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大学の教養教育を「資本の論理」からどう守るか 加速する資本主義社会における「知識人の使命」

東洋経済オンライン / 2024年3月31日 11時0分

社会に出ると、マニュアルや小手先の知識・暗記では対応できないような問題が山積しています。気候変動や人口減少の問題をマニュアルだけで対応していくのは当然無理ですし、行き過ぎた資本主義社会の問題を資本主義の中だけで解決していくことも難しいとすれば、古典を通じて全体を俯瞰したり、メタな視点をとったりできる知を、クリティカル・シンキング、ロジカル・シンキングとして身に付けていく教養教育をどのように守ってくかということは、今後、ますます重要になっていくと思います。

堀内:私は、「生きる力」というのがとても大事だと思うのですが、いわゆるサラリーマンは、肩書を取ったら何が残るのだろうという人がほとんどです。学者もまったく同じで、斎藤さんのように東大の教授という肩書を取っても、発信力があって社会に影響を与えられる人が大学で自由に活動していることは、教養という意味でもすばらしいことだと思います。

一方で、大学の中にも肩書に頼らなければ生きられないような先生もいて、そのような人が「教育の自由」を盾に大学改革を批判していることには疑問を感じています。斎藤さんとそのような人たちは一体何が違うのでしょうか。なぜ斎藤さんは特別なのでしょうか。

斎藤:私にとっての大きな転機は10代でアメリカに留学したことだと思います。英語も全然できず、何もわからない。東京出身で私立の男子校に通っていたところから、急にマイナーアジア人になるという経験、つまりは無意識のうちに履いていた下駄が一気になくなるような経験をしたのです。そうすることで自分がそれまでいかに恵まれていたかを少しは自覚できたと思います。

そのうえで、英語しか通じない世界で、本場のリベラルアーツ教育に触れ、英語で古典の知識を摂取し、それを大きな文脈で議論するというようなトレーニング機会を早い段階で受けられたことは、今の自分につながっているとは思います。

堀内:自らの経験から得たものをメタなメッセージにしていただいて、それが大学改革につながればすばらしいことですね。実は冨山さんとは個人的に親しくしていて、彼は食べていけない若者を大量に見ているので、そこに強い問題意識を持っているのだと思います。まず食べていけるという前提があり、文化や教育はその上に成り立っているというのが彼の考えで、大学の教員という守られた立場にもかかわらず、社会に何の貢献をしているのかよくわからないというような教員を批判しているのだと思うのです。

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