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『ビューティフル・ボーイ』薬物依存症の青年と父の苦闘の物語

ニューズウィーク日本版 2019年4月17日 13時10分

<愛するわが子が薬漬けになったら? 父子の葛藤を実体験に基づきリアルに描いた、若手演技派ティモシー・シャラメの最新作>

こんなことをしていたら死んでしまうと、自分でも分かっていた。いっそ死んだほうがいい。時にはそう思った。

覚醒剤のメタンフェタミンを常用していた20代初めには「何度も死にかけた」と、ニック・シェフは本誌に語った。薬をやめると苦しくてたまらない。死んでもいいから薬をやりたい。その一心だったという。

ニックは11歳で酒を飲み始め、その後はマリフアナとコカインも試した。でも18歳のときに初めて手を出したメタンフェタミンはそれらとは異次元だった。一気に多幸感があふれ、生まれて初めて自信を持つことができた──ニックは体験記『薬漬け』にそう書いている。

メタンフェタミンが手に入らないときはヘロインかモルヒネで代用した。使用頻度はどんどん増え、気が付けば重度の依存症に。薬のことしか考えられず、生活はメチャメチャになった。

大学を2度ドロップアウトし、8歳の弟の小遣いをくすねるようになり......過剰摂取で意識を失い、病院のベッドで目を覚ましたことも何度もある。

ニックはいま36歳。薬物を断って8年余りたつ。彼は自らの人生で最も悲惨だった日々を大スクリーンで目の当たりにすることになった。

ベルギー人のフェリックス・バン・ヒュルーニンゲン監督の『ビューティフル・ボーイ』は、ニックが依存症に陥っていく痛ましい過程とともに、彼を救おうとする父親の苦闘を描いている。ニックを演じるのはティモシー・シャラメ。『君の名前で僕を呼んで』でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた若手の演技派だ。

回復への道は一進一退

ニックの父親でジャーナリストのデービッド・シェフ(演じるのはスティーブ・カレル)も体験記を書いており、そのタイトルがそのまま映画のタイトルになった。映画の脚本は、08年に同時刊行された父と息子の体験記の両方を下敷きにしている。

デービッドの体験記には、何度も治療施設に足を運んだこと、すがるように医師に電話をかけ、息子を思って眠れぬ夜を過ごしたことがつづられている。



シャラメがニック役のオーディションを受けたのは20歳のとき。業界関係者以外にはほとんど知られていない存在だったが、昨年9月にこの映画がトロント映画祭で初上映されたときには、既に若い女性たちのアイドルになっていた。

映画祭でシャラメと行動を共にしたニックは、その人気に驚いたと言う。「レストランの前に女の子たちがずらりと並んでいて、僕らは裏口からこっそり逃げ出した。まるでビートルズと一緒にいるようだったよ」

実は『ビューティフル・ボーイ』というタイトルは、故ジョン・レノンから「もらった」ものだ。デービッドは80年にプレイボーイ誌の仕事で、レノンと妻のオノ・ヨーコを取材した。その記事はレノンの最後のインタビューとなった。

取材の日、ジョンとヨーコはスタジオで息子のショーンのために書いた曲「ビューティフル・ボーイ」をレコーディングしていた。インタビューを掲載した雑誌が出て2日後、レノンはファンに殺された。

実際のシェフ親子 SHAWN EHLERSーWIREIMAGE/GETTY IMAGES

ニックの問題で闘い続けている間、デービッドは音楽を聞くと抑えていた思いがあふれ出したと話す。下の2人の子供を連れてスーパーに買い物に行ったときのこと。店内に流れるエリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘブン」(転落事故のために4歳で死亡した息子への思いを歌った曲)を聞いて、「その場に立ち尽くした」という。幼い子供たちは「スーパーで突然泣きだした父親を見てうろたえていた」そうだ。

依存症からの回復プロセスは一筋縄ではいかない。「希望が見えたかと思うと失望し、失望の後には絶望が続き、そして運がよければ、また希望がほの見える」と、デービッドは言う。



そんな複雑な事情を、この作品はきちんと伝えている。例えば、治療施設から息子が逃げたとデービッドのもとに連絡が入る場面。パニックになるデービッドに医者が「回復過程では再発はつきもの」と言って聞かせる。ニックは何度も薬の誘惑に負け、デービッドはそのたびに「再発はつきもの」と自分に言い聞かせ希望を失うまいとした。「家族の理解を得るまでがひと苦労」だと、依存症専門医のスコット・ビネンフェルドは話す。「依存症は病気であり、簡単に治せるようなものではない」

なかでもメタンフェタミンは「最も依存性が強い薬物だ」という。「脳に放出されるドーパミンの量が圧倒的に多い」

明暗を分けるのは運だけ

薬物にのめり込むにつれて、ニックの人格が崩壊していくさまを、映画はリアルに描く。聡明で優しい青年だったニックは挙動不審になり、自己破壊的な行動を繰り返すようになる。

依存症患者は薬物を手に入れるためなら「嘘をついたり盗んだり何でもするが、だからと言って悪人ではない」と、ビネンフェルドはクギを刺す。

依存症も癌や糖尿病のような病気だと、デービッドが理解するには時間がかかった。それが分かってからは、息子を管理したり罰するのはやめたという。

高額の費用がかかる治療施設にニックを入れても、一進一退の状況が続いた。突破口になったのは、依存症の根底にある精神疾患が見つかったことだ。そのときニックは27歳。診断名は双極性障害と鬱病だった。

「息子は病気の苦痛を和らげるために自己治療として薬物に頼っていた」と、デービッドは言う。診断がついたおかげで、ニックは精神疾患の治療を受けられるようになった。

薬を断って8年余り。ニックはいま結婚してロサンゼルスに住み、テレビドラマの脚本家として活躍している。

「奇跡と言うしかない」と、デービッドは感慨深げだ。ただ、薬物で命を失った多くの若者たちのことを思うと胸が痛むという。「なぜ私の息子が立ち直り、多くの親たちがわが子を失うのかと聞かれたら、運だとしか言いようがない。運がよかった。ただ、それだけだ」

<本誌2019年04月16日号掲載>



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ジャック・ジョンフェルド

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