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岩手県が絶滅危惧種イヌワシの生息地を公開の訳 巨大風車群の建設ラッシュ対策で練りだした秘策

東洋経済オンライン / 2024年4月1日 12時10分

2008年9月には、2004年12月に運転が開始された釜石広域ウインドファームの43基ある風車の1つにイヌワシが衝突した事故が起きた。由井博士によると、この事故の後、周辺にいた5つがいのうち3つがいが消えてしまうなどの影響があったが、最も深刻な影響は、それまで使っていた餌場が使えなくなったことだ。

「猛禽類は風車から半径500mの範囲の餌場は使わなくなるので、風車一基で78.5ヘクタールの餌場を使えなくなり、40基風車があると、約3200ヘクタールが餌場としてつかえなくなる」。由井博士はこう計算してみせたうえで、風車群がどんどん建つと、「餌場がなくなって、衝突しないまでも、飢餓で死んでしまう。あるいは、幼鳥も育たない」と心配する。

日本野鳥の会もりおかの代表、佐賀耕太郎さん(73歳)は、岩手大学で林学を学び、岩手県職員として林業、鳥獣保護、森林保全などを担当した。岩手県では、1000メートル級のなだらかな山地「北上高地」が重要なイヌワシの生息地になっている、という。

特に、戦後の拡大造林政策と、大規模牧野造成政策の結果、イヌワシにとって住みやすい環境ができた、と佐賀さんは説明する。「拡大造林政策では、広葉樹の森を伐採し、そこに針葉樹の苗木を植える。明るい草地ができて、苗木が大きくなるまでノウサギ、ヤマドリ、ヘビなどが来るので、イヌワシの餌場になる。伐採は順繰りに行われ、餌場は次々にできた。また、山の上を造成し、牧場を作って畜産とか酪農を頑張った。牧野もいい餌場になった」

その後、林業に勢いがなくなり、成熟した森が伐採されずに残るようになった。畜産や牧場も厳しい状態にある。こうした農林業の状況が、イヌワシの生息状況が悪化した背景にあった。

「列状間伐地」を作る取り組み

そこで、イヌワシの保護団体は餌場作りに取り組んできた。1998年、保護団体はスギやアカマツの造林地に、イヌワシが飛び込んでエサを採ることができる「列状間伐地」を作る取り組みを始めた。当時、岩手県立大教授だった由井博士が考え出した間伐の方法だった。

その場所は、約100ヘクタールの鳥類保護区特別保護地区のうち、日本野鳥の会もりおかなど自然保護団体が管理する約8ヘクタール。地元の自然保護団体が28年前に確保した造林地だ。

岩手イヌワシ研究会などが土地所有者の協力を得てイヌワシの観察を続けてきた地域を保全しようと、岩手県自然保護協会、日本野鳥の会盛岡支部(当時)などが要請し、盛岡市が1995~1997年に93ヘクタールの土地を取得。さらに、その隣接地8.4ヘクタールを当時の財団法人日本野鳥の会が、ゼネラル石油株式会社(その後エクソンモービル・ジャパングループ)からの寄付金で取得し、「エクソンモービル野鳥保護区イーハトーブ盛岡」と命名した。

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