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米ハーバード大学に献体された遺体、関係者が人体収集家に密売

Rolling Stone Japan / 2023年12月28日 8時15分

ハーバード大学に献体された遺体はどこへ

米マサチューセッツ州にあるのどかな郊外の町ソーガスで、ロビン・ダポリートさんとニコール・マクタガートさんの姉妹は車に荷物を詰め込んだ。

【写真を見る】ドロドロの臓器でいっぱいだった地下室

友人や家族およそ30人とマーブルヘッドのキャッスルロック公園で落ち合うことになっていた。2022年7月のニューイングランド沿岸は海水浴シーズン真っ盛りだったが、今回はありきたりな旅行ではなかった。姉妹は母親のアデル・マッツォーネさんのお気に入りの場所で、遺灰を散布しに行くところだった。母親は昔よくそこでつま先を砂にうずめて座り、アイスクリームを食べたものだった。傍らでは子どもたちが日差しの照り付ける岩肌の上を駆け回り、眼下では波が砕け散っていた。

ダポリートさんは岸壁に向かう前、空になったプラスチックの調味料の小さな容器をトランクに並べ、ひとつずつ細かい灰を注ぎ、この日のために白い服を着た参列者1人1人に手渡した。遺灰は海に撒いてほしい、というのがマッツォーネさんの遺志だった。1人ずつ、潮風に灰を撒いていく。穏やかな最期の別れだった。

「素敵な1日でした」とダポリートさんは言った。

その3年前、マッツォーネさんは脳卒中の合併症により74歳でこの世を去った。遺体はその後ハーバード大学に送られた。医学生の勉強に役立ててもらおうと、死後の遺体を寄付する解剖献体プログラム(Anatomical Gift Program)の一環だ。ハーバード医学大学院は全米でもトップクラスで、2023年のランキングは研究レベルで全米1位だった。マッツォーネさんの献身的な遺志は、未来のアメリカ人医師の育成に役立てられるはずだった。

「私たちが子どもの頃から、母はいつも『大学に行きたい。ハーバードに行くんだ』と言っていました」。家族への思いや祈りがぎっしり綴られたマッツォーネさんの日記のページをいじりながら、ダポリートさんはこう語った。母親は読書家で、底沼の好奇心の持ち主だったが、高等教育を受けるチャンスは巡って来なかった。それでもマサチューセッツ州生まれだったマッツォーネさんにとって、ハーバードを超える名門大学はなかった。


アデル・マッツォーネさん(COURTESY OF THE FAMILY)

アデル・マッツォーネさんはずっとハーバード大学を夢見ていたが、結局大学に通うことは叶わなかった。「母は由緒ある大学ハーバードを美化する価値観のもとで育てられました」と娘のロビンさん。「今のハーバードにプロ意識が欠けていることを知ったら、きっと母はものすごくがっかりするでしょうね」。

母親の遺灰を撒いた夏の夜から1年ほど経過した6月14日、マクタガートさんがTVをつけると、地元局はハーバード大学のニュースで持ち切りだった。ハーバード医学大学院の遺体安置所で管理人を務めていたセドリック・ロッジを含む複数が、共謀罪および州をまたいだ盗品運搬罪でペンシルベニア州の連邦大陪審から起訴されたのだ。さらにニュースでは、いわゆる盗品が献体プログラム――マッツォーネさんが誇らしげに自らの身体を捧げた、まさにそのプログラムに提供された遺体の一部だったと説明されていた。

「心臓が止まるかと思いました」とマクタガートさん。「状況がまったく呑み込めませんでした」。とっさに大学に電話をしようと思ったが、すでに夜は更けていた。翌日職場から帰宅すると、もっとも恐れていた事態を告げる配達証明郵便が郵便受けに届いていた。

活字体の書簡には、「アデル・マッツォーネ様のご遺体に支障があった可能性は否めません」と書かれていた。「今回の騒動で、皆様にはご心痛とご心配をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます」。

あの灰は――ハーバード大学から郵送された質素な黒い箱に入っていた灰、親族で慎重に分配して海に撒いた灰、最後に残った母親の物理的存在は、ひょっとすると母親のものではなかったというのか?



風光明媚なハーバード大学の敷地内で、遺体安置所のある医学棟の一角を知らずに数年過ごしたとしても無理はない。そこはツタの這う赤レンガ造りの壮麗な建物ではなく、大理石でできた厳格な灰色の建物だ。中庭の南側に位置する本館は立派な円柱に囲まれた荘厳な建物で、てっぺんにはアメリカ国旗が誇らしげにはためき、さながらミニ・ホワイトハウスといったところだ。毎日建物のすぐそばを通り過ぎていても、円柱の向こうに遺体があるとは思いもよるまい。解剖や研究用に提供された献体は、最終的に火葬されるまでここに保管される。

ハーバードに提供された献体は最終的にここに行き着き、白衣とゴム手袋を身に着けたアイビーリーグの学生たちの教材となる。未来の医師や歯科医は、割り当てられた防腐処理済みの遺体を丁重に調べ、上腕の神経叢や膝関節の小さな靭帯や骨について学ぶ。学生の学習、実験、研修を経た後、通常であればドナーの灰は遺族に返還され、最期の貢献が完了する。ドナーはマッツォーネさん同様、科学のために伝統的な葬儀を放棄した寛容な人たちだ。

悲しみに沈む息子や娘が愛する家族の遺体をハーバードに提供する場合、由緒ある研究機関が敬意をもって遺体を扱ってくれると信用している。大学なら安心して任せられると信じて、父母や祖父母の亡骸を託しているのだ。


ニコラス・A・ピホヴィッチさん(COURTESY OF THE FAMILY)

ポーラ・ペルトノヴィッチさんの両親、ニック・ピホヴィッチさんとジョーン・ピホヴィッチさん夫妻はハーバード大学に死後献体を行った。そのうち事件の被害者だった可能性があるのはニックさんだけだ。ポーラさんいわく、保安官補だった父親はたびたび養子を迎え入れていたという。「(両親は)思いやりのある人でした。社会に恩返ししたいと思っていました」。

だが2018年、信じられないようなことが起きた。長年ハーバードで遺体安置所の管理人を務めていたロッジは、どうやらニューハンプシャー州政府に勤務していた妻のデニースと共謀して、献体の一部を売買していたようだ。ハーバード大学遺体安置所のお墨付きを受けた正式な手続きや遺体処理施設が汚され、一風変わった標本を集める数奇フェチの巣窟と関与したのだ。ドナーはベースボールカードのごとく取引された。愛する家族が安らかな眠りについたと信じていた遺族は、長い間何も知らずにいた。

逮捕されて以来、遺体安置所の管理人をしていたセドリック・ロッジと妻のデニースは一切公の場で発言していない――夫の代理人はノーコメントで、デニースの代理人からは取材要請に返答はなかった。したがって、5年間に遺体安置所で起きていたことを説明するには、起訴状から読み取るしかない。

ロッジは――妻とともに無罪を主張している――運営を任された遺体安置所に密かに人を招き入れ、売買する遺体を選ばせ、持ち帰らせていたらしい。顧客のほとんどは数奇趣味の持ち主で、医療機器や剥製など変わったものを購入し、場合によってはそこから宝石やフィギュアといった作品を作っていた。数奇サークルの中には変わったアイテムの収集だけでは飽き足らず、本物の死体の一部を集める連中もいる。

検察によると、ハーバード大学の遺体安置所を利用していた顧客の1人が、マサチューセッツ州ピーボディでKats Creepy Creationsという店を経営していたカトリーナ・マクリーンだ。マクリーンは(同じく無罪を主張)自分の職業について、「不気味な人形の絵を描いたり、死んだものに手を加えたりして生計を立てている」と2021年にPodcastで語っている。現在は閉業中の彼女の店には、悪霊が取りついたピエロや吸血鬼など化け物の衣装をつけたフィギュアが売られていた――そうした人形は、人間の骨で作られることもあった。ペンシルベニアの収集家ジョシュア・テイラーも顧客の1人で、Angry Beard Antiqueという不気味なInstagramアカウントを運営し、頭蓋骨や骨の写真、死んだ子供の遺影などを投稿していた(他の被告人同様、テイラーも無罪を主張している。弁護人はノーコメントだった)。ロッジと妻はソーシャルメディアで知り合った全米中のバイヤーにも遺体を配送していたとみられ、ニューハンプシャー州の自宅には様々な身体の一部が保管されていた。


他人を遺体安置所に招き入れては遺体の一部を物色させ、売りさばいていたとみられるセドリック・ロッジ(無罪を主張)――遺族は何年も知らずにいた(STEVEN PORTER/”BOSTON GLOBE”/GETTY IMAGES)

キャンパスから密かにコレクターの手に渡った遺体はその後も大勢の手に渡り、Facebookのメッセージ経由で物々交換や売買の対象となった。

この手の数奇収集癖は何百年も前から行われ、世界中の人々の想像力をかきたててきた。厳密にいえば、ほとんどが合法だ。ウェイクフォレスト大学法律大学院のタニア・D・マーシュ教授から聞いた話では、アメリカ先住民の遺体を博物館や連邦当局から遺族に返還することを定めた「アメリカ先住民の墳墓保護と返還に関する法律」を除けば、遺骨の所持を禁ずる連邦法はない。いわゆる「液体標本」――骨のない遺体を指す、ぞっとするような用語――の取引を禁じる連邦法もない(ただしマサチューセッツ州、ニューハンプシャー州、テキサス州など8つの州では、広い意味での遺体売買が違法とされている。ロッジ夫妻の場合は連邦起訴で、州レベルでは一切罪に問われていない)。

NPO団体(現在は閉鎖)Morbid Anatomy Museumの創設メンバー、トーニャ・ハーレイ氏いわく、世の中には「数奇なものにある種の美を見出す集団」が存在する。ちなみにMorbid Anatomy Museumはブルックリンを拠点とし、自然の摂理や死、解剖などを展示や講義で世に啓蒙している。1863年に設立され、年間10万人以上が訪れるフィラデルフィア医科大学のムッター・ミュージアムなども目的は同じだ。ムッター・ミュージアムでは来館者が医学的変異や大学内の解剖を学べるようにと、身体の様々な部位が展示されている。他にも数奇なものを集めたイベントや展示会は無数に行われており、世界中で大勢の人々を魅了している。「死について語るのはタブーです」とハーレイ氏。だからこそ、遺体研究は一部の人々を惹きつけてやまない。このコミュニティでは、遺体研究がそうしたタブーを取り除き、死ぬことへの誤った見方を正す手段だと考えられている。

ムッター・ミュージアムにせよイベントにせよ、聞くだけでぞっとするかもしれないが、法的には何ら問題はない。とはいえ、こうした世界ではよからぬ連中が出てくるのも珍しくない。「墓盗人は何百年も前から行われています」とハーレイ氏も言う。「ハーバード大学の一件で、闇取引が再び表沙汰になったというわけです」。




マイケル・ピッツィさん(COURTESY OF THE FAMILY)

ジャネット・ピッツィさんは叔父のマイケルさんの優しさを今も覚えている。マイケルさんは言葉が不自由な近所の子どもと仲良くなり、クラリネットという共通の趣味を通じて友情を育んだ。その子は死期を迎えたマイケルさんのためにクラリネットを演奏した。「叔父は本当に面白い人で、才能にあふれていました」。90代まで不動産業に携わったマイケルさんについて、ジャネットさんはこう語った。「人に寄り添うことができる人でした。私が知る限り、誰よりも仕事熱心だったと思います」。

こうしたことをふまえると、今回の事件はなおさら衝撃的だ。かの名門大学で起きた事件――しかも顧客と見られる人々は、身の毛もよだつ密かな楽しみとやらで遺体の一部を購入し、金もうけをしていたのだから。マイアミ大学で細胞生物学を教えるトーマス・H・チャンプニー博士いわく、この手の違法売買は献体を自前で用意できない医大やプログラムで行われるのが常だという。だが今回の事件では、ドナーは献体プログラムへの参加を希望していたにもかかわらず、遺体は医療関係者以外の手に渡っていた。「ハーバード大学を介して数奇コレクターの手に渡っていたのは、ある意味で最悪のパターンです。遺体組織を所有あるいは獲得するためなら、道理などわきまえない人たちですから」。

マーシュ教授も同意見だ。「こういった遺体売買ネットワークがあると聞いても、さして驚きませんでした。ただ、ハーバード大学の遺体だったと聞いた時は少しばかり驚きましたが」。

ハーバード大学はコメント取材を辞退し、代わりにwebサイトに掲載された声明を照会した。そこにはロッジが解雇されたこと、大学側はロッジの行為を知らなかったと書かれていた。

権威ある遺体安置所の管理人から盗人となり下がったロッジの知人にとってもショックだった。隣人のアラン・パーマーさんの話では、ロッジはニューハンプシャー州マンチェスター界隈で「ハロウィンになると少しタガが外れる」人間として知られていた。だが改めて振り返ると、ロッジの生活には細かい点で奇妙なところがあった。ロッジのFacebookのプロフィール画像はジャック・オー・ランタンだったし、一家の車のナンバープレートは「Grim-R[訳注:grimmer=もっと残忍に]」という文字が当てられていた。不動産データベースZillowには、パーマーさんの隣に越してくる以前、2020年に売却した家の写真が掲載されているが、家の中には白と紫に塗られたビクトリア朝のガーゴイルの石像と複数の冷蔵庫が映っていた――冷蔵庫は寝室にも1台置かれていた。

だがロッジの知人は、変わり者だったがどちらかというと普通の人間だった、という意見が大半だった。「大人しかったですよ。学校では似たようなタイプの連中とつるんでました。SFとかにものすごく入れ込んでました」と言うのは高校時代の同級生ケヴィン・ギャラウェイさんだ。「彼にダークサイドとかそういうところがあったかと言われれば、全く見受けられませんでしたよ」。

隣人のパーマーさんも同じ意見だ。「大勢のジャーナリストやニュース媒体が、『この男は夜な夜な地下室でチェーンソーを振り回していた』というような話を聞きたがっていますが、そんなことはありませんでした」。

だが、遺体安置所の職員がこうした行為で捕まった例はロッジだけではない――遺体窃盗ネットワークはハーバードだけに留まらなかった。アーカンソー州リトルロックの霊安所に勤務していたキャンデイス・チャップマン・スコットも関与したと見られている(彼女もまた無罪を主張している)。スコットが勤務していた霊安所はアーカンソー大学医学部と提携し、献体プログラムの遺体を葬儀場の遺体とともに火葬していた。起訴状によると、スコットは献体プログラムから遺体を盗んでいたらしい――医学部に新たな遺体が運ばれた時期と、彼女がジェレミー・ポーリーという猟奇コレクターに売買していた時期がぴったり重なる――もっとも、医学部は献体プログラムの遺体が絡んでいたことはないと否定している。事件以来、大学側はスコットの勤務先との契約を終了した。スコットの弁護人は、彼女が精神鑑定後にアーカンソーの刑務所に服役していることを認め、現在は「鑑定の結果待ち」だと述べた。

起訴状には、ロッジとスコットが直接共謀していたとは書かれていない。2つの闇取引を結ぶ糸とみられるのがポーリーだ。彼はスコットが盗んだ遺体の一部をコレクターに売買していたが、その中にはロッジの「顧客」も含まれていた。


広大な遺体窃盗の中心人物とみられるジェレミー・ポーリー(EAST PENNSBORO TOWNSHIP POLICE DEPARTMENT)



2022年7月、サラ・ポーリーさんが夫ジェレミーの占領していた地下室の一角に足を踏み入れなければ、ゆがんだ活動は今も続いていたかもしれない。

取材に応じながら、サラさんは青い瞳を細めた。「『とにかくあそこには近づくんじゃねえ。お前のたわごとなんか聞きたかねえんだよ、ビッチ』と言われました」とサラさん。「それから『あっち側には近づくな。お前には関係ねえ。お前のものはない』とも」。

当時まだ21歳だったサラさんは、ペンシルベニアの電子タバコ店で当時35歳のジェレミーに一目ぼれし、付き合い始めた。ジェレミーが人体の一部を収集していることはサラさんも知っていて、なんとなくカッコいいと思っていた。骨やホルマリン漬けの標本の写真も見せてもらった。「こういうものを所有できるなんて知りませんでした」とサラさんは言う。

だが、夫婦関係はすぐに破綻した。サラさんの話によれば、ジェレミーは暴力的で、2021年6月に初めて別れを決意した――が、結婚生活をやり直そうとよりを戻した。家に戻ったものの、ジェレミーはサラさんが浮気していると思い込み、お前を切り刻んでやると脅したそうだ(ジェレミーが家庭内暴力で起訴されたことは一度もない。本人も弁護人を通じて、そうした脅しをしたことは一度もないと述べた)。サラさんは虐待を理由に一時的な接近禁止命令を申請し、ジェレミーは2022年6月に家から退去させられた。そこからいよいよ、地下室に降りて行った日を迎える。


離婚調停中の夫が占領していた地下室の一角で、サラ・ポーリーさんが見つけたという遺体の一部

そこには空になった標本のビンや、得体のしれぬ液体でいっぱいになったタッパーウェア、液体まみれになったHome Depotのバケツがあり、それらすべてを見守るかのように、色褪せたイエス・キリストの写真が積み重ねられた箱の上に立てかけてあった。

「バケツのふたを開けると、これまでの合法的なのとは違うことがすぐにわかりました」とサラさん。これまでジェレミーが集めていた標本は年代もので、出所が書かれたラベルを張ったビンに保存されていた。だが今度は、バケツの中はドロドロの臓器でいっぱいだった。

結局地下室を出たサラさんは警察に通報し、地下室で見つけたものをすべて警察に渡した。退去の際にジェレミーが置いて行ったノートパソコンも押収された。そこで警察は――のちにFBIも――ジェレミーが全米にまたがる大胆不敵な窃盗ネットワークの中心で遺体の一部を売買していたと思しき証拠を見つけた。

起訴状によると、ジェレミー・ポーリーはFacebookの数奇コレクターグループを通じて、アーカンソー州の霊安所で働いていたスコットとつながった。2021年10月、スコットはジェレミーに「完全無傷な、腐敗防止処理をした脳みそを欲しがっている人を知らない?」とメッセージを送っている。

結局ジェレミーはスコットから脳みそ2つと心臓1つを購入し、PayPalで1200ドルを送金した。

こうしたやり取りで、スコットはポーリーに臓器や性器の他、胎児もたびたび売りつけた。遺体安置所の職員以外に、ポーリーは他のコレクターともビジネスをしていた。起訴状によると、不気味な人形の店を営んでいたマクリーンはポーリーに手を貸し、人間の皮膚をレザーのように加工してやった。サラさんいわく、ポーリーはそれを使って本の装丁や財布を作っていたという。

身も凍るような話を聞くだけで胃がむかむかしてくる。そうした細かい点に気を取られ、つい実際の被害者や悲嘆に暮れる遺族のことを忘れがちだが、被害者1人1人に語るべき物語がある――彼らのことを思うと胸が張り裂ける思いだ。ラックスと名付けられた死産の子どもは、スコットからポーリーに300ドルで売られた後、ポーリーからミネソタ州のマシュー・ランピというタトゥーアーティストの手に渡り(同じく起訴状に被告として名を連ね、無罪を主張)、頭蓋骨5つと1550ドルで交換された。不幸にもスコットが勤務していた霊安所と業務提携していた葬儀店は、子どもの遺体がなくなった後、誰のものともわからぬ灰が入った骨壺を母親に手渡した。

これらをふまえ、検察は長年におよぶ残酷な計画で数万ドルが複数の人間の手に渡っていたと考えている。起訴状によれば、ポーリーとテイラーが送金した額は4万ドルを超える。ランピからポーリーには8000ドル以上、ポーリーからランピには10万ドル以上が送金されていた。サラさんの推測では、元夫は総額20万ドル稼いでいたとみられる。



メインとなる起訴状に名前が挙がっているのはポーリーの「顧客」だけではない。このネットワークは見かけ以上に壮大だった。

ポーリーにはケンタッキー州にジェームズ・ノットというネット仲間がいた。ポーリーとやりとりしていたFacebookメッセージでは、悪趣味にもウィリアム・バークを名乗っていた――1800年代に実在した殺人鬼で、自ら手にかけた被害者の遺体をスコットランド人の解剖学者ロバート・ノックスに解剖実習用として売っていた人物だ。

2023年7月、ノットはFBIに尻尾を掴まれた。ポーリーが物色していた骨の件でFacebookでやり取りしていたのが特別捜査官の目に留まったためだ。FBIがノットの自宅を家宅捜索したところ、武器一式が押収されたが、逮捕理由は前科者による火器所持のみだった。自宅はホラー映画さながらで、数十個の頭蓋骨や脊椎、骨盤で装飾されていた――だが、遺体の売買が禁じられているごく一部の州では売買していなかった。本人も力説しているように、違法なことは何もしていなかった。

オールドハム郡刑務所から携帯メッセージで取材に答えたノットは、ハーバード大学の遺体安置所から盗まれた遺体を受け取ったことはないと主張し、必死にロッジとは距離を置こうとした――だが実際は、ロッジの逮捕後にハーバード大学からノットの私物が発見されている。ノットは自分が収集していたのは骨だけで、臓器や人体の一部ではないとも力説した。だからといって、ノットの逮捕の知らせを聞いた遺族が受けた恐怖を軽減することにはならない。


ウィリアム・R・ブキャナンさん(COURTESY OF THE FAMILY)

リリーさんとエレンさんの祖父ウィリアムさんはハーバード大卒の小児科医で、子どもに対してとくに深い思い入れがあった。「小学校4年生の頃からひどくいじめられていたんですが、おじいちゃんは私の味方でした」とエレンさん。「何年もずっと週1で電話をかけてくれました」 ウィリアムさんが作るキャロットケーキは有名だったが、幼い孫娘たちは食べたがらなかった。そんな孫娘のために、ウィリアムさんは代わりにクリームチーズのアイシングをボウルいっぱいこしらえた。

この数カ月、遺族の方々と取材をしていると、ひとつの疑問がたびたび持ち上がった――この記事をまとめている間、筆者も何度となくぶつかった疑問だ。なぜ? 遺体の処理を託された人々は、なぜキャリアを棒に振るようなことをしたのか? なぜ信頼を裏切ったのか? 一体なぜ、おぞましい趣味や金目当てで、わざわざこんな痛みを引き起こしたのか?

セドリック・ロッジに関しては、4月に公判が始まるまで答えは見つからないだろう。他の被告も誰一人、現在進行中の捜査や裁判を理由に口を開こうとしない。ランピの弁護人は事件に関してノーコメントだ――もっとも、39年の弁護士人生でこんな状況にお目にかかったことはないとは言っていたが。マクリーンの弁護人にもコメント取材を申請したが、返答は得られなかった。

だが少なくともノットだけは、自分の収集癖は死者を蔑ろにするのではなく、むしろ敬うものだと主張している。本人いわく、友人が自殺したのをきっかけに「死者の友」を集め始めたという。「自分が集めていたものはすべてアンティークの家具に保管し、周りにはバラや花を手向けていた。また生きているかのように、それぞれ名前をつけていた」と携帯メールには書かれていた。囚人仲間からは「ボーンマン」と呼ばれているそうだ。

背筋も凍る一連の事件の首謀者と見られるジェレミー・ポーリーに関しては、金目当てだったというのが離婚調停中の妻サラさんの意見だ。だが現在も稼働中のポーリーのwebサイトには、半分闇に隠れた黒いスーツに身を包んだ男の写真で飾られている。「間違いなく、彼には善悪の概念が欠けていました……きっと彼なら『どうせ殺人の被害者だろ』と言ったでしょうね。(遺体の)事情を知ったとしても、よくある話だぐらいにしか思わなかったでしょう」。



サラさんが地下室の階段を下りてから約1年。ロッジ夫妻、タイラー、マクリーンは2023年6月13日に共謀罪および州をまたいだ盗品運搬罪で起訴された。翌日にはポーリーが別件で起訴された。スコットは数か月前の4月に起訴されている。司法省によると、ポーリーは2023年9月に司法取引に応じ、「盗まれたと承知の上で複数の人間から遺体を購入し、複数の人間(そのうち少なくとも1人は遺体が盗まれていた事実を周知していた)に売却した」件で有罪を認めた。求刑は最長懲役15年。スコットは2024年3月に裁判を控えている。ノットは答弁内容を変更し、2023年11月に有罪を認めた。

再発防止に向けたハーバード医学大学院献体プログラムの検証報告書は、すでに2度公表が延期された。公表時期については分かっていない。

遺族はというと、愛する者たちが「物品」として物々交換や売却される以前の姿を記憶にとどめ、世間にもその姿を知ってもらいたいと望んでいる。ニュースの後で多くの遺族が法的手段に訴え、ハーバード大学や関係者を訴えたのもそれが理由だ。亡くなった父親、母親、祖父母の思い出が消えてしまわないように。


ドリーン・ゴードンさん(Doreen Gordon COURTESY OF THE FAMILY)

エイミーとジェニーさんは、母親のドリーン・ゴードンさんが作ったマカロンの味を覚えている。お菓子作りが好きなドリーンさんは、ご近所から「クッキーレディ」と呼ばれていた。ドリーンさんは家族旅行も大好きで、ミュージアムを訪れるたびに聖セバスチャンの像を探した。聖セバスチャンは清らかな死を迎えたいと願う者の守護神で、いかにも科学のために身を捧げた女性らしい。

愛する者について遺族が語る話には共通点がある。古き良き時代、食卓に並ぶ食事など、ふんわり心が和む思い出だ。父親が毎週日曜日に豪勢なディナーをふるまったというのはポーラ・ペルトノヴィッチさんだけではない。ジャネット・ピッツィさんも、叔父のマイケルさんが父親と一緒にディナーをふるまってくれたのを覚えている。2人は90代までともに不動産業に携わった。

秘伝のレシピを覚えている遺族も少なからずいた。ハーバード大卒の小児科医ウィリアム・R・ブキャナンさんはキャロットケーキの名人だったが、孫のリリー・パシェキングさんとエレン・ワイズさんは、子ども特有の野菜嫌いで食べようとしなかった(代わりにウィリアムさんは、クリームチーズのアイシングをボウルいっぱいに作ってくれた)。エイミーさんとジェニーさんは、母親のドリーン・ゴードンさんが次々焼き上げるマカロンをほおばった時のことを思い出す。マカロン以外にもお菓子作りが好きだったドリーンさんは、ご近所から「クッキーレディ」と呼ばれていた。クッキーは「母にとって周囲の人々と知り合う手段であり、皆さんのことも存じ上げていますよと伝える手段だったんです」とエイミーさんは振り返る。「おかげで母はみんなと顔見知りになれたと思います。みんなも母と顔見知りになれました」。ロビン・ダポリートさんとニコール・マクタガートさんも、母親は豚チャーハンが得意だったと語った。


フランク・リョーダンさん(COURTESY OF THE FAMILY)

キャシー・リョーダンさんいわく、ローリングストーン誌に名前が載ると知ったら、父親のフランクさんは気絶しただろうと語った。ミュージシャンだった父親はしょっちゅう歌い、介護施設に入ってからも歌を欠かさなかった。「父はありふれた、善良な人でした」とキャシーさん。父親の最期については、「父は何か大きなことを残したいと考えていました。生前は大したことができなかったから、と。少なくとも本人はそう感じていました」。

キャシー・リョーダンさんの父親フランクさんがハーバード大学に献体したのは、人生で何か大きなことをして人々の記憶に残りたいと思ったからだ。ミュージシャンだったフランクさんは60代まで毎晩カラオケイベントを開き、介護施設に入ってからも歌を欠かさなかった。

それから、アンバー・ハグストロムさんの母親ドナ・プラットさん。ドラッグレースカーの熱狂的ファンで、通称「ミス・パイロ」と呼ばれていた。「母の遺灰を受け取った時、母が戻って来てくれてすごく嬉しかった」とハグストロムさんは言い、毎朝遺灰に語り掛けていたと付け加えた。「(ハーバードの事件以来)灰を見る目が変わりました。あの時の絆も失われているような気がします」。


ドナ・プラットさん(COURTESY OF THE FAMILY)

アンバー・ハグストロムさんの母親ドナ・プラットさんはスリルを追い求めるタイプだった。ドラッグレースや花火の熱狂的なファンで、「ミス・パイロ」と呼ばれていた。「母の遺灰を受け取った時、母が戻って来てくれてすごく嬉しかった」とハグストロムさんは言い、毎朝遺灰に語り掛けていたと付け加えた。「(ハーバードの事件以来)灰を見る目が変わりました。あの時の絆も失われているような気がします」。

もうひとつ遺族に共通していることがある。愛する者の死後に起きた出来事のせいで、思い出が汚されてしまった点だ。そして今、遺族たちは必死の思いで故人の思い出にすがっている。

8月の曇り空の午後、アデル・マッツォーネさんの娘ダポリートさんとマクタガートさんと花柄のテーブルクロスを囲んだ。姉妹ははかない母親の人生をつなぎ合わせていた。「ハーバードの名声や評判が失われたことを知ったら、きっと母はとてもがっかりするでしょうね」とダポリートさんはため息交じりに言い、孫のブリアナさんと灰色の海の前に立つ母親の写真に目を向けた。

「『The Dash』という詩をご存じですか?」とダポリートさんが尋ねた。現在59歳のダポリートさんは異父姉妹のマクタガートさんとは10年以上も歳が離れているが、ていねいにスタイリングされたブロンドの髪とまぶしい笑顔のおかげで同世代に見える。「人には生年月日と死亡年月日がありますよね――でもその間にあるのは? ダッシュです」。マッツォーネさんのダッシュはテーブルの上に広げられていた。若くして他界した兄や息子の悲劇をつづった手記、楽しかった時期のひとこま、頬を赤く染めた青春時代のモノクロ写真、そしてごく最近撮影された休暇のカラー写真。

「何度も何度も、頭の中で再現しなくちゃいけないんです。母の頭部が切断されるのを思い描きながら。彼らは母の遺体に何をしたんでしょう? なぜ母を助けてあげられなかったんでしょう」と言うダポリートさんの目は涙に濡れていた。甥の誕生日からそのままになっている銀色の風船が暖炉のそばで揺れるのを、心ここにあらずといった風に眺めた。「悪い人間ならこういう仕打ちを受けて当然だというわけじゃありません。でも母は違う。母のダッシュは純粋に、善と慈しみだけでした」。

追記――記事掲載から3日後の2023年12月8日、待望の独立機関によるハーバード医学大学院献体プログラム報告書が公表された。報告書には通常の運営手順の改訂、ドナー同意ポリシーの定期的な検証、プライバシーおよび警護対策の抜本的見直し、職員研修の強化提案など、プログラムの今後の改善勧告が盛り込まれている。また「ハーバード医学大学院医療教育部のバーナード・チャン学部長が議長を務めるタスクフォースを設立し、早急かつ慎重に報告書委員会の勧告を検証し、実施計画を策定する」とある。加えて遺族には、進捗状況を伝える12月7日付の書簡で報告書の内容が通知された。

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