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「人並みの幸せすら手に入らない」 雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第19回

ココロニプロロ / 2015年3月5日 17時45分

「自分の未来を信じて、挑戦することで自分は変えられるとかバカみたいな女性の雑誌では言ってるけど」とありますが、これもぽこにゃんさんにとっては、別世界の人が言ってることに見えるのでしょう。でも面白いのは、そのあとに「どうせ不幸になるならと思うと、挑戦してもお金だけドブに捨てるだけだし、と思ってしまい」と続くところです。一度、イメージはしているんですよね。何か挑戦することも浮かんでいる。世界と世界の境目が、ほころぶ瞬間です。ぽこにゃんさんのいる世界と、「自分の未来を信じて挑戦する」人の世界の境目が、一瞬ひらいた形跡が見えます。

ぽこにゃんさんにとって重要なことは、これまでの人生に確かに不運と呼べる出来事があった、ということよりも、「その不運のせいで自分の人生はめちゃくちゃにされた」という被害者意識が消えないことだと思います。これは仕方ないですよね、どこにも怒りのぶつけようのない不運に見舞われたとき、そのやりきれなさというのは、どうしても残ってしまうんだろうと想像します。忘れられない辛い出来事を抱えているのが悪いことだとも思いません。でも、面白いのはぽこにゃんさんが同時に「自分の人生が不幸なのは、不運な出来事のせいだけではない」とどこかで気づいていることです。不運はともかく、自分がうまくできなかったとか、努力できなかったとか、どういう思いなのかはわかりませんが、「自分のせいだ」という思いがなければ、「どうせこれからも同じだ」とは思わないんじゃないでしょうか。

誰かを幸福だと決めつけるのは、ときには、誰かを不幸だと決めつけるのと同じくらい失礼なことです。誰がどんな思いをしているかなんて、わからないですよね。言わなかっただけで、何か起こっていたかもしれない。誰かが何の苦労も知らないように笑っていて、その人が自分より恵まれた環境にいて、瞬間的に「憎い」と思ってしまうことは、私にもあります。そんなとき、「苦労してない人なんて誰もいない」という言葉が頭をよぎることもありますが、それってどうなんだろう? と思うんですよね。苦労している人でなければ、何らかの不幸を知っている人でなければ、自分は受け入れることができないんだろうか? と思うんです。不幸を知らない人なら、憎んでもいいと思っているんだろうか? とも。そんなふうに、一生、誰かと自分を比較して、上下を決めて生きていくんだろうか? 同じぐらい不幸な人としかわかりあえないんだろうか? と考えると、暗い気持ちになります。

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