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「気づいたら高層マンションの最上階の外階段に立っていて…」無自覚のうちに自傷する人たちに共通する“幼少期のある経験”

集英社オンライン / 2023年9月4日 17時1分

丸山由佳子さん(35歳・仮名)は自殺を企てたことがありながら、当の本人にその記憶がまったくない「解離性障害」を患っていたが、その背景には母親から受けていた壮絶な虐待があった。その歪んだ親子関係の実状とは? 植原亮太氏の『ルポ 虐待サバイバー』より一部を抜粋、再構成してお届けする。

ありとあらゆる虐待が行われていた

丸山由佳子さん(35歳)が生まれたのは東北地方だった。家と家とが5、6軒ごとに集落になっているようなところで、周りには田園がひろがっていた。

そんな静かな村の民家で人知れず起きていたのは、身体的虐待、性的虐待、ネグレクト(養育放棄)、心理的虐待といった、児童虐待防止法に規定されているすべての虐待だった。



「母親がめちゃくちゃ怒鳴りまくる人で、手も足も出て、投げ飛ばされて、ここ、ガラス片が刺さったんです。窓を突き破って。病院に連れて行ってもらったことなんかないから、自分で接着剤をつかって塞いだんです」

そう言って、彼女がシャツの袖をめくって見せてくれたのは、たしかに自然と傷口が塞がった痕だった。

彼女には歳の離れた兄と姉がいたが、このふたりも母親には逆らえなかった。兄は母親から猫可愛がりされていた。姉は母親からあまり好かれていなかった。その姉のストレスは、自然と年少者の彼女に向いた。

力の差では、幼い彼女が歳上の姉に敵うはずがなかった。乱暴する姉に向かって母親は、もっと彼女を殴るように囃し立てた。一方、かわいがられていたとは言っても母親に怯えるという点では兄のストレスも多く、彼には抜毛症(ストレスで頭髪や眉毛など自分の毛を抜いてしまうこと)や皮むしり行為があった。彼の指先は、いつも血だらけだった。

父親は、あまり家に帰ってこなかった。

性的虐待に加担していた母親

「服を脱いでこっちへこい」と、ある晩に母親に言われて彼女は従い、そのまま奥の間に入って行った。小学3年生くらいのときだった。母親の隣には見知らぬ男の人がいて、彼女の裸を見て母親とふたりでゲラゲラと笑っていた。その晩から、その部屋は彼女が一生涯忘れることのできない部屋になってしまった。

「いまでも、あのときの部屋の匂いとか、天井の雨染みの形とか、全部覚えているんですよね。なにをされているのか、あのころはよくわからなかったけど、体中を舌が這うような感触と唾液の匂いだけが、こびりついて離れない。それから記憶が飛んでいて、なぜかパンツだけ履いて上裸の状態で布団のなかにいました」

直接的な表現はしなかったけれども、彼女の話すそれがなにを指しているのかは想像が
ついた。そして、彼女にとってはじめての解離症状が、このときだった。

それから、家のなかで起きていたという耳を疑うような話が続いた。裸で縛られて屋根裏に放置されて、ネズミがかじりにきて怖かったこと。「形が悪い!」と言った母親が、彼女の耳たぶを裁ちばさみで切ったこと。髪をかけて隠している左耳は、たしかに奇妙にえぐりとられたような形をしていた。

高校生のときに強姦被害に遭った彼女に向かって母親が言ったのは、「どうせあんたが誘ったんじゃないの、この色魔!」だった。寄り添ってくれた女性警察官は、やさしかった。

その帰り道で母親は、自分の彼氏だという男の人の性器の写真を「すごいでしょ」と言って彼女に見せてきた。

解離性障害は、大事件や大災害に巻き込まれるなどの圧倒的に太刀打ちできない状況に遭遇すれば、誰にだって起こるかもしれない精神症状だとすでに述べた。

彼女にとっては、人生そのものが大事件や大災害に匹敵する異常事態だった。

彼女の記憶の欠落が解離性障害によるものであり、悲惨な虐待が原因であると、私は確信した。

母親の言いなりで居続ける歪んだ親子関係

高校生のとき、彼女は県が主催する論文のコンテストで大賞を獲った。地方新聞でも取りあげられた。彼女は本を読むことが大好きだった。

しかし、母親はそれを快く思わなかった。「名前が知れ渡って恥ずかしいから、出て行け」と言った。彼女は、それに従った。

退学することを知った高校の先生は驚いて必死に止めてくれていたが、「決めたことなので」と言って押し通した。

高校を中退した。そして上京した。それから、年齢を偽って働いた。母親から金の無心があったから、それに応えるためにほとんど休まなかった。

20代の半ばで、はじめて精神科を受診した。ときおり、短時間だけれども記憶がなくなるようになったからだ。最初は眠れていないことが原因だと思った。睡眠薬を処方されたが、眠れるようにならなかった(虐待を受けてきた人は、慢性的な不眠を抱えていることが多い。過大な緊張感が原因だろう)。記憶がなくなることも変わらなかった。

医師は休職を勧めた。しかし、彼女はなかなか首を縦に振らなかった。休めない事情でもあるのかと聞かれ、素直に母親の件を話した。

「お母さんからの要求を断れないの?」と医師はたずねてきた。

「でも、言っても聞いてくれるような親ではなくて」と彼女は答えた。

「無視すればいいじゃない?」
「そうなんですけど……」
「だって、自分の母親でしょ? それくらい言えるでしょ?」

医師からの当たりまえの提案に、彼女は黙ってしまった。

彼女は、母親の言うことを聞かなかったら、もっとひどいことをされるのではないかと怖かった。しかし医師は、ひどいことをしてくる母親だとはいっても、事情を説明すれば理解を示してくれないはずはないと思っているようだった。

このときに、母親の言いなりになっている歪(いびつ)な母子関係に医師が疑問を感じたら、また違った治療がなされていたかもしれない。しかしその場ではそれ以上、母親のこと、家族のことを聞かれることはなかった。

自分でも知らない間に行動している

毎月かなりの額を母親に仕送りしていた。そのために必死で働き、仕事をいくつも掛け持ちした。

しかし、心は正直だった。精神症状は悪化していった。不眠、不安、ときには突如、ひどい恐怖心が襲った。徐々に働けなくなっていった。働けなくなったら仕送りができないという恐怖は、ますます高まった。記憶がなくなる頻度は増した。

ふと目が覚めると、記憶から計算した日付と、目の前で朝のテレビニュースが言っている日付とが合致しなかった。職場の同僚に連絡した。

「昨日、私、ちゃんと出勤してた?」
「なにを変なこと言ってんの? 昨日、会ったじゃん。なんか具合悪そうではあったけど」

それを聞いて余計に怖くなった。自分の知らないあいだに行動しているらしかった。

医師に眠れるように薬を出してほしいと言うと、もう必要十分に処法していると言われた。それから、やはり休職するように助言された。彼女が「休職することはできない」と言うと、「じゃあ、どうしたいの!」と診察室で怒鳴られてしまった。

医師からしてみたら、これだけ状態が悪いのに頑なに休職を拒む理由と、親のことを怖がっているというのに連絡を取りあっていて無視できない様子が、理解できなかったのだろう。

彼女は病院を変えたが、今度は薬しか出してくれないようなところだった。その当時の薬手帳を見せてもらったことがあるが、かなりの処方量だった。

「いままで育ててもらった分の返済義務があると思え!」

体が思うように動かなくなった。

収入が途切れた。

このときの主治医から生活保護を受けるように勧められ、彼女はその申請をした。自殺未遂事件を起こす、つい半年前のことだった。

その申請の場で、「支給される生活保護費の一部を母親に仕送りすることはできますか?」と真面目な顔をして聞いたものだから、申請の相談を担当した職員は呆気にとられていたという。「困っているのは、あなたのほうじゃないの?」と言われ、言うまでもなく仕送りをすることは認められなかった。

やがて、母親からの電話が鳴りやまなくなった。

「お金が振り込まれていない!」「いままで育ててもらった分の返済義務があると思え!」「私が取りに行ってもいい。住所を教えろ!」「なんの取り柄もないんだから、金くらい払え!」

幼少期の、母親からされた虐待の数々がフラッシュバックした。

気がつくと、どこか知らない海沿いの町の小さな交番にいた。傍らには、迎えにきたケースワーカーが心配そうな表情をして立っていた――。

解離性障害の治療は、非日常的な外傷体験によって飛び出てしまった日常の世界に再び「戻る」ことである。しかし、それはあくまでも普通の環境で生きてきた人に適用できる方法である。

もともと異常な環境で育った彼女は、異常であることが日常だった。だから、「戻る」という表現は適切ではないかもしれない。正確には、日常生活のなかには安心と安全があるのだと、カウンセリングの過程ではじめて「知る」ことなのだろう。

この効果は、精神科薬を内服するだけでは得ることができないものである。

解離性障害の背景にある激しい虐待

ほかにも、解離性障害によるエピソードをいくつか挙げる。

ある女性は、台所で食器を洗っていた。窓から見える高層マンションを、ぼんやりと眺めていた。

「あそこから落ちれば終われる」

その日は不意に、そんなことを思っていた。

寒い冬の日だった。気がつくと、ジーンズを穿いて、下着のうえに半袖のTシャツしか着ておらず、化粧もせず、裸足で、その高層マンションの最上階の外階段に立っていた。柵を乗り越えようとしているところで気がついた。

「普段は絶対に化粧をして外出します。それに、この季節なのに半袖なんて着るわけがないじゃないですか。しかも裸足。食器を洗って、それから部屋を掃除しようとしていたところまでは、覚えているんです」

そう報告してくれた。

また別の、ある男性の話。

「気がついたら病院にいて、『死ぬところだったんですよ!』って言われてびっくりしました。輸血をたくさんしたみたいです。公園にいたところまでは覚えています」

救急隊の話によると、公園のベンチに座っていた彼は、おもむろに立ちあがって喉を刃物で切り裂いたらしい。それを目撃していた通行人が通報した。

そこまで激しいものではなくても、気づくと雑踏のなかに立っていたとか、コンビニにいて買い物をしていたとか、日常生活のなかでの解離性障害の報告もある。すべてが死に関連づけられるものではない。

彼ら彼女らに共通していたのは、幼少期からの激しい虐待であった。

文/植原亮太 写真/shutterstock

『ルポ虐待サバイバー』

植原 亮太

2022年11月17日発売

1,045円(税込)

新書判/256ページ

ISBN:

978-4-08-721240-2


田中優子氏・茂木健一郎氏推薦!
第18回開高健ノンフィクション賞で議論を呼んだ、最終候補作

生活保護支援の現場で働いていた著者は、なぜか従来の福祉支援や治療が効果を発揮しにくい人たちが存在することに気づく。
重い精神疾患、社会的孤立、治らないうつ病…。
彼ら・彼女らに接し続けた結果、明らかになったのは根底にある幼児期の虐待経験だった。
虐待によって受けた”心の傷”が、その後も被害者たちの人生を呪い続けていたのだ。
「虐待サバイバー」たちの生きづらさの背景には何があるのか。
彼ら・彼女らにとって、真の回復とは何か。
そして、我々の社会が見落としているものの正体とは?
第18回開高健ノンフィクション賞の最終選考会で議論を呼んだ衝撃のルポルタージュ、待望の新書化!

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