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「嫁は叩かないと育たない」「正妻なんだから」。資産家に嫁いで子どもを奪われた女性の30年

オールアバウト / 2024年5月5日 22時5分

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共同親権への賛否が渦巻く昨今だが、離婚した母親が子どもを引き取らない理由は「母性の欠如」だけではない。古い価値観をひきずる資産家一族に翻弄された50代女性もそのひとりだ。

離婚すると、子どもは母親の元にいるものと思われがちだ。母親が子どもを引き取らないのは母性が足りないなどと非難されることもある。だが、事情は人それぞれ、やむを得ない事情で婚家に子どもを置いてきた女性も少なくない。

代々続く資産家に嫁ぎ、夫からは「平手打ち」

「若くして結婚、相手の家に入りましたが、ひどく古い価値観の家だったんです。嫁は誰より早く起きて働き、誰よりも遅く休むのが当たり前という家で……」

そう言うのはアケミさん(50歳)だ。いつの話かと思うほどだが、ほんの30年ばかり前のことだ。地方の小さな町で産まれ育った彼女は、21歳のときに5歳年上の同じ町の男性と結婚した。彼の実家は代々続く土地持ちで、親子で手がけている不動産業はかなり儲かっていたようだ。

「舅姑と夫の弟と妹、さらに私たちの子どもがふたり。一時期は8人家族で暮らしていました。三食の用意と家事、義弟や義妹からの頼まれ事など、家に関わるすべてを私がやっていた。それでいて子どもがぐずると夫に平手打ちされたり、うっかり頼まれたことを忘れると舅からもぶたれました。

男は暴力をふるっていいと思っている家だった。舅はよく夫に『嫁は叩かないと育たない』と言っていた。おそらく姑もやられていたんでしょう」

女の子を産むと「なんのための嫁か」と言われ

第一子が女の子だったため、姑には嫌味も言われた。「なんのための嫁なんだか」と。結婚するまでは優しかった夫だが、結婚後も風俗に行ったり浮気したりは日常茶飯事。文句を言おうものなら、「おまえは正妻なんだから気にする必要はないの」と抑えつけられた。

「第二子が男の子だとわかってホッとしたとき、私もこの家に毒されていると思った。そのとき、いつか子どもを連れて出て行きたいと考えるようになりました」

第一子のときも第二子のときも、アケミさんは産後、退院してからすぐ家事育児に翻弄されていた。体調が回復するまでの時期は人によって違うが、昔から「お床上げ」は3週間といわれている。産後、せめて1カ月は無理しないことが大事だが、姑は「家事くらいできるはず」と言いきった。

「第二子のときのほうが辛かったですね。退院して2週間後に夫が迫ってきたときは、さすがに夫を突き飛ばしました。そんな気になれるはずもない。夫は怒って『出て行け』と言いました」

絶望したアケミさんだが、生まれたばかりの子を外に出すわけにもいかない。

婚家に子どもたちを残すしかなかった

婚家には、完全に家父長制度の機能が働いていたとアケミさんは言う。彼女は家を追い出され、実家に戻るも親は家に入れてくれなかった。婚家に迷惑をかけた恥さらしとさえ言われたという。

「そのまま中学時代からの親友のところに転がり込んで数週間、休ませてもらいました。その間、婚家と実家の間で離婚話が進み、私は判だけ押しました。小さな商店をやっていた実家は、婚家から援助してもらっていたんです。私を実家に入れなければ、孫を産んだ功績として援助は続けると言われたようですね」

2歳の娘と生まれたばかりの息子を残して、アケミさんはそのまま婚家に戻ることが許されなかった。「それが家のためでもある」と実母にも説得されたのだという。

25歳になったアケミさんは自らの命を絶つことも考えた。だが親友に説得され、生きることを決意した。上京し、必死で働いて、子どもたちのために貯金も続けた。いつか子どもたちに会えたらという思いだった。

「親友が私の子どもたちと接点をもってくれたので、子どもたちが中学に入るころからときどき手紙を託しました。先方は再婚したものの、子どもたちとは折り合いが悪かったようです」

最初は祖父母や父親が、家を出ていったアケミさんの悪口を子どもたちに吹き込んでいたようだが、親友はアケミさんの手紙を渡して「お母さんの気持ちをわかってあげて」と言い続けてくれた。

「それでも“私たちを捨てたおかあさん”という印象は払拭できなかったでしょうね。私も会うことを焦ってはいけないと思うようになったので、手紙も誕生日のときだけにするようにしました。子を残して出ていったのは本当のことだから、言い訳してもしかたがないし」

あの異常な環境で育った子どもたちと再会

辛かったが、「いつかは」という思いだけが彼女を支えていた。そして子どもたちが高校生のときに祖父母が相次いで亡くなり、元夫も大病をして家族が一気に変化を迎えた。

「仕事は義弟が継いだようです。唯一よかったのは、子どもたちがふたりとも大学へ行けたこと。祖父母が生きていたら娘は大学には行かせてもらえなかったと思う。元夫は、大病をして実質的に仕事ができなくなってからは、信じられないくらい優しいおとうさんになったようです」

大学に入った娘から初めて手紙をもらったとき、アケミさんはあの環境で素直に育ったことに感動したという。おそらく義弟や義妹が味方についてくれたのだろうとも感じた。

そしてアケミさんがふたりに会えたのは3年前。娘が25歳、息子は23歳になっていた。

「元夫が亡くなったんです。ふたりはやはり父親への義理はあるからと、私に会うのを控えていたそうです。もちろんふたりには私への恨みもあったはず。だけど娘は『お母さんがいなかったら生まれてないわけだから』と言ってくれた」

娘は関西の会社に就職していたが、異動希望を出して昨年から東京で働いている。アケミさんは遠慮しているが、娘からはときどき「食事しない?」と連絡があるという。息子は大学を卒業後、都内の企業に就職したが、現在は遠方の支社で働いている。

「夫の再婚相手は結局、数年しか家にいなかったそうです。やはり舅姑に追い出されたんでしょう」

お母さんに恨みはないけど、あの家は恨んでる。娘がそう言ったことがある。子どもたちを連れて出られなかったことを今も後悔しているアケミさんだが、あの状況では子どもを連れて出たら心中するしかなかったかもしれないとも思っている。

「子どもを生かすためには、どうしようもない選択だった。同じような思いをしているおかあさんたちもいると思うけど、いつか事態は変わると信じるしかない。頑張ってほしいです」

共同親権について賛成反対が渦巻いているが、それ以前にDVに苦しむ母親が子どもを連れて家を出たとしても暮らしていける環境を作るほうが救われる人は多いのではないだろうか。

亀山 早苗プロフィール

明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。
(文:亀山 早苗(フリーライター))

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