rock

■「コミュニティノート機能」の有用性

また最近、Xにおいては、2023年7月に実装された「コミュニティノート機能」の有用性が特に注目されている。これはユーザーの中から志願してコミュニティノートに登録した不特定多数の参加者によって行われている制度だ。

投稿にコミュニティノートをつけられた側はこれを消すことができず、すべてのユーザーに公開される。この機能により、反論を無視したり、エコーチェンバーに閉じこもったままで不正確な情報のみを一方的に垂れ流すことができなくなった。

コミュニティノートの表示は単純な多数決に拠らない。過去の評価において、評価が相違することのあった協力者の間で「役に立つ」という評価が一致することがノートには求められる。

Xルールに違反しているケースを除き、Xの運営側がノートの作成や評価を行ったり、ノートに介入したりすることもない。

透明性を重視するため、すべての協力者は毎日公表され、ランキングアルゴリズムは誰でも調査できるようになっている。これによって、評価や主張のイデオロギー的な偏向をある程度緩和できる。

そのうえで、情報提供者の実名が明らかにされるわけではないため、反論が不当な圧力や誹謗中傷、報復といった実力行使によって封じられることも防止できる。

■コミュニティノートに反対するジャーナリスト

集合知によって誤った情報の拡散に一定の歯止めがかかるこの制度は、正確な情報を求める人や社会にとっては歓迎すべき状況だが、少なくないジャーナリストや一部の政治家などからは不快感の表明が相次いだ。

具体例の一部を提示しよう。2023年7月17日、沖縄タイムスの阿部岳記者による、以下の投稿があった。

《水俣では、中毒患者を出しながら有毒な工場排水が海に放出され続けた。福島では、約束した「関係者の理解」も得ないまま原発事故の汚染水が海に放出されようとしている。沖縄では、民意を踏み躙って海を埋め、辺野古新基地建設が続いている。全てつながっているし、全ておわっていない》

これに対し、次のコミュニティノートがついた。

《原発廃炉処理水に水俣病や沖縄の基地建設がつながっているという個人の感想には、科学的な根拠が提示されておりません。処理水の安全性は国内外の専門家から様々な科学的立証をされており、民意としても海洋放出に賛成の世論調査の結果も出ています。》
《また敷地面積を占める処理水の保管タンクは、復興への廃炉作業の妨げになっています。》
《むしろ問題は、こちらの投稿のように汚染水と呼ぶ声からは科学的論証がされないことで、社会的な合意形成を得られる説得力がないどころか、問題解決を妨害する意図も含まれ、風評被害に当たるので注意が必要です》

NO!
写真=iStock.com/mattjeacock
不快感の表明が相次いだ(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/mattjeacock

■「あなたの感想ですよね」

すると阿部記者は、

《私のツイートに付いた「コミュニティー(ママ)ノート」。なんか客観を装っているけど、「あなたの感想ですよね」「問題解決の妨害ですよね」「風評被害ですよね」というただの匿名ネトウヨコメントが公的な装いで表示されていて、まさに今のツイッターを煮詰めた感じの素敵な新機能です》

■「クソリプ」「嫌がらせに使われる」

と吐き捨てた。神奈川新聞記者の柏尾安希子は、

《コミュニティー(ママ)ノートって、見ている限り口汚くないクソリプって感じですね。》

と投稿し、これを否定するコミュニティノートがつけられた。

さらに自身の投稿についた《唐突に雲霞の如くつき始めたので、何かあると思っています。コミュニティノート。やたらと政権寄りです。まさかとは思うがこんなのに税金使われていないだろうな》という返信に対し、《そう思いますよね》などと返していた。

ジャーナリストの津田大介は、《なんでモデレーションもろくに機能していない日本のツイッターで、匿名でほぼ自由に書ける形で導入したのか。嫌がらせに使われるに決まってるだろ》と断じた。

■「コミュニティノートは実名にすべき」と投稿した蓮舫氏

立憲民主党の蓮舫参議院議員が、

《コミュニティノート、これは実名にすべきでしょう。》

と投稿したことに対し、

《匿名化するメリットとしてプライバシーの保護だけでなく下記2点の実現をコミュニティノートはガイドラインに示しています。

偏見の緩和:
ノートの作者ではなくその内容に焦点が合わせられ、特定の作者に対して協力者が抱くおそれのある偏見を抑制できる

分極化の緩和:
コードネームによって、人々が安心して党派の垣根を越えたり、同調圧力や報復を恐れずに自身の陣営を批判したりできることで、分極化が緩和される》

とのコミュニティノートがつけられた。

また、これまで「代替医療」と称される、標準的な医療と異なる治療などを提案したり、「ワクチン不要論」などの著書で多くの批判を受けてきた人物が、《ちょっと質問なのですが、ツイッターもコミュニティノートとかいう通称ゴミノートってやつが入ってきて、ウザくなってます。利用者激減、閲覧も激減にはなりそうですが、ここぞとばかりに工作員とか業界アカウントもわいてくるしw。(中略)一応質問としてはコミュニティノートを表示させない、ブロックする方法をご存知のかたいますか?ということです。》と投稿したことに対し、《コミュニティノートの宣伝としてこれほど優れた文章ないと思う。デマ医療で稼ぐ人にとって、どれほど都合が悪いか、撤退すら視野に入れさせる。凄いぞコミュニティノート!》などの感想が寄せられていた。

NOと書かれたカード
写真=iStock.com/ImpaKPro
「コミュニティノートは実名にすべき」と投稿した蓮舫氏(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/ImpaKPro

■社会を希望で照らす

③社会を希望で照らす

最後に示すのは、「社会を希望で照らす」ことだ。

一見して陳腐な精神論にも見えるかも知れないが、実はこれが最も重要なことであり、行うすべての対応の動機、最終目的として通底させなければならない。

改めて「情報災害」を要約する。

悪意または誤解や独善、政治的あるいは商業的な打算や自己顕示などに基づく軽挙妄動、あるいは同様の動機から広められた流言蜚語などの誤った情報を主な手段とし、「正確な状況判断とその共有を阻み、対応の優先順位を誤らせ、社会のリソースを空費させ、一刻を争う救助や支援を妨害する」「人々の恐怖や不安を煽動し、社会に怒りと絶望を広める」などを要因に引き起こされる人災全般を指す。

「情報災害」はそのすべてが「人の心」が引き起こす以上、最終的には「人の心」でしか解決できない。

災害時など、生命の瀬戸際にある人間を最後の最後に繋ぎ止めるのは「希望」だ。恐怖や不安が広まる中、寒空の下で救助を待つ中、あるいは人生を捧げてきたすべてを失ってしまったような状況では、被害状況や立場によっての多少の程度はあれど「助からないかもしれない」「見棄てられた」「二度とは元に戻らない」「これ以上生きていても仕方がない」などの絶望が頭を過ぎる。

■デマが「絶望」をもたらす

デマがもたらす「絶望」は、当事者が崖っぷちの岐路にあるその瞬間に、背中から突き落とすように作用する。たとえば、すでに述べたように、福島では原発事故が発生したが、健康影響を受けるような被曝は住民の誰もしておらず、食品は今や他県産とまったくリスクが変わらない。

にもかかわらず、特に事故直後には未来を悲観した自殺者が多発した。

2011年7月9日の毎日新聞報道によれば、福島県内では同年3月に原発事故が発生した翌月4月から6月にかけて、自殺者が2割増加したという。

その後も自殺は相次いだ。《私はお墓にひなんします ごめんなさい》と残された遺書は、あまりにも重い。

本来は必要のなかった避難によって健康が悪化したり、家庭が崩壊したケースも続発した。

夜に自宅のベッドでスマートフォンを使用する人
写真=iStock.com/gorodenkoff
デマが「絶望」をもたらす(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/gorodenkoff

■「早く死にたい」と何度も呟いた祖父

長年福島で農家をしていた私の祖父も、「福島の農家はサリンを作ったオウムと同じ」に類した悪質な言説が飛び交っていた時期に、「もう俺の野菜は孫や曾孫には食わせられない」と絶望し、「もう俺は死にたい。早く死にたい。ころしてくれ。もうころしてくれ……」と何度も呟き、失意のまま他界した。

無責任に絶望を広めた賢(さか)しらな人々は、自らの言説が招いた壮絶な光景を知らない。知ろうともしない。せいぜいが、すべてを「元はと言えば事故を起こした国と東電が悪い」などと他者に責任転嫁して終わりだろう。

一度社会に広まった「絶望」を打ち消すためには、強い「希望」を広める必要がある。「必ず助ける」「絶対に復興させる」「元の暮らしを取り戻せるようにする」──そこには、あるいは厳密な意味では根拠なき「願望」「嘘」も含まれるかも知れない。

それでもなお、より酷い絶望をもたらさないよう最大限の配慮をしながら、強く、繰り返し、意識的に希望を打ち出し続ける必要がある。たとえいかなる絶望があろうと、空虚で実現不可能な絵空事と冷笑・嘲笑されようと、無責任だとの誹(そし)りや怒りを向けられようとも、それこそが、非常時であるほど、瀬戸際にある当事者の命を繋ぎとめる一筋の糸となり、運命さえ左右し得る。

ベッドの上に座っている高齢の男性
写真=iStock.com/ozgurcankaya
祖父は「原発デマ」で生きる希望を失った(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/ozgurcankaya

■「ファクト」と「オピニオン」を混同してはならない

何より、先のことなど誰にもわからない以上、前述したように「ファクト」と「オピニオン」を混同してはならない。

林智裕『「やさしさ」の免罪符 暴走する被害者意識と「社会正義」』(徳間書店)
林智裕『「やさしさ」の免罪符 暴走する被害者意識と「社会正義」』(徳間書店)

東電原発事故後、私は相次ぐ余震とそのたびに鳴り響く緊急地震速報の中で、屋内退避をしていた。藁(わら)にもすがる思いで携帯電話を握り情報収集すると、そこには「フクシマを廃県にしろ」「二度と人が住めない」「復興など諦めろ」「逃げない奴は馬鹿」「すべての放射性廃棄物を福島に持っていって最終処分場にしろ」「原発を誘致した福島県民の自業自得」のような、不安と恐怖に沈んだ気持ちをさらにへし折る、絶望へと誘う「オピニオン」が無数に並んでいた。

ところが、実際には彼らの描いた「予言」ははずれ、福島は復興した。

福島だけではない。たとえば広島に原爆が投下された1945年、当初は「広島には75年間草木も生えない」と言われていたが、その30年後、1975年の広島で起こっていたのは「プロ野球広島東洋カープ、初のリーグ優勝!」に沸く街の姿であった。

「情報災害」を防ぐために最も大切なことは、「社会を希望で照らす」ことだ。

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林 智裕(はやし・ともひろ)
ジャーナリスト
1979年生まれ。福島県出身・在住の著述家・ジャーナリスト。著書に『「正しさ」の商人 情報災害を広める風評加害者は誰か』(徳間書店・2022年)。『東電福島原発事故 自己調査報告 深層証言&福島復興提言:2011+10』(細野豪志・著/開沼博・編 徳間書店・2021年)取材・構成担当、『福島第一原発廃炉図鑑』(開沼博・編、太田出版・2016年)にてコラムを執筆。「正論」「現代ビジネス」「Wedge ONLINE」などの他、福島の銘酒と肴のペアリングを毎月お届けする「fukunomo(フクノモ)」の紹介記事連載も手掛ける。

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(ジャーナリスト 林 智裕)

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