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住み込みで働く母と離れ離れの寂しさ 2人の伯父に影響を受けながら 話の肖像画 落語家・桂文枝<6> 

産経ニュース / 2024年5月6日 10時0分

中学時代、友人㊨と大阪・築港へ絵を描きに行く

《母子は〝おっちゃん(母の長兄、文枝さんには伯父)〟の家に移った。間もなく母は、料理旅館に住み込みで働くことになり、母子は離れ離れの生活となって、寂しさが募った》

母は、平日は住み込みで働き、週末の土曜日の夜に帰って来る。それが待ち遠しくてねぇ。今から思うと母子で部屋を借りて一緒に住むことも不可能ではなかったと思う。なぜ僕を伯父さんに預けて住み込みで働きにいったのか? 僕を(父方に)取られるのがイヤで婚家を出たと言いながらですよ。

思えば、母はまだ若かった(※当時30代半ば)。母なりの「事情」があったのかな、と…。まだ高度経済成長期の前の時代でしたが、大阪の街はどんどん発展して、地下街ができたり、歓楽街が広がったり。今の女性ならば、30代なんて〝バリバリ〟遊びたい時期でしょう。これは僕の勝手な想像ですが、母も、仕事の後にダンスを踊りに行ったり、お酒を飲んだりする「楽しい」時間があったのかもしれません。

《あるときの土曜日、夜になっても帰って来るはずの母が帰ってこない…》

おっちゃんの家には電話もなくて事情が分からない。僕は小学校の高学年でしたが、不安で不安で…。おっちゃんとは血はつながっているけど、親ではありません。もしも、このまま母が帰ってこなければ「ひとりぼっち」になってしまう。どうやって生きていくのかなって。

翌朝早く、矢も盾もたまらず僕は、母の仕事先の料理旅館へ歩いて向かいます。市電に乗るおカネはありませんでした。ただ、以前、母と一緒に市電で仕事先へ行ったことを覚えていて、その市電のレールをたどっていけば、旅館へたどりつけると考えたのです。大阪駅前、都島車庫…。記憶にある行き先表示がある市電の後を追いつつ歩いたのですが、(おっちゃんの家の)大正区から中崎町までは結構遠い。小学生の足ならなおさらです。足は疲れるし、ハラはペコペコだし…。やっとたどりついた旅館の人がびっくりしていました。「アンタ、ひとりで歩いてきたんか?」って。

旅館の人の話では、母は昨晩熱を出して泊まったけど、僕のことが心配になって朝に帰ったらしい。入れ違いでした。帰りは旅館の人が、昆虫採集の網などをお土産に持たせてくれ、市電で送ってくれました。家に帰ったら母から「どれだけ心配したと思うか」と怒られましたが、僕は、なにか納得できませんでしたねぇ。

《預けられた家の〝おっちゃん〟は厳しい人だったが、まじめな勉強家。長い休みになると行く大阪・八尾の母の姉の家では違う世界に触れる》

〝おっちゃん〟の家は貧しかったけど、僕のことを自分の子と分け隔てなく育ててくれた。戦争で上の学校に行けなかった分、すごい勉強家で、ラジオ講座で英語を身につけたり、本をたくさん持っていたり。周りの人にも慕われていました。僕がまんがを読んだり、ラジオの演芸番組を聴いたりしてたら、よう怒られましたなぁ。

夏休みなどになると、今度は伯母の家へ行く。そこのご主人(伯母の夫)は堅い役所勤めながら演芸が大好き。近くの高校で行われた先代の林家染丸(そめまる)師匠の落語会や、当時大人気のラジオドラマ『お父さんはお人好(ひとよ)し』(※昭和29~40年放送、漫才師、俳優の花菱(はなびし)アチャコらが出演し、人気を博した)の公開録音にNHK大阪のスタジオまで連れていってくれたのです。これが僕がこの世界にあこがれるきっかけになりました。

違う2人の伯父に僕は影響を受けたと思います。向こうは迷惑やったと思うけど。(聞き手 喜多由浩)

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