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大谷翔平が多くの日本人を喜ばせる「日本の孝行息子」となるまで

日刊SPA! / 2024年4月27日 8時51分

 大谷に高校1年生のころから注目し、相思相愛の関係を築いていたロサンゼルス・ドジャースは、ファイターズの「横取り」に怒った。しかし、いずれにせよ大谷はファイターズ入りを決意。日本でプロ野球選手としてのキャリアをスタートすることになったのだ。

◆「大谷は日本球界が育てた選手だ」と日本のファンにプライドを植え付けた

 結果的に、NPBで5年間プレーしたことが大谷にとってはよかったのだろう。少なくとも今日までの素晴らしいキャリアを見る限り、高校卒業後すぐにアメリカへ行かず日本にとどまったことは、大谷にとって正解だったはずだ。そして大谷がNPBで5年間プレーしたことは、日本の野球ファンの心に「大谷は日本球界が育てた選手だ」という意識を植えつけた。

 僕らが大谷に熱狂できるのは、「大谷が日本の高校野球を経て、日本のプロ野球で活躍し、そしてメジャーに羽ばたいた」という日本人野球選手の「王道出世コース」に沿っているからだ。大谷は日本球界でスター選手としての地位を確立したうえで渡米しているから、僕らは大谷を「日本球界の誇り」として心置きなく応援できる。

 もし大谷に日本球界を足蹴にした過去があったり、そもそも日本球界と接点を持っていなかったりしたら、僕らはここまで大谷に熱狂できなかったかもしれない。

◆NPBでの5年間は「正解」だったのか?

 さて、NPBで5年間プレーしたことは大谷にとって正解だったはずと言ったが、厳密には必ずしもそうとは言えない。もし18歳で渡米していたら、今よりもすごい選手になっていた可能性がゼロとは言えないからだ。

 18歳からアメリカで最先端のトレーニングを積み、投打の二刀流を実現させて、今ごろはシーズン60本塁打&20勝を達成していたかもしれない。

 しかし、大谷がNPBでプレーしたことは何よりも「日本のファンとの心理的距離を縮めた」という点で重要だったのだ。地方都市である岩手出身の大谷が日本プロ野球界のスター選手となり、そしてアメリカに羽ばたいたという展開は、多くの日本人にとって感情移入しやすいストーリーであるはずだ。岩手の人々にとって大谷は長らく「おらが村の英雄」だろうが、今や日本人全員が大谷を「おらが村の英雄」と見なしている。

◆石橋貴明は大谷翔平を「日本の息子」と評した

 日本の「村社会」には固有のルールがあり、そのルールを守らない者は「村八分」にされるが、大谷は「日本での活躍が認められてからアメリカに行く」というステップを踏んだことで、この国における「村人」の掟を守った。

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