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「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗衣氏への名誉棄損に対する賠償命令

ニューズウィーク日本版 2024年4月23日 19時57分

藤崎剛人
<誹謗中傷で訴訟を起こされた被告が訴訟費用を上回るカンパを集め、さらに裁判過程をコンテンツ化して儲ける「ビジネス」が増えている>

4月18日、文学者の北村紗衣氏が、ネット上で「山内雁琳」を名乗る男性から受けた誹謗中傷を、名誉毀損だとして訴えた裁判の判決が東京地裁で下された。その内容は、雁琳氏は北村氏に対して慰謝料及び弁護士費用の合計220万円を支払うべしというものだった。同種の裁判と比べると、220万円という金額は重いとされている。

原告代理人が「被害者ではなく加害者がカンパを募る「誹謗中傷ビジネス」に対して、裁判所が歯止めをかけた重要な貴重な判決」と述べているように、この判決は、ネット上の誹謗中傷とその裁判がコンテンツとして収益化される風潮に一石を投じるかもしれない。

発端は別の誹謗中傷事件

事の発端は、文学者でフェミニスト批評を行っている北村紗衣氏が、歴史学者である呉座勇一氏のセミクローズドなアカウントから様々な誹謗中傷を受けていたことが発覚したことに始まる。呉座氏は北村氏以外にも、いわゆる「フェミニスト」と呼ばれるような人々に女性差別的な中傷を行っており批判が集まっていた。一方、「フェミニズム叩き」に同調する人々らによって擁護され、北村氏に対する二次加害も始まった。

呉座氏は北村氏に対して謝罪し、のちに和解した。そうであるにもかかわらず、呉座氏の誹謗中傷が明らかになった直後から北村氏が呉座氏に対して毅然とした態度をとり、アカデミズムの中からも女性差別的な風潮に反対する声明がいくつか出たことで、「フェミニズム叩き」の同調者による北村氏に対する誹謗中傷がエスカレートした。今回の裁判の被告、山内雁琳氏もその一人だった。

SNS上でのフェミニスト・フェミニズム叩きはますます深刻化しており、幾つかの事例は訴訟にまで発展している。昨年12月にはネット上で「青識亜論」を名乗っていた徳島県職員が、あるフェミニストを誹謗中傷して名誉毀損で訴えられ、慰謝料33万円を支払うことで和解した。

しかし青識氏の慰謝料33万円と、雁琳氏の220万円では大きな差がある。なぜ雁琳氏が支払う賠償額が跳ね上がったのか。雁琳氏の誹謗中傷は一回きりのものではなく、数年にわたって繰り返し継続的に行われていたこともあるだろう。しかし、賠償額が大きくなった理由はそれだけではないといわれている。

誹謗中傷の「ビジネス化」問題

ポイントは、雁琳氏がこの訴訟を戦うにあたって、訴訟費用をはるかに上回る450万円ものカンパを集めたことだ。もちろん、財政的な問題を抱えた被告が、裁判をするにあたってカンパを求めることには問題がない。たとえば、公の事業への反対運動を続ける市民団体が、国や自治体から運動を疲弊させるためだけに訴えられる訴訟、いわゆるSLAPP訴訟では、運動の継続のために広くカンパが呼びかけられる。しかし最近では、面白半分で他者を誹謗中傷し、訴えられるとカンパを集め、あるいは訴状などの関連文書をnoteなどの収益化されたブログサービスに公開したり、法廷での様子を含む裁判の経過を面白おかしくネットニュースにしてYouTubeなどの動画サービスで配信したりするなどして金を集めるビジネスモデルが問題になっている。

このコラムでも何回か取り上げたことがある女性支援団体Colaboは、ここ数年にわたって様々な誹謗中傷に晒されてきた(「女性支援団体Colaboの会計に不正はなし」及び「女性支援団体に対する執拗な嫌がらせの実態が明らかに」 参照)。そのきっかけをつくったともいえる、「Colaboは10代の女の子をタコ部屋に住まわせて生活保護を受給させ、毎月一人6万5千円ずつ徴収している」というデマを流した「暇空茜」を名乗る男性は、今年2月に書類送検されている。

こうした被害に対してColabo側は、名誉棄損だとして訴訟を起こしている。しかしその訴訟でさえ、被告側はやはり訴訟費用を上回るカンパを集め、またYouTubeやブログのコンテンツ化をして収益をあげている。暇空茜氏は、SNS上で「ぶっちゃけColaboからどんな名目で訴訟が来ても、訴額以上にNoteとYoutubeで稼ぐ自信があるので、金を払うので訴えてください」と公言している。

名誉棄損の有無にかかわらず、他者を誹謗中傷して注目を集め、相手から訴えられたらそれをコンテンツ化してさらに収益をあげるというこうしたビジネスモデルは、日本の司法制度に対する「ハック」であり、法秩序そのものを危険に晒しかねない。しかし、これを止める手段が今のところほとんど存在しないことが問題視されてきた。

北村氏の裁判の判決文で画期的なのは、雁琳氏のカンパについても言及していることだ。いわく、雁琳氏が「本件訴訟のために公然といわゆるカンパを募ることは」原告を貶める「同調者をあおるものといえる。これらは、原告の慰謝料増額事由として評価すべきである」。

その結果が、原告側の要求330万円に対し、220万円の支払いを求める決定なのだ。これは、誹謗中傷によって耳目を集め、多額のカンパを獲得するビジネスモデルに対して、慰謝料増額事由に相当する可能性を示す、注目すべき判決だといえる。北村氏自身も次のようにコメントしている。

「このようなビジネスモデルを放置しておくことは世の中全体に悪い影響を与えます。そのままにしておくと真似をする人も出るでしょう。今回の判決で、こうした他人を煽ってお金を集める行為が勘案されたのは画期的なことだと思っています。今回の判決が、ネットで中傷を受けている方々にとって良い先例となることを祈っております」。

「誹謗中傷ビジネス」を止める第一歩

もちろん、この判決は第一審にすぎず、雁琳氏が控訴した場合、覆る可能性は残っている。またこの判決を、カンパによって訴訟費用を集めた他のあらゆる裁判に単純に当てはめることができるわけでもない。さらに、雁琳氏の自己申告が正しいとするなら彼は450万円を集めたわけであり、220万円と他の経費を支払ってもなお、それなりの額が手元にのこる計算になる。このことから、こうしたビジネスモデルが直ちに成り立たなくなるかといえば、そうではないだろう。

しかし、この判決は長い道のりの第一歩となるだろう。このビジネスモデルは、多くの人の悪意を幅広く集積することによって成立する。そしてその悪意が向けられるのは、多くの場合、フェミニズムのような、既存の社会に内在する差別を糾弾する少数派の権利獲得運動だ。つまり誹謗中傷の収益化に反対することは、差別に対する戦いの一部でもあるのだ。

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