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『入退院は48回』自身も薬物・アルコール依存症を抱える施設職員...過去には自傷行為や服役の経験も 「ちょっとずつでも居場所が増えていくように」当事者らの社会復帰を支援

MBSニュース / 2024年5月21日 12時22分

 精神科病院への入退院は48回。依存症の患者を支える施設で働く48歳の職員は、自身も薬物やアルコールの依存症を抱えています。誰にでもなり得る“脳の病気”。当事者側と支える側の2つの立場で向き合う男性の思いに迫りました。

ギャンブルやアルコールなどの依存症を抱える人々…施設で「もう1回生活リズムをつくる」 

 大阪市内の一室に集まる人たち。彼らは“ある共通の症状”を抱えています。ここは「リカバリハウスいちご長居」。ギャンブルやアルコールなどの依存症を抱える人たちの社会復帰を支援する施設です。

 (利用者)「『二度と帰ってくるな』とか言われて」
 (利用者)「『こんなに飲んで神経のしびれがひどくなったら神経切れます』って言われました」
 (利用者)「ひとりにならずに、やめ続けていくことが目標」

 職員の渡邊洋次郎さん(48)は、6年ほど前からこの施設で働いています。

 (渡邊洋次郎さん)「ここは午前9時半から午後6時まで開いているんですけど、飲酒とか薬とかギャンブルとかで生活自体をうまく組み立てられていない方が、もう1回生活リズムをつくる」

 1日の過ごし方は人によって様々。内職として、100円ショップで販売される商品を作る人やイベントで使われるキーホルダーの材料を作る人。さらに、一度施設に顔を出した後、外出する人もいます。

「僕なんかいらんのちゃうかなと」誰にも相談できずにお酒に逃げたという利用者も

 有本勇樹さん(36)は2年前にアルコール依存症と診断されました。

 (有本勇樹さん)「(勤務先の)店がコロナ禍に潰れて、どうしようもなくなって。僕なんかいらんのちゃうかなとか思ったりも1人だったからしていて、誰にも相談できずにお酒に逃げていた感じでした」

 現在は週に数回、施設から紹介された清掃などの仕事をしています。

 (有本勇樹さん)「スタッフさんから(新しく)介護の仕事もあるから1回やってみないかって声をかけてもらっていて。一歩一歩前に進んでいっているなとは実感しています」

 昼食時、施設に戻った有本さんが何かを冷蔵庫から取り出します。

 (有本勇樹さん)「これは肝臓のアルコール分解をさせへんようにするもので、お酒を飲んだらめちゃめちゃ苦しくなる薬です。退院してから毎日飲んでいます」

 医師から治療薬として処方された抗酒剤。1人では飲むことから逃げてしまうと、職員がいる前で薬を飲むと決めています。

 (渡邊洋次郎さん)「一応確認はしています。お酒を飲みたくなったりすると(抗酒剤を)飲まない人もいたりするかなと」

依存症のきっかけは共働きの両親に対して覚えた「寂しさ」

 利用者を支える渡邊さんですが、実は渡邊さん自身も依存症を抱える当事者の1人です。渡邊さんの実家を訪れると、当時の“痕跡”が残っていました。床には塗料のようなものがついています。

 (渡邊洋次郎さん)「ペンキとかシンナーとかそういうのを(吸うのが)やめられなかった。精神状態が悪い中でまき散らしたりとか暴れたりとかしていたかな」

 中学2年からシンナーを吸い始め、シンナーが手に入らなかったことをきっかけにアルコールにも依存。20歳の時、薬物とアルコールの依存症だと診断されました。

 (渡邊洋次郎さん)「階段の上からジャンプばかりして。どうにもならへん自分を痛めつけて、その時だけちょっと気が楽になるというか」

 意識がもうろうとする中、家の階段の上から何度も飛び降り、自傷行為や破壊行為を繰り返したことも。依存症のきっかけは共働きの両親に対して覚えた「寂しさ」だったといいます。

 (渡邊洋次郎さん)「両親が共働きで働いていて、すごく寂しかって。でも父親は、寂しいみたいな気持ちを言うとすごく怒るし、母親は母親で困ってしまう人だったので。自分が自分の気持ちを言ってしまったりすると人が嫌な思いをするとか、手を煩わせているみたいな思いがどこかにあって」

 「寂しい」と感じてしまう自分を隠さなければと考えた結果、新たな人格として「悪いことができる自分」を作り上げていきました。

 (渡邊洋次郎さん)「自分という人間の土台というか根幹をなすようなものがない。シンナーとか不良とかいろんなことが土台の代わりになってくれたというか。これが俺やと思えた」

服役中に自分自身と向き合い依存症からの回復を決意

 一方で、渡邊さんの母親は、どのように息子と向き合えばよいのか途方に暮れていたと言います。

 (渡邊さんの母)「(当時)依存症なんていう言葉は誰1人言わない。今でこそ言うけどね。私にもこの子の気持ちが理解できないし。親やから子どもをなんとかまともにしてやりたいと思う気持ちが、つい叱る言葉になってしまって」

 家庭のことは家庭で解決するべきだと、渡邊さんを叱り続けました。その後も渡邊さんは酒と薬物への依存が止まらず、精神科病院への入退院を48回繰り返しました。さらに、30歳の時にはシンナーや酒を盗んだとして逮捕。服役中、酒も薬物も手に入らない状況で自分自身と向き合い続け、依存症からの回復を決意しました。

 以来15年、支援施設に通ったり、当事者グループの集まりに参加したりして酒も薬物も摂取せずにここまできています。利用者は依存症を抱える渡邊さんが職員をしていることについて、次のように話します。

 「心強いですよね」
 「こっちの気持ちを分かってくれているから」
 「社会復帰もできるんやっていうのが目に見えてるので」

 (渡邊洋次郎さん)「自分がしてきた経験はあるけども、それを(1つの案として)使えるぐらいのものとして置いておけるほうが自分は良いのかなと」

「最近、体調はどうですか?」外出できなくなった人を定期的に訪問

 この日、渡邊さんは“ある人”のもとを訪ねていました。その人は鈴木誠二さん(仮名・47)。20代の時、職場で受けたパワハラをきっかけに酒の量が増え、31歳でアルコール依存症・うつ病・不安障害と診断されました。

 (渡邊さん)「最近、体調はどうですか?」
 (鈴木さん)「相変わらず睡眠障害で」
 (渡邊さん)「昨夜から寝ず?」
 (鈴木さん)「寝ずに」
 (渡邊さん)「しんどいですね」
 (鈴木さん)「しんどいのはしんどいですね」

 アルコールは14年間飲まずに過ごせているといいますが、今でも睡眠障害や対面で人と話すことに不安があり、ほとんどを自宅で過ごしています。

 (渡邊さん)「いま訪問看護は週3ぐらい?」
 (鈴木さん)「週3で来ています。あと最近はヘルパーさんも来てくれて」
 (渡邊さん)「どこか出かけたり?」
 (鈴木さん)「買い物に出かけたりとか、近所を歩いたりとか。ちょっとずつ回復していくようにっていうかたちで」

 依存症であることを理由に入居を断られるケースもあり、渡邊さんの施設では住居の支援も行っていて、様々な事情で外出ができない人などの自宅を定期的に訪問しています。

 (渡邊洋次郎さん)「時間をかけたぶんだけ、よくお話はされるようになっている。いろいろなスタッフやメンバーさんとも出会っているので、ちょっとずつ。その人が1日シラフで生きていて良かったなと思えることが、本人にとっての社会復帰じゃないけど、働くことがすべてでもないと思う」

依存症への理解が少しでも深まれば…

 依存症の人たちを支える立場であり、依存症の当事者でもある渡邊さん。依存症という病気への理解が少しでも深まればと考えています。

 (渡邊洋次郎さん)「病気やから責任がないとかではないと思っている。叱りつけるとか罰を科すことでは改善しないという意味で、どういう人たちかっていうことを知ってもらうことで、ちょっとずつでも居場所が増えていくような。過去のことも含めて(隠さずに)言えていくことで、やり直しもしやすいだろうし、バリアがちょっとずつ減っていくことかなと思う」

 当事者と支える側の2つの立場で、渡邊さんは完治のない依存症と向き合い続けます。

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