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片岡千之助「光る君へ」薄幸のプリンス・敦康親王に自身を重ねる 御簾越えのシーンは「会いたい」一心で

シネマトゥデイ 映画情報 / 2024年11月24日 20時47分

 「僕も周りの期待を背負う立場なので、東宮になれなかった敦康親王の心境は少なからず理解できたように思います。家系図的に“彼がこの家をしょっていくんだな”といったことは言われますし、そういった部分を重く受け止めて生活しているわけではないものの“家を継がなければ、継承しなければ”という思いはずっと頭の裏側にあって、生きていく上での一つの指針になっています。敦康親王は実際には継げなかったわけですけど、今の時代、いつ何が起きてもおかしくないので、“こういうこともあるんだな”と自然に思いました。ですから、そうした気持ちの持っていき方というか、心の整理の仕方は意外とスムーズだったかもしれません。彼は“穏やかに生きていくのも悪くない”とは言っているけれども、きっと“天皇って何なんだろう、何が大変なんだろう”と常に意識して生きてきたはずなので、継げなかった悔しさはあると思います。自分がもしそうなったらと思うと、やるせない気持ちになります」

 物語の舞台である平安時代といえば、片岡は歌舞伎の舞台「菅原伝授手習鑑」に出演。大宰府へ流された菅丞相(菅原道真)の養女・苅屋姫を演じ、そのときに感じた時代の空気は「光る君へ」でも生かされたようだ。

 「“おぉ……”と感じ入ることがあって。自分が苅屋姫を演じていたときのことなども思い出しますし、平安時代の匂いというか雰囲気は、歌舞伎で得たものです。その心持というのはどこかしらあるのではないかと思います。『光る君へ』の藤壺のセットにいると僕自身なぜか落ち着くんです。ここでお昼寝したら気持ちいいだろうなって(笑)」

 敦康親王についてはとりわけ彰子との関係が注目を浴びている。道長は、まひろに「敦康さまはお前の物語にかぶれすぎておられる」「光る君のまねなぞされては一大事である」と言い、敦康親王と彰子が不義密通に至るのではないかと危ぶむが、片岡自身はどう捉えているのか。

 「彰子への気持ちを言葉にするのは難しい。彰子は彰子なんですよね。母のようでもあり、姉のようでもあり……難しいですね。きっと、男性が女性に求める甘える部分というのは母(定子)がいないからこそ、彰子に向けていたんじゃないかと思います」

 とりわけ、敦康親王が御簾を越えて彰子の顔を見るという大胆な行為が反響を呼んだが、片岡は敦康親王の心境をこう解釈する。

 「僕自身も台本を読んだときにびっくりしました。ご覧になった方の中には『源氏物語』を重ねる方もいると思いますし、あの場にいたまひろや行成(渡辺大知)も“え!”と驚いていましたが、敦康親王からすれば“ただお顔が見たかっただけなんです”と、その一心だったと思います。ずっと一緒に生きてきて、誰よりも信頼していて、愛している人に御簾越しに会わなければいけない現実を突きつけられたら哀しいですよね。元服して離れてしまったことの辛さもあったと思いますし。友達、異性であろうが、大事な人の顔を見たいっていう気持ち。顔を見て、ようやくホッとする。本当に純粋な気持ちだったと思いますし、僕は大石(静)先生が書かれたセリフをストレートにやらせていただこうと思っていました」

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