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GWは養老孟司×隈研吾が作った"アートな碑"を見に行こう…無意味に見えるモノに宿る慈悲の心と想像力

プレジデントオンライン / 2024年5月1日 10時15分

日本最古、八王子市にある廣園寺の虫塚 - 撮影=鵜飼秀徳

■なぜ、人は昔から「虫のお墓」を作るのか

来る6月4日は「虫の日」だ。昆虫が活発的に蠢めく時期でもある。同時にこの時期には、無数の小さな命が失われる。日本人の宗教観では、虫の命とて無碍にしない。小動物への慈しみの心は、各地の「虫塚」と呼ばれる石塔として残されている。本稿では首都圏の虫塚を紹介する。大型連休に、虫塚を訪ね歩くのも一興かもしれない。

仏教では、このシーズン「夏安居(げあんご)」という習慣がある。這い出てくる昆虫や小動物への殺生を避けるため、特に雨期には僧侶はあまり出歩かずに、寺に籠って修行するのだ。「足元の弱者」にも、最大限の気配りをするということであろう。究極の「慈悲の実践」ともいえる。

これをカタチにしたものが虫塚だ。古来より虫塚は立てられ、全国各地にある。アリやムカデ、バッタ、セミ、トンボ、ハチ、チョウなど特定の種を弔う虫塚もあれば、小動物をひっくるめて虫塚にして祀ることもある。虫塚の目的はさまざま。農業のために駆除された害虫を慰霊するケース、教育や研究の犠牲になった虫を弔うケース、人間生活に有益な昆虫を顕彰するケースなどがある。

現存する虫塚で最古のものは、東京都八王子市の臨済宗南禅寺派の廣園寺境内にあるものだ。廣園寺は1390(康応2)年に開山した古刹である。虫塚は創建当時に立てられたと伝えられている。

廣園寺の境内地は時間が止まったかのような静寂をたたえる杜になっている。江戸時代には寺領53万坪を誇り、40カ寺以上の塔頭寺院を抱える地域の大寺であった。

境内の片隅に、円柱型の虫塚がある。高さは90cmほどだ。下部3分の1ほどが太くなったつくりで、まるでロケットのような形状をしている。銘文が彫られているかどうかも分からないほど風化しており、相当古い石碑であることは分かる。

廣園寺が開かれたのが14世紀末。地域では田畑の収穫時期になると大量の虫がつき、生育の妨げになっていたという。村人たちはそれを憂い、なんとか被害を抑えたいと廣園寺の初代住職峻翁令山(しゅんのうれいざん)に祈祷を頼んだ。

峻翁が「それは難儀。悪い虫を退治しよう」と祈祷を始めると、害虫はことごとく死に絶えたという。しかし、害虫とて、生きとし生ける存在。村人は後生を弔うために、死骸を集めて廣園寺境内に埋葬した。そして、再び虫による被害がでないようにと、石塚をつくって祈願したという。

■数十万人の餓死者を出した享保の大飢饉の原因は梅雨とウンカ

いつの時代も、庶民は農業を脅かす害虫に苦しめられてきた。例えば1732(享保17)年に起きた「享保の大飢饉」や、1833(天保4)年の「天保の大飢饉」の元凶は、主に害虫だとされている。

享保の大飢饉の場合、その年の梅雨が長引き、冷夏になったのとウンカが大発生したことが発端である。ウンカとはセミを小さくしたような体長5mmほどの虫だ。稲の茎や葉に取り付き、水分を摂取し、稲を枯らしてしまう。

戦後、農薬を使った駆除の普及により、害虫被害は抑えられてはきている。だが、いまだにウンカの被害(坪枯れ)は珍しくはないという。

享保の大飢饉では、数十万人の餓死者を出したとも伝えられている。天保の大飢饉の際には、大騒動にも発展した。「大塩平八郎の乱」などが勃発し、コメの不作からくる財政難とも重なって幕府権力が大きく揺らぐ要因ともなった。食糧の供給をいかに安定させるか。時の権力にとって、虫との対峙は人間同士の争い以上に、一大事であった。

筆者は以前、上野の寛永寺を訪れた際、偶然、境内に江戸時代に立てられた虫塚を見つけたことがある。赤みを帯びた丸い安山岩が、本堂前の茂みの中に置かれていた。塚の上部に「蟲塚」とあり、正面にはびっしりと漢詩が刻まれている。漢詩は江戸時代中期の儒学者、葛西因是(かさいいんぜ)の作である。

寛永寺の虫塚
撮影=鵜飼秀徳
寛永寺の虫塚 - 撮影=鵜飼秀徳

碑文によれば、この虫塚は伊勢(現在の三重県)長島藩主で、増山雪斎(正賢)にちなんだものだ。雪斎は藩主でありながら書画に優れ、多くの花鳥画を手がけた人物。なかでも昆虫の写生図である『虫豸帖(ちゅうちじょう)』には、トンボやバッタの透き通った羽の質感などが緻密に描かれている。今にも画帖から飛び出してきそうなリアルさである。

増山雪斎の『虫豸帖』
撮影=鵜飼秀徳
増山雪斎の『虫豸帖』 - 撮影=鵜飼秀徳

雪斎は生前、「虫はわが友である。(作画のために死んでしまった虫のために虫塚を建立して)いつか適当な地に置いて供養したい」と遺していた。死の2年後の1821(文政4)年、知人らによって増山家の菩提寺、寛永寺塔頭の勧善院にこの虫塚が立てられた。勧善院は昭和初期に廃寺になったが、虫塚は寛永寺のよって引き取られた。ちなみに、『虫豸帖』は、寛永寺の旧境内地である東京国立博物館に収蔵されている。

なお、寛永寺の虫塚の近くには、茶筅(ちゃせん)を供養する「茶筅塚」もある。茶筅は、茶道にとって欠かせないものだが、摩耗して使えなくなる。茶筅塚は、茶筅そのものの供養を目的にする他、「客」への感謝、先達の茶人にたいする供養など、さまざまな意味が込められている。虫塚とともに見てもらいたい。

永寺の茶筅塚
撮影=鵜飼秀徳
永寺の茶筅塚 - 撮影=鵜飼秀徳

■養老孟子「虫に睡眠に関する遺伝子があるので…“意識”はある」

都内には近年、建立された虫塚もある。NPO法人日本アンリ・ファーブル会が運営する「虫の詩人の館(ファーブル昆虫館)」(文京区千駄木)の玄関脇に、「蟲塚」(高さ約90cm)が置かれていた。揮毫は同館館長で、フランス文学者の奥本大三郎氏によるものだ。2012(平成24)年に、会員有志の寄付によって建立された。

ファーブル昆虫館の虫塚
撮影=鵜飼秀徳
ファーブル昆虫館の虫塚 - 撮影=鵜飼秀徳

かつて多くの子どもたちは、野山に出て昆虫採集と、標本作りに没頭した。学校の理科の授業では、小動物の解剖実習があり、また夏休みの自由研究では、標本箱に入れたチョウやトンボの姿に目を輝かせたものだ。だが、近年では、学校や家庭から昆虫採集や標本作りが消えつつあるという。

昆虫採集や標本作りは、儚い生命の輝きを知る、絶好の教育の機会である。「死」と向き合う姿勢を通じて、「生」をリアルに感じることができる。

だが、教育現場では「殺生」「自然破壊」などと、拡大解釈し、教師や親が過剰に反応してしまい、昆虫との触れ合いが消えてしまっている。

そうした状況を同会の会員らは憂いた。そして、昆虫採集の復権を目指す目的で、この虫塚の建立の話が自然発生的に持ち上がったというのだ。もちろん、同館に展示されている標本昆虫の慰霊の目的もある。

毎年3月上旬の啓蟄(虫が這い出る頃)の時期に、奥本館長の誕生日祝いをかねて供養祭を実施しているという。

ユニークな虫塚の例としては、解剖学者の養老孟司氏が2015(平成27)年に鎌倉の建長寺に建立した虫塚がある。これは日本一、“洗練された”虫塚かもしれない。設計は建築家の隈研吾氏である。

建長寺の虫塚の周囲は石でできた昆虫の像が置かれている
撮影=鵜飼秀徳
建長寺の虫塚の周囲は石でできた昆虫の像が置かれている - 撮影=鵜飼秀徳

虫塚はゾウムシの頭部を模(かたど)った石像を中心に置き、周囲を金属製の虫かごが取り巻くモダンな意匠。金属部分には粘土が吹き付けられていて時の経過とともに苔が生していくという演出が込められている。周囲の石にはクワガタやトンボなどが透かし彫りされていて、実に楽しげだ。

建長寺の虫塚(設計:隈研吾)
撮影=鵜飼秀徳
建長寺の虫塚(設計:隈研吾) - 撮影=鵜飼秀徳

養老氏は昆虫研究家でもあり、箱根の別宅には膨大な昆虫の標本が並ぶ。虫塚建立記念法要の挨拶文で養老氏はこのように述べている。

《長年虫を標本にしてきましたので、その供養が第一です。解剖学教室に奉職している間も、毎年解剖体慰霊祭に参加してきましたので、慰霊の癖がついたのかもしれません。虫に霊や心があるかというご意見もあるかと思いますが、睡眠に関する遺伝子が見つかっているので、意識はあるのではないかと思います》

虫塚は全国各地にある。この一見、無意味に思えるモニュメントにこそ、人間の豊かな想像力をみることができる。この大型連休、ぜひ、自宅近くの虫塚を探しにいってほしい。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)

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