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スター高校生だった元帝京のエース しくじったJリーグ生活…朝まで遊びまわり「やっぱ狂ったよね」

スポニチアネックス / 2024年5月8日 7時31分

帝京時代の木島良輔氏(98年撮影)

 Jリーグ・横浜などで活躍した木島良輔氏(44)が、8日までに更新された那須大亮氏のYouTube番組に出演。プロ生活で「しくじった」失敗談を赤裸々に語った。

 高校サッカーの名門・帝京から横浜に入団し、プロ23年間で海外含めて9クラブでプレーした木島氏。日本代表で活躍した同級生の中田浩二氏も認めた存在で、U-19日本代表にも選ばれるなど将来を嘱望された選手でもあった。ただ、この日は「Jリーガーしくじり先生」と題したタイトルで出演し、自ら失敗談を明かした。

 「夢がJリーガーだった」という木島氏は、横浜に入団したことで「マリノスにいれば、日本代表になれると思っていた」と勘違い。「そこでちょっと目標を失った」と反省した。そのため「楽しい方に」と生活が引きずられてしまった。

 今まで遊んだことがなかっただけに「お金ももらって、車もあって、やっぱ狂ったよね。お前も知っているけど」と那須氏に向かって苦笑い。先輩に可愛がられたことも原因で生活は乱れたが、「俺は酒を飲まないから、何とかやっていけると、なぜか思っていた」と、当時は間違いに気が付かなかったという。

 睡眠時間もこだわりがなく、寝ていなくてもプレーできた。「逆にそっちの方が集中していた時があって」。ある時、試合のメンバー外だったため、朝の6時まで遊んでいたが、急きょメンバー入りすることになり、「2時間しか寝てないけど、試合に途中から出て、キレッキレだった。もしかしたら寝ない方がいいのかなって。そういうのもいけなかった。おかしかった」と振り返った。

 横浜では01年に20試合に出場するなど、プレー機会はあったものの、さらなる飛躍を求めて02年途中に大分に期限付き移籍。「自分から言っちゃったんだよ、しかも。調子に乗っていたよね」と、横浜から残留要請を受けながらも移籍希望を公言したことを後悔。「前の年に出続けていたんだけど、調子に乗って出られなくなって、そこから出場機会を求めて、“もう出してよ”と上に言いに行った」と直談判した当時を明かし、「もう、あるあるだよね。これこそ、しくじり先生」と笑うしかなかった。

 そんな紆余曲折を経たにもかかわらず、23年間も現役でプレー。自分を律して生活していれば、違った未来があったかもしれない。

 『当時の自分にアドバイスをするなら』とふられた木島氏は「夢を大きく、目標を高く」と口にして、「そこに向かって行ってほしい。Jリーガーで終わっちゃったけど、世界を目指してほしい。そのために何をしなければいけないのか、を今は子供たちには言っている。しくじった経験をみんなに伝えている」と語った。現在は、子供を指導するチャンスにも恵まれ、子供たちには「諦めないやつが強い」とエールを送っていた。

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