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ミャンマーから2度逃れた〝ダブル難民〟軍事政権打倒デモで来日→民主化で帰国→クーデターで再来日 【あなたの隣に住む「難民」②】

47NEWS / 2024年3月8日 10時30分

2023年7月23日、横浜市内で撮影  パソコンのリサイクル会社で働きながら、日本の大学で講義することも多いティンウィンさん=横浜市内の自宅

 
「日本に逃れたのは2回目。私は〝ダブル難民〟だ」
 横浜市の自宅アパートで、ティンウィンさん(68)は苦笑した。
 ビルマ(現ミャンマー)の古都マンダレーの裕福な商家に生まれた。1988年、軍事独裁打倒を掲げた民主化活動が全土に広がると、地元でデモを組織。5カ月間、投獄される。
 釈放後、ノーベル平和賞を受けたアウンサンスーチーさんが率いる政党・国民民主連盟(NLD)に参加し、国軍に追われるようになった。「地獄に落ちたような気分」で家族と別れ、96年に来日。法務省入国管理局(現出入国在留管理庁)に難民認定を申請した。
 日本の難民審査は厳しく、認定される人の数も割合も欧米諸国に比べ桁違いに少ない。ティンウィンさんは、支援した渡辺彰悟弁護士が「この人が難民じゃないなら、誰を認めるの」と言うほど分かりやすいケースだったが、2年余りかかって認定された。(共同通信編集委員=原真)

 「でも、何も変わらなかった」。ティンウィンさんは振り返る。
 日本政府による無償の日本語教育を受けたものの、半年間では上達しなかった。母国では民主化のリーダーで、英語も堪能なのに、能力を生かせる仕事が見つからない。呼び寄せた妻と子ども3人を養うため、飲食店やパチンコ店、工場など、職を転々とした。


 ▽帰国後にクーデター
 2015年、母国の総選挙でNLDが圧勝する。その翌日、ティンウィンさんは東京のミャンマー大使館に赴き、失効していたパスポートの再発行を求めた。「千載一遇のチャンスだ。民主化のために働きたい」。帰国して、故郷のNLD支部で活動を再開した。
 ところが、インド系イスラム教徒のティンウィンさんは、多数派のビルマ人仏教徒から差別に遭う。「NLDは私を重要な役職に就かせなかった。失望した。民主主義への障害は国軍より、仏教ナショナリズムかもしれない」
 「Z世代」と呼ばれる10、20代の若者を集めて政治について講義したり、外国使節の通訳を務めたり、活動は続けていた。しかし、21年2月1日、国軍がクーデターを起こす。
 「全く予想していなかった。NLDに問題があっても、民主化は確実に進んでいた。だから人々は自由を捨てたくないと、身柄を拘束されたスーチーが呼びかけなくても、デモに立ち上がった」
 そのデモを国軍は武力で弾圧する。近所に住む少女も犠牲になった。ティンウィンさんは葬儀に参列した後、再び日本に脱出した。
 NLDは少数民族組織と連帯し、国軍に武装闘争を挑んでいる。内戦状態ながら、ティンウィンさんは楽観的だ。「若いリーダーは民族や宗教で差別しない。いずれ帰国できると信じている」

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