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「お母さんがねたので死にます」と自殺した子の母と闘った教師たち

ニューズウィーク日本版 2016年8月9日 16時26分

<バレー部でのいじめが原因だったのか、異常な母親に追いつめられたのが原因だったのか――。2005年に起きた「丸子実業高校バレーボール部員自殺事件」の真相を描き切ったノンフィクション『モンスターマザー』は絶望的な読後感>

『モンスターマザー ――長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』(福田ますみ著、新潮社)が取り上げているのは、2005年に起きた「丸子実業高校バレーボール部員自殺事件」。当時マスコミ報道されたので記憶に残っている方も少なくないであろう、同校のバレー部に所属していた高山裕太くんが自殺した事件の真相を描き切ったノンフィクションである。

 読み終えたあと、いいようのない疲れと絶望感に襲われた。こんなことが本当にあったのなら、いったいなにを信じて生きればいいのだろうか。しかも、どこで起きてもおかしくないことだとも思えるだけに、出口のない袋小路に追いやられたような、どうにも複雑な気持ちになってしまうのだ。

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 当時1年生だった裕太くんが、所属していたバレー部でのいじめを苦に自殺したとされた事件である。

 この事件は全国ネットのテレビニュースやワイドショーでも報じられた。7日のテレビ朝日「報道ステーション」、8日の同じくテレビ朝日「スーパーモーニング」、フジテレビ「とくダネ!」などである。裕太君の母親・高山さおり(仮名)は、自宅に入ったテレビカメラの前で実名を名乗り、素顔も晒して取材に答えている。彼女は涙にむせびながら自転車のチェーンロックを示した。「これで首を吊っていました。そしてこれ(マスク)を口に当てて、たぶん声を、苦しい声を出さないように我慢したのよ。苦しかったに違いない、苦しいに決まっているじゃないですか。お母さんとかに聞こえないように、心配かけない......」(3ページ「はじめに」より)

 乱れた字で書かれた遺書には、「お母さんがねたので死にます」と書かれていたという。そして、続いてニュース番組の画面には丸子実業高校の太田真雄校長(仮名)の言葉が映し出された。

記者「じゃ、学校での問題よりも、やはり校長先生はその家庭......」校長「絶対私はそう思ってます。はい」記者「それが原因だと。母親が原因だと」校長「はい、これは、確実に言えます」 校長は言い切ったあと、こう付け加えた。「物まねということがですね、いじめであれば、もう世の中じゅういろんな行為がですね、いじめにされてしまうんじゃないかなというような、ただそれには不満なんだよね」 その時、校長が薄笑いを浮かべたように見えた。このテレビ報道の直後から、丸子実業高校には抗議の電話が殺到したのである。
(4ページ「はじめに」より)

 たしかにこれだけを読めば、学校が悪いと感じたとしても無理はないだろう。ちなみに、校長の発言にある「物まね」とは、裕太くんが学校でかすれ声をまねされて笑いものにされていたという、さおりがマスコミに話した自殺原因のことを指している。

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 しかし、そうではなかった。たとえば「校長が薄笑いを浮かべたように見えた」という部分については、校長が、話をする際、意思とは無関係に笑ったような表情に"なってしまう"人だということが証明される。そういう人は、たしかにいるだろう。

 つまり、同じように真実は誤解の上塗り状態だったのである。そして読み進めていくにつれ、原因は母親のさおり、そして彼女を不必要に煽るマスコミにあったことが明らかになっていく。

 さおりは虚言癖があり、しかも自分に反論した人間を、巧みな(矛盾だらけなのだが)論調によって徹底的に糾弾する性格なのだ。たとえば裕太くんの同級生と教師を前に、彼女はこう告白している。

 さおりは彼らを前に、お盆の頃、「バレーが苦しい」とこぼした裕太君を、こう言って叱ったと明かした。「バレー部をやめるなら、学校もやめて死んで。家を出る時は携帯を置いていけ」(26ページより)

 この「死んで」という彼女の発言が自殺の引き金になったわけだが、ここにも矛盾がある。教師や同級生の証言から明らかになるのは、バレーを楽しんでいる裕太君の姿であり、「苦しい」というような片鱗はどこにもないのだ。「そうはいっても、現実は違うってことなんでしょ」と思われるかもしれないが、ここから、本当の意味で裕太くんのことを心配し、手助けしていた教師陣、そして同級生によって、真実が次々と明らかにされていく。たとえばさおりの異常性は、離婚した2番目の夫の証言にも明らかだ。

 大手企業のサラリーマンだった彼は、インターネットの出会い系サイトでさおりと知り合って結婚したという。裕太くんとその弟はさおりの連れ子だ。以下は、その夫による証言で、ここにはさおりの真の姿が映し出されている。

〈例えば、食事の後、私が台所で食器を洗っていると、いつの間にか傍に来ていた被告が、突然大きなため息をつき、聞きとれないくらいの小さな声で愚痴らしきことをしゃべり始め、「これ飲んだら死ねるかな」と手にした何か錠剤らしき物の入った小瓶を私に見せます。私が「なにバカなこと言ってるんだよ」と言うと、被告は突然大きな声になって「生きていたくねえんだよ」「てめえのせいでな」等怒鳴り始め、だんだんと声が大きくなっていき、最後にはキャーと叫びました。(174ページより)

 ちなみにこれは、このときに限ったことではない。「死んでやる」と叫ぶのはさおりの常套手段であり、実の母親も「死にませんから」と語っている。つまり、「そういう人」なのだ。しかし問題はそんな光景を日常的に見せつけられていた子どもたちである。弟は気にしていないそぶりだったというが(真意はわからない)、裕太くんには、それがつらかったということだ。



 さて、ことの顛末である。裕太くんのため真摯に対応していたにもかかわらず、虚言によって真実を覆され、私生活までめちゃくちゃにされた校長は、生徒の親たちの協力を得ながら裁判に勝つことになる。その過程においては、先に触れた「お母さんがねたので死にます」という遺書についての疑問が明らかになった。

 さおりによれば、遺書にはこう書いてあった。〈お母さんがねたので死にます〉 ところが、遺書の文字の読み方を巡って大きな謎が浮上する。 裕太君の自殺直後の12月8日に開かれたバレー部保護者会の記者会見で、保護者たちは重大な指摘をしたのである。「ねた」という字が「やだ」と読めるのではないかと疑問を呈したのだ。「ね」か「や」かは微妙だが、次の「た」にははっきりと濁点が確認できる。「やだので」という言い方自体は一般的とは言えない。しかし、この佐久地方では、「やだかった」「やだから」といった言い方を多用する。事実、裕太君自身が綴ったと思われるメモには、「やだかった」という言葉が何回も登場していた。(245~246ページより)

 だからといって、これだけですべてを断定するわけにはいかないだろう。しかし、ここに至るまでのプロセスを目にすると、「ひょっとして......」と思いたくなるのも事実だ。

 奇しくも先ごろ、全国の児童相談所が2015年度に対応した児童虐待が初めて10万件を超えたという報道があった。暴言や脅しなどの「心理的虐待」が、特に増えたという。それはつまり、裕太くんと似たような境遇の子が増えたということではないだろうか? そう考えると、この問題は決してこの一冊のなかで完結するものではないと思わざるをえないのである。


『モンスターマザー
 ――長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』
 福田ますみ 著
 新潮社


[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。2月26日に新刊『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)を上梓。


印南敦史(作家、書評家)

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