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清水裕貴×小倉ヒラク 『花盛りの椅子』刊行記念対談「被災家具と微生物が交差するとき」

集英社オンライン / 2022年5月29日 13時1分

被災家具を題材に、震災の記憶といまを描いた清水裕貴さんの新作『花盛りの椅子』が刊行されました。刊行に際し、発酵デザイナー小倉ヒラクさんとの対談が実現。

被災家具を題材に、震災の記憶といまを描いた清水裕貴さんの新作『花盛りの椅子』が刊行されました。
刊行に際し、発酵デザイナー小倉ヒラクさんとの対談が実現。 『発酵文化人類学』を上梓された小倉さんは、メジャーから超ローカルまで全国の発酵食品が生まれる現場を渡り歩き、微生物世界の探求を続けられています。 小説と微生物、一見交わらない二つを重ねてみると、人間界の「当たり前」から少しずれたワンダーが広がっていました。

撮影/大槻志穂 構成/山本ぽてと

被災家具の持つ「気配」

小倉 『花盛りの椅子』を読ませていただきました。

清水 ありがとうございます。

小倉 清水さんはもともと写真やデザインをされてきた方なんですよね。どうして小説を書こうと思ったんですか。

清水 美術を教えてくれた恩師の死がきっかけです。生きている間は、その人が存在しているから、その人の言葉も思想も気配も、ふわふわ空間に漂っている。でも人が死んでみると、世界から一気に成分が消えてしまったような喪失を生々しく感じました。そのときに、今まで自分がやってきた視覚芸術では、表現しきれないものがあったんです。だから小説を書いてみようと。

小倉 清水さんの小説は、物語より触覚にフォーカスが当たっていますよね。空間的な小説だなと思いました。特に面白いと思ったのは、この小説の中核に「気配」があることです。主人公の鴻池さんは被災家具の持つ気配を感じながら、リペアをしていきます。

清水 この「気配」と小倉さんのご専門である微生物とは関係があると思っていて。

小倉 おお、なるほど。

清水 小説の中では主人公が見る幻想のような形で気配を描写しています。ですがその気配というのは、微生物が深く関係しているのではないかと思っています。私はいま亡くなった叔父の家に住んでいるんですが、彼が30年以上住んでいた古いマンションで部屋がボロボロだったので、壁をはがしたり、天井を塗り替えたり、掃除をしたりリフォームをしました。古くなったものや汚くなったものを削って、綺麗にする作業を3カ月ぐらいかけてやって。

小倉 主人公の鴻池さんみたいですね。

清水 まさにそうです。そうすると、ヤニとか、ゴミとか、あと埋立地なので、潮の香りと、なんか謎の臭いとが混ざって、しみついていて。叔父の痕跡みたいなものがいっぱいあって。この空間には、私の普段の生活にはなかった物質が浮遊していると実感したんです。これって気配だよなと。古い旅館に行って、「幽霊がいるかも」と感じるときも、実は虫だったり、菌だったり、目に見えないけれども実在する小さなものたちの気配なのではないかと。

小倉 ぼくも清水さんの小説の生と死の在り方が、微生物っぽい、カビっぽいなと思ったんですよ。ぼくの専門は真菌類で、微生物のジャンルではいわゆるカビ類を学んでいます。カビは胞子として空気中に浮いていて、タネがエサのあるところに付着すると、根っこのようなものが出てきて、そこから栄養を吸い上げながら、草のように伸びていく。といっても、この草も根もぜんぶ、同じタネがクローンのようにモニョモニョつながっているだけです。

清水 では、ひとつのタネが草に成長するわけではない。

小倉 はい。だからタネであると同時に、個体でもある。ある程度の大きさになると、先端が破裂して、新たなタネが空中に浮遊して、またエサのある場所に付着して……と永遠に繰り返す。自分のクローンをつくり続けているので、どこまでが個体で、どこまでが個体じゃないのか、何をもって死と言えるのかの概念がぼくらとは違う。
微生物のことをやっていると、人間とは違うレイヤーで生死が見えてきます。ぼくは文化人類学的なフィールドワークもしているんですが、佐賀のある地域の盆踊りでは、死んだご先祖様が一緒に踊れるようにお面をつけて参加する。うっかり死んでもまた戻ってくると思われている。
だから人間が死んだら永遠に消滅するような感覚は、近代以前の日本にはなかったんじゃないか。そして、微生物をやっていると、より実感します。清水さんの小説の中でも、死んでいるはずなのに生きている状態だったり、生きているはずなのに死んでいる状態の人や物が象徴的に出てきますよね。カビっぽい在り方だなぁと。

清水 そうなんですよ。小倉さんの『発酵文化人類学』を読んで、私がふんわり考えていたことは、科学的にもわりと合っていたんだなと思いました。とはいえ、私はカビの知識を体系的に持たずに書いているんですけど。

小倉 いや、普通の人はカビの知識を体系的に持たないですよ(笑)。 広くて古い、微生物たちの世界 清水 私はお酒、特にワインが好きで。よく「酵母」と言いますが、特定の生物の名前を指しているわけではないんですよね。

小倉 狭義では、サッカロマイセス・セレビシエという生物種が「酵母」と呼ばれます。

清水 絶対に覚えらんねぇな。

小倉 広義ではすごく大きなジャンルで「類人猿」くらいの広さがあります。500種ほどが知られていて、その詳しい実態は研究者もよくわかっていません。

清水 同じブドウを使って、まったく同じように仕込んでも、蔵についている酵母が違うから、違うワインができる。そんな話を聞くたびに、すごいなぁと。

小倉 いま、友人の会社と一緒に酒蔵の微生物解析のプロジェクトに関わっているのですが、面白いですよ。「こいつ何やってんの?」「人間の足の裏にたまにいるやつが、いきなり発生している」と。人間が想定する「役に立つ」とは違う世界が広がっている。
そして醸造の方たちとお付き合いをしていると、まさに「気配」を感じる力がすごくあるんです。ぼくも現場に入って、仕込みをやりまくっていると、だんだん菌の気配がわかるようになってくるんです。「あ、あいつら、今喜んでいると」。

清水 菌が見える能力を持つ主人公が活躍する、『もやしもん』の世界ですね。

小倉 そうそう。『古事記』に好きなエピソードがあって。いちばん最初に天と地ができて、神様が出現します。その4番目に出てきたのが宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)と言って、直訳すると「美味しいカビのイケメン」。これって酒をつくるためのカビじゃんと。

清水 カビの神様! 昔の人は偉いんだな。普通に暮らしていたら、だいたいは有害なカビの方が多いわけですよね。その中でお酒をつくるものを「カビ」と名付けられるのがすごいと思います。

小倉 そうした感覚を、『古事記』の時代の人たちは、わりとナチュラルに持っていた可能性がある。現代人が遠ざかっている感覚です。でも発酵の現場にいると、ぼくたちはそういう気配を感じ取る力が潜在的にあるんだろうなと実感しますね。

清水裕貴氏

記憶を伝えるもの

清水 ちなみに、微生物に「記憶」の概念はあるのでしょうか? 小説の中で、家具職人の鴻池さんは家具と触れ合うことによって故人の過去を再発見していきます。家具に持ち主の痕跡、実際に肉体の一部が残っていたりすることによって、物質だったり、周りにいる微生物たちがその持ち主のことを記憶しているからだと思っているんです。

小倉 面白いですね。微生物には脳がないので、人間における脳内の情報の記憶はありません。でも、記憶を情報として捉えるのであれば、微生物には遺伝としての情報がある。すごく面白いのは、微生物はすれ違うときに、隣のヤツに自分の遺伝子をあげちゃったりするんです。これを「遺伝子の水平伝播」と言います。微生物解析のプロジェクトをやっていると、わりと起こる事象なんです。

清水 遺伝子をもらうと、そいつの遺伝子になってしまうんですか?

小倉 簡単に説明すると、生命情報の全体のことをゲノムと言います。このゲノムの半分以上はジャンクで、よくわからないもの。生物種によりますが、そのゲノムの中で20~30%くらい意味を持っている部分があり、そこを遺伝子と言います。

清水 あのグルグルしているものイコール遺伝子ではない。

小倉 はい。ゲノムの中の機能がある部分が遺伝子です。例えば清水さんは、現代美術家であり、小説家でもあるし、部屋を掃除する人、ごはんを食べる人でもある。これが遺伝子の単位だと思ってもらえればと思います。水平伝播というのは、ぜんぜん違う生物種のやつが、すれ違うときに「この遺伝子あげる」とあげちゃう。例えばぼくとすれ違ったときに、「カビに詳しい」遺伝子を清水さんにあげちゃう。逆に清水さんは、「小説を書く」遺伝子をぼくにくれるかもしれない。そんな感じで超カジュアルに遺伝子を渡し合っている。なので微生物のゲノム情報を調べると、もらい物の遺伝子がたくさんあるんです。
微生物は基本的に有性生殖しないケースの方が多いので、だいたいクローンとして増えていきます。でもクローンだと生物として何も変化しない。有性生殖をしない代わりに、いろんなやつと遺伝子を交換し合っている。だから微生物の中には、いろんなやつの記憶が入っているとも言えます。実は人間もそうです。全然関係のない微生物やウイルスからもらった遺伝子情報がわれわれの中にはいっぱいあります。だから記憶の捉え方によっては、微生物は多種多様な記憶の集積場のようになっている。

清水 なるほど。

小倉 びっくりしますよ。解析すると、「お、こいつから遺伝子をもらっているぞ」みたいなことがよく起こる。遺伝子ってそんなにカジュアルに渡しちゃっていいのかしらと(笑)。結構な頻度で気まぐれにあげちゃうんです。ある意味、本を書いて誰かに読んでもらうことも、遺伝子をあげることと近いかもしれません。

清水 そう思うと、ものをつくること自体に、情報の伝達の役割があると言えますよね。たとえそれが椅子やベッドのような具体的に役に立つ道具であっても、それをつくって誰かに渡すことで、作者の意図を超えた情報伝達の機能がものづくりにもあるんじゃないかな。ちなみに、遺伝子を渡す規則性はあるんですか。

小倉 よくわからないんです。

清水 わからないんだ。

小倉 微生物は、ぜんぜんわかってないんですよ。生物学の最先端にいても、思った以上にわからない。いつも不可解なものに囲まれています。

清水 なるほどな。私が今回の小説を書く上で、人間の意識が認識する世界以外のもの、そうした細かいものたちが私たちのことを覚えていてくれたらいいのにという思いがありました。それこそ、大災害にみまわれて人がたくさん死ぬ国ですけれど、それで終わりではないだろうと。その人の暮らした土地、その人が一緒に生活していた家具たちならば、本人の存在の語り部になりうるのではないか。小さな生物たちが生きている中で「そういえば、あんなのいたわね」みたいに覚えていてくれたらいいのにって。
そして今、微生物のお話を聞いて、現実的にそういうことはあり得るんじゃないかと思いました。それくらい微生物の動きがよくわからないってことは、人間に匹敵するような記憶を、違う形の情報として持っている可能性もあるかもしれないですよね。巨大なカビの集合体が、出会った人について覚えてくれているとか。

小倉 実はそうした研究もあるんです。「クオラムセンシング(集団感知)」と呼ばれるもので、微生物は群体としてお互いがセンサーを出して、コミュニケーションし合っているのではないかと。ぼくたち人間は、どうしても個体単位で考えてしまいますが、微生物や生態系を理解するためには、一度個体や意識のバイアスを外さないといけない。そのバイアスを外した世界の中では、清水さんが言っていたような記憶伝達が起こっている可能性はある。ただぼくたち人間の思っているような形ではおそらくない。

清水 人間のままだと認識もできないんだろうな。

小倉ヒラク氏

自然にたゆたうこと

小倉 登場人物の中で特に好きなのが、社長です。得体が知れないですよね。自分自身では家具のリペアはできないけれども、リペアできそうな人を連れてきて、リペアしたら面白そうな家具とマッチングさせる。

清水 そうです。社長はまさに「気配」を読むのがうまいやつなんです。

小倉 この媒介になっている感じが微生物っぽくて面白い。ここで描かれている家具のリペアはワインづくりと似ていると思いました。ぼくの住む山梨県・勝沼市は日本におけるいわば「ワインの首都」なので、周りに醸造家ばかりいるんです。みんなブドウを育てているわけですが、その年のブドウの出来がある程度わかると、ワインの着地点が見えてくるらしい。

清水 果物のなり具合で?

小倉 そう。ブドウの色やかじったときの酸味や甘みで「こういうワインを今年はつくることになるな」と。だから自分でこういう味にしようとかではなく、「たぶんこうなる」みたいな感覚なんですよ。それって、ここに出てくる家具職人の感覚とたぶん一緒ですよね。

清水 そうですね。

小倉 クリエイションとは、ある才能によって主体的に設計されるのだという近代的な思い込みがありますけど、醸造の世界はそうではない。まず気候などに左右されるブドウの出来があって、媒介として機能する微生物がいて、様々な要素の掛け合わせで自ずと見えてくるものがあって、それを自分がどれだけ受信できるかどうかにセンスというか、醸造のクリエイティビティがあるんじゃないか。

清水 フランスワインには、余計な手を加えないための法律がたくさんありますよね。

小倉 ありますね。砂糖を入れたらダメとかね。

清水 そんなに? って思うくらい。そこまでして何がしたいのかと言えば、その土地の自然が本来持っているテロワールを表現するためだという。だから「今年はつくれませんでした」みたいなことを平気で言う。どうにかしたらいいのにと思うわけですけど、でもどうにかしないことがワインづくりの価値にもなっている。

小倉 それはクリエイティビティの定義が違うからでしょうね。

清水 アーティストとは真逆ですよ。美術家は、絵の具のような化学的な物体をギュイーンと使って。写真もそうです。撮る瞬間は自然任せかもしれないですけど、作品に仕上げるときには、化学物質をゴリゴリに使って、長期間変化しない物質をつくる。高いお金で売った作品がすぐに消えたら困るからです。変化しないこと、パーマネントなことに価値があり、そうじゃないと価値が認められないところが美術の世界にはある。だから小説には真逆の世界を取り入れたかった。

小倉 だから社長や鴻池さんのような人たちが出てくる。

清水 そうですね。二人とも非常に謙虚で、何もしない人たちで。

小倉 何が起こってもぜんぜん取り乱さない。冒頭、お店の屋根が飛ばされるところから始まりますが、もうちょっと慌てるよね(笑)。

清水 社長は自然派ワインの醸造家のようなタイプでしょうね。

小倉 たぶん「気配」を受信するためには、なんらかの方法論が必要で。ぼくの場合はたまたま発酵だったと思います。他のルートもあって、そのひとつに文学もあるんじゃないかな。

清水 そうか。つくる側の方も、周囲の環境に振り回されながらつくることによって、味わい深さが生まれてくるんだろうな。酒は特にそうですけど。たぶん文学も。

小倉 あと登場人物としては、夏見さんが好きで。

清水 夏見さんはイケメンでお金持ちですよね。彼も醸造とかしそうだな。

小倉 ワイナリーを始めるスピンオフ回とかどうですか。

清水 いいですね。戦時中はワインからできる酒石酸を軍事利用しようと、ワインづくりが奨励されていたという歴史もあったりして……いくらでも書けそうです。

「小説すばる」2022年3月号転載

関連書籍

花盛りの椅子
著者:清水 裕貴
集英社
定価:本体1,800円+税

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