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定年後どう生きるか、最大のポイントは「黄金の15年」にあり

ニューズウィーク日本版 2017年10月23日 16時4分

<定年退職後に多くの人がぶち当たる壁を、47歳にして経験した元生命保険マン。再就職も独立も簡単ではないが、能動的に動くことの価値を強調し、人生後半を生きるノウハウを伝授する>

『定年後――50歳からの生き方、終わり方』(楠木新著、中公新書)の著者は、大手生命保険会社に勤務しながら、「働く意味」をテーマとして取材・執筆・講演に取り組んできたという経歴の持ち主。2015年の定年退職後は、企業から研修を頼まれることも多くなったそうだ。

そうした席で50歳前後の社員に対して話すのは、「定年までの期間にどれだけイキイキと仕事をし、定年後の準備をどうしていくか」といった内容。つまり、著者がそれまで培ってきた「人生後半の生き方」についてのノウハウを伝えていくことが求められているのだろう。

 私が「定年後」について関心を持ってから15年になる。実は47歳の時に会社生活に行き詰って体調を崩して長期に休職した。 その時に、家でどう過ごしてよいのかが分からなかった。外出はできる状態だったのだが、行ける場所は、書店か図書館、あとはスーパー銭湯などの温浴施設くらいだった。(「プロローグ 人生は後半戦が勝負」より)

どこの局も同じような話題を取り上げていると分かっていても、テレビから離れられなかった。住宅地で平日の昼間からぶらぶらしていると、好奇の目を向けられることもあった。ハローワークにも行ってみたが、50歳前後では魅力のある仕事は見つからなかった。

喫茶店の開業支援をする講座や、不動産投資のセミナー、コンビニの店長になるための説明会にも参加したものの、再就職も独立も簡単ではないことを思い知らされた。

どれも、なんだか切ないエピソードだ。しかし、ここで気づくことがある。定年退職直後の人たちの多くがぶち当たる壁を、著者は47歳にして経験したのである。楽なことではなかったであろうが、この経験がのちの著者にとてもよい影響を与えたことは間違いない。それは"会社"という場所を再認識する機会でもあった。

 私は休職した時に、自分がいかに会社にぶら下がっていたかを痛感した。(中略)長時間かけて社員全員が朝の9時なり10時なりにオフィスに集まるということ自体、すごいシステムなのだとよく分かったのである。当時は40代後半だったので、まだまだ定年後までは考えが及んでいなかった。しかしこのままでは退職後は大変なことになるだろうという予感は十分すぎるくらいあった。(「プロローグ 人生は後半戦が勝負」より)

そこで気づいたのは、「個性や主体性の発揮は他人がいて初めて成立するものであって、独りぼっちになれば何もできない」ということであったという。当たり前のことだが、その"当たり前"を忘れてしまっている人は少なくない。いわば、そんなことすら忘れさせてしまうのが、会社という組織なのかもしれない。だとしたら「では、そこからどうすべきか」について考えなければならないのも当然だということになる。



そこで著者は会社に復帰した後も、自分の50歳からのヒントを求め、定年で退職した人たちに話を聞いて回ったのだそうだ。

 名刺には、○○コンサルタントや自治会の役員などいろいろな役職が書かれていたが、昔のバリバリやっていた姿から見ると背中がやけに淋しい人が多かった。 ある先輩は声をひそめて「楠木君よ、実はこのまま年をとって死んでいくと思うとたまらない気持ちになることがあるんだ」とまで語ってくれた。会社員時代の役職や評価は、その人の定年後の状況とは関係ないことが分かった。(「プロローグ 人生は後半戦が勝負」より)

つまり、そうした経験を重ねていくうち、「会社の仕事だけでなく何かをやらなければならない」という気持ちが強くなっていき、それが本書へとつながっていったということ。その証拠に、本書では"能動的に動く"ことの価値が何度も強調されている。

定年後に能動的に動くというと、なんだかとても大変なことのようにも思える。ところが、決してそうではないことに著者は着目している。計算してみると、60歳からの人生における自由時間は8万時間もあるという。これは20歳から60歳まで40年間勤めた総実労働時間よりも多いそうなので、だとすれば確かに、定年後の持ち時間は決して少なくないことになる。

ましてや社内で高い役職を担って脚光を浴びていた人だとしても、それを引退や定年後まで引き延ばすことはできない。いうまでもなく、会社での役職と定年後の生活は必ずしも相関しないからだ。それは定年後、短期間のうちに衰えていく人の多さからも想像できることだろう。

逆に考えれば、もし若い頃に注目されることがなく、中高年になっても花開かなかったとしても、定年後が輝けば一気に状況は変わる。「終わりよければ全てよし」というわけであり、そういう意味では定年後、すなわち人生の後半戦こそが勝負なのだと著者は訴えるのである。

そのような考え方をベースとして、著者は本書で「社会とどうつながるか」「居場所を探す」にそれぞれ1章を費やしている。

ちなみに、社会とつながる3つのパターンとして紹介されているのは、まず「組織で働く」という選択。雇用継続で65歳まで元の会社で働くとか、ハローワークや人材紹介会社に紹介してもらう場合も考えられるだろう。

次は、以前の会社での業務と関連のある仕事に就くというケース。保険会社で営業を担当していた人が、キャリアを活かして保険代理店を始めるような場合だ。そしてもう1つは、蕎麦屋を開店したり、農家として独立するなど、今までの仕事とは全く違う生き方に取り組むケース。

どれを目指したとしても優劣はないが、多くの事例を見てきた立場として、著者は「趣味の範囲にとどめることなく、報酬がもらえること」「向き不向きを見極め、自らの個性で勝負できるものに取り組むこと」の重要性を強調している。



定年後の60歳から74歳までは自分自身を縛るものが少なく、かつ裁量を持って動ける黄金の15年である。人生後半戦の最大のポイントだという意気込みで、自分ならではのものを見出したいものである。(134ページより)

これを読んで、「ああ、ポジティブな考え方だなぁ」と感心するだけでは意味がない。つまり60歳からの15年は、なんとしてでも有効に使わなければいけないのだ。それは、第7章のタイトルにもなっている「『死』から逆算してみる」という考え方にもつながっていく。

 逆算型の生き方は、老いや死を取り入れながら生をイキイキさせることにつながっている。定年退職者が語る「元気で働ける年齢を74歳までとするなら」「残りの人生が30年あるならば」は、いずれも死を意識しながらそこから逆算して自分の未来を考えている。たとえば「今日が自分の最期の日であれば」と想像して、もしやらなければ後悔することがあればすぐに手をつけておこうということになるだろう。(187~188ページより)

数十年間生きて、そして今死んでいかなければならないという厳粛さは、日々の自分勝手な思い込みなどから解き放たれて、本当に自分にとって大事なものに気づく機会になる。 この絶対的な死との関連において、定年後の自分の立ち位置を確定させるならば、そのアイデンティティはかなり揺るぎないものになる。(中略)人生が80年になり、多くの人が、いかに生きるか、いかに死ぬかについて考えざるを得なくなった。これは大変なことである反面、自分の進む道を自分で選択できるようになったと思えば、このチャンスを活かしたいものだ。(188~189ページより)

人生には、自分で自分のことを簡単にはコントロールできない時期と、自ら裁量を発揮できる時期があると著者は言う。確かにそうかもしれない。事実、私が自分自身のことに当てはめてみてもそう感じる。今の自分がどれだけ自分をコントロールできているのかは分からないが、それでも似たような実感は持つことができる。

そして著者は、こうも言うのだ。そういう意味において、定年までの会社生活はリハーサルであって、定年後からが本番なのだと。「話を聞いた人たちの顔を思い浮かべるとそう思うのである」という一文には、柔らかな、それでいて力強い説得力がある。


『定年後――50歳からの生き方、終わり方』
 楠木 新 著
 中公新書


[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダヴィンチ」「THE 21」などにも寄稿。新刊『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)をはじめ、『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)など著作多数。



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印南敦史(作家、書評家)

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