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企画展 神田学生街の記憶1880-1980 五大法律学校の軌跡

@Press / 2018年1月9日 19時15分

明治大学史資料センター、専修大学大学史資料課、中央大学大学史資料課、日本大学企画広報部広報課、法政大学史センター主催、三井住友海上火災保険株式会社共催により、2018年1月9日(火)~2月28日(水)の日程で、写真を中心に神田学生街の移り変わりをたどる企画展「神田学生街の記憶 1880ー1980 五大法律学校の軌跡」を開催いたします。

神田地域(現・東京都千代田区)は、明治以降にさまざまな学校が設立され日本有数の学生街として今日に至っています。

江戸時代、神田地域は東側に町人地、西側に武家地があるという二面性を持つ地域でした。明治維新後、旧幕府直轄地を明治政府が接収し、そこに官立学校が設置されていきます。明治10年代からは私立法律学校や各種の学校が神田西側の旧武家地域に数多く創立され、日本でも最大規模の学生街に発展して今日に至っています。現在まで神田の学生街は続くといっても、時代によってその様相は大きく異なります。 明治期の神田は、学校の所在地というだけではなく、東京でも有数の下宿が多い街で、学生の居住地でもありました。その後、鉄道網の発達や関東大震災後の復興整備により、学生たちは近郊に居住して神田の地に通学するようになります。

一方で、明治から現在に至るまで、神田地域は多くの学生にとって学生時代の良き思い出の場所であり続けています。いつの時代の卒業アルバムをめくっても、神田界隈で青春を謳歌する学生たちの写真が含まれています。

今回の展示では、神田に東京法学社(現・法政大学)が創立された1880(明治13)年から、中央大学が駿河台の地に別れを告げた1980(昭和55)年までの100年間を対象とし、私立法律学校として産声を上げた神田ゆかりの専修、中央、日本、法政、明治の5大学の大学アーカイブズが主に所蔵するさまざまな写真から神田学生街の記憶にせまります。


■ 企画展示神田学生街の記憶1880ー1980五大法律学校の軌跡
表1: https://www.atpress.ne.jp/releases/146991/table_146991_1.jpg




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プレスリリース提供元:@Press

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